210. 幼き魔蜘蛛、そして迸る光
それは見た目こそ鈍重で、機動性はお世辞にも高いとは言えなかったが。
しかし、それはただの「見た目」に過ぎなかった。
土竜の巨大な顎が地面から開かれたその瞬間、魔蜘蛛の巨体がただ、ほんの微かにきらめいた。
八本の長い脚が同時に爆発的な力を迸らせ、全身を右側へと三メートルほど、滑るように跳躍させたのだ。
土竜の咬撃は虚しく空を噛み、その口が閉じたとき、そこに挟まったのは冷たい空気だけだった。
その身のこなしは、とても人間一人分ほどの巨体を持つ魔蜘蛛の機敏さとは思えなかった。
もちろん、もしこの場にフィオナ先生一人しかいなければ、その一瞬の横跳びにもいくぶんかの効果はあったかもしれない。
しかし、ここにはフィオナ先生と、十数年にわたる死線を共に潜り抜けてきたヘイティ先生がもう一人いたのだ。
魔蜘蛛が横に跳んだその刹那。
つまり、その巨体が左から右へと移動したそのコンマ数秒の間に、ヘイティ先生の魔法はすでに完成していた。
一発の火球が、土竜を躱した魔蜘蛛の胴体に一瞬で直撃する。
その火球の大きさはさほどではなく、大人の拳ほどだったが、弾道速度は凄まじく、正確に魔蜘蛛の胴の左側、甲殻と脚の関節が接する「隙間」を狙い撃っていた。
そこは甲殻の覆いが最も薄い、明確な弱点の一つだった。
灼熱の炎は、たちどころにその強靱極まる外殻を融かし、内側の肉を剥き出しにした。
暗い鼠色の甲殻は高熱の中で真っ赤に変じ、やがて焼き上げられた陶器のようにパリパリと割れ、中から灰白色の筋肉組織が露わになる。
焦げ臭い匂いが洞穴の中に満ち、それに混ざって、名前も知れぬ酸っぱい臭気が漂った。魔蜘蛛の体液が蒸発した匂いだ。
魔蜘蛛には声帯がない。
だから悲鳴を上げることはできなかった。
だが、その身体は激しく震え、八本の長い脚が制御を失って数度痙攣し、岩壁にいくつもの深い傷跡を刻みつけた。
その傷口からは、かすかな蛍光を帯びた体液が滲み出ている。
おそらく体内の魔力を駆使して、自己再生を施しているのだろう。
甲殻に刻まれた蜘蛛の巣状の魔紋が、今まさに傷口めがけて、目に見えて分かる速さで集束していくのが見えた。
まるで蟻の大群が餌を運び込むかのように、魔力の奔流は組織の修復を加速させ、少なくとも止血の面ではいくばくかの効果を発揮していた。
だが、それでもそいつは、絶えず自分の毒牙を激しく擦り合わせていた。
明らかに激痛によるものだった。
あの二対の曲がった毒牙が互いに擦れ合い、ギリギリと耳障りな音を立てている。
それはさっきよりもずっと不快だ。
奴が完全に激高したというはっきりとしたシグナルだった。
「どうやら今回は、自分たちで手を出す必要はなさそうね」
ユーナがこっそり私に耳打ちした。私は深く頷いた。
何しろ彼女たちも、ハーランド魔法高等学院の卒業生なのだ。
どう言い繕ったところで、同学年の者たちをはるかに凌ぐ戦闘能力の持ち主だった。
それに、彼女たちの連携はなんと言えばいいのだろう。
まるで、同じ学校で同じ料理を習った二人の料理人が、最高の一品を即興で作っているかのようだった。
手つきこそ違えど、火加減のさじ加減、タイミングを捉える感覚、味に対する直感。
そのすべてが、同じ一つの体系から生まれているのだ。
これこそが、同じ学び舎で鍛え上げられた者だけが持つ、あの独特の呼吸だった。
土竜が目標を外すのを見て、フィオナ先生は踵を土の中から引き抜いた。
彼女は両足で地面を蹴り、魔蜘蛛のいる方角をめがけて一直線に疾駆する。
その手の中では、土色の一条の光の束がしだいに凝固しながら、一振りの土製の巨大な戦槌を形作っていった。
その槌はざっと大人の腰ほどまでの高さがあり、槌頭は極限まで圧縮された土の精霊で構成され、表面には土色の魔力紋様がびっしりと刻まれていた。
その重量はおそらく猛牛一頭分にも匹敵するだろう。
だがフィオナ先生は、片手でこれを軽々と提げ、その足取りはまったく乱れなかった。
全力の突進の中であっても、彼女の身体は寸分の狂いもなく重心の均衡を保ち、銀色の長い髪が背後の風に靡いて、まるで一枚の軍旗のようだった。
魔蜘蛛はフィオナ先生が自分めがけて突っ込んでくるのを見て、もはやこれ以上、実力を隠し立てするのはやめにしたらしかった。
奴はすぐさま、空中へといくつかの白い蜘蛛の糸の塊を噴き上げ、洞穴じゅうをそっくり自分たちの蜘蛛の巣で覆い尽くし、自らの機動性を最大限に高めようとした。
それらの糸の塊は、毒牙の間から一気に射出され、空中で一気に展開されると、まるで大きな傘のように四方へと拡散していった。
もしこれらが洞穴の壁面や天井にまで張り巡らされてしまえば、この空間は丸ごと奴の独壇場になってしまう。
蜘蛛の巣の上では、魔蜘蛛は意のままに動き回り、私たちはあらゆる場所で足を取られることになる。
だが、ヘイティ先生がそれをただ黙って見ているはずがなかった。
見れば、数本の火の矢が一瞬のうちに、空中の蜘蛛の糸の塊を余さず貫き、そいつが蜘蛛の巣の檻を形成しようとする目論見を、根底から打ち砕いた。
一本一本の火の矢は、どれもが正確に、蜘蛛の糸の塊の「急所」を射抜いていた。
その位置こそが、蜘蛛の糸がまだ完全に展開しきっていない集約点だった。
いったんそこを撃ち抜かれてしまえば、塊全体が、まるで火をつけられた綿くずのように一瞬のうちに燃え尽きてしまうのだ。
ヘイティ先生が火の矢を放つ手つきは、このうえなく老練で、ほとんど詠唱を必要としなかった。
この水準の魔法使いにとって、詠唱とは必要条件というよりは、むしろ精度を確保するための補助に過ぎない。
そしてヘイティ先生の習熟度をもってすれば、これほどの精密射撃は、もはや詠唱の助けなど借りるまでもなかった。
魔蜘蛛はこれを見て、やむなく自らの前脚四本を乱暴に振り回しながら、フィオナ先生との白兵戦に臨む構えを取った。
その四本の前脚が、まるで四振りの曲刀のようにフィオナ先生めがけて振り下ろされ、一振りごとに灰黒色の魔力の波動が纏わりつき、空気の中に数条の、肉眼で捉えられるほどの不気味な軌跡を刻んでいった。
それは四肢に魔力を纏わせる武芸の技法だった。
魔力で鍛え上げられた武器のような切れ味には及ばないものの、まともな防具を身につけていない相手ならば、その一撃を喰らったときの結果は、真剣で斬り裂かれたのと何ら変わらないだろう。
だが、フィオナ先生は避けなかった。彼女は巨大な戦槌を手に、正面から迎え撃った。
巨大な槌と蜘蛛の脚が空中で激突した瞬間、凄まじい衝撃音が洞穴に響き渡った。
まるで鉄槌を硬い岩盤に叩きつけたかのような、あの金属的な轟音だ。
魔力の衝撃波が接触点から四方へと拡がり、洞穴の壁面にびっしりと生えていた菌類を根こそぎ吹き飛ばした。
フィオナ先生は半歩だけ後退し、魔蜘蛛もまた反動に押されてその巨体をぐらりと揺らした。
だが、フィオナ先生はすでに、再び巨大な槌を振り上げていた。
私たちがフィオナ先生と魔蜘蛛の熾烈な打ち合いを固唾をのんで見守っていた、その時。
フィオナ先生の土製の巨大な槌と、灰黒色の魔力を纏った魔蜘蛛の脚とが正面からぶつかり合い、交錯するたびに大量の砕けた石と砂塵が舞い上がっていた。
私は突然、背後から一筋の禍々しい魔力が伝わってくるのを感じ取った。
その魔力はごくかすかで、まるで何かが暗がりのなかを音もなく這いずり回っているようだった。
だが、私の身体は、私の思考よりもずっと速く反応した。
ほとんど本能のままに、私は収納の腕輪の中からブリュンヒルデの槍を引き抜き、同時に体を回転させながら、その禍々しい魔力の源泉めがけて一気に力を込めて突きを放った。
銀白色の槍の切っ先が、暗闇の中に一筋の鋭い弧を刻む。
「ぷつり」という鈍い手応え。槍の切っ先が何かを串刺しにした。
粘着質で、ほとんど目にも見えない魔力の凝集体が、槍の切っ先の上で炸裂した。
まるで水風船をぶち破ったかのようだった。
崩れ散った魔力の塊は、大量の白い蜘蛛の糸を四方八方へと噴き出し、それらの糸は空中で一気に拡がりながら、あたり一面へと散らばっていった。
だが、その蔓延もほんの一瞬のことだった。
銀白色の槍身は蜘蛛の糸にそのまま覆い尽くされ、もともと冷たく冴えた金属の輝きを放えていたはずの柄は、いまや一枚の白い網目模様の外套を纏わされたかのようになってしまった。
その糸の粘着力は凄まじく、どんなに振り払おうとしてもびくともしない。
まるで生きているかのように、槍身のあらゆる溝の一つひとつに、ぎっちりと絡みついているのだ。
私は眉をひそめ、長槍に向けて、体内に巡るほんのわずかな光属性の魔力を注ぎ込んだ。
長槍がかすかに白い光を帯び始める。
その光は槍の切っ先から石突きへと向かって、まるで流れる水銀のようにゆっくりと伝わっていく。
光属性の魔力は、たちまちのうちに槍の切っ先に纏わりつく蜘蛛の糸のすべてを、影も形もなく焼き尽くした。
それは燃焼というよりは、むしろ蒸発に近かった。
あの白い蜘蛛の糸たちは、白い光に触れたその瞬間に「無」へと姿を変えたのだ。灰すらも、一片も残さずに。
私はほっと息をつこうとした。しかし、目の端に、もっと多くの光の点が暗がりの中でちらちらと瞬いているのを捉えた。
……あれは光の点ではない。魔物だ。
そいつらの体躯は、フィオナ先生の目の前にいるあの大魔蜘蛛より、丸々一回り小さかった。
ざっと猫ほどの大きさしかないが、その数は少なくなかった。
私は大雑把にざっと数えた。
少なくとも十数匹の小さな魔蜘蛛の群れが、洞穴の四方の隅から、私たちのいるほうへと這い寄ってきている。
そいつらの狙いは、今まさにフィオナ先生と死闘を繰り広げているあの大魔蜘蛛ではない。
そいつらの狙いは、私たちだった。
私と、ユーナだ。
どうやらこの小さな連中は、大魔蜘蛛がこちらの注意を一身に集めているその隙をついて、音もなく洞穴の奥の岩の裂け目から這い出し、側面から奇襲を仕掛けようとしていたのだ。
そいつらの動きは極めて密やかだった。
もし私が先ほどあの魔力の波動をたまたま感知していなければ、こいつらが一斉に襲いかかってきたときには、私もユーナもとっくにこいつらの餌食にされていただろう。
「——着装!」
中二病丸出しの叫びが、私の口からほとばしった。
理由は聞かないでほしい。
前世でアニメを見て覚えた、あの憧れの台詞なのだ。
ブリュンヒルデの槍の完全解放形態を使うたびに、私はどうしても頭の中でこの言葉を叫ばずにはいられなかった。
そして今日、ついに私は、それを声に出して叫ぶ勇気(暴挙)を持ったのだ。
その叫びが口から迸った瞬間、私の全身から目映い光が溢れ出した。
それは普通の白い光ではなかった。それは身体の奥の奥から迸り出る、あたたかさを帯びた銀白色の輝きだった。
光はまず私の掌の中心から拡がり、腕に沿って肩へと伝わり、肩から胴体へ、両脚へと流れ、ついには私の全身の皮膚の一筋一筋までもすっぽりと包み込んだ。
白い光が瞬く間に、この暗黒の洞穴を隅々まで照らし出した。
それまで影に覆われていた岩壁も、地面に散らばる砕けた石くれも、遠くにぶら下がる湿った鍾乳石も、すべての存在が、この圧倒的な白い光の中でその本当の姿を露わにした。
私たちを襲おうとしていた魔物もまた、その光に炙り出され、正体を現した。
それは、やはりさらに小ぶりな魔蜘蛛たちだった。
そいつらの甲殻はまだ暗い鼠色ではなく、半透明がかった灰白色を帯びている。
まるで脱皮したばかりの、生まれたての甲殻すなわち幼体だった。
そいつらの八本の脚は、白い光の中ではどこまでも細く、その動きも成体の魔蜘蛛のように俊敏ではなかった。
十数匹……いや、私は二度、数え直した。その数、実に十三匹。
あの大魔蜘蛛はおそらくはこいつらの母親なのだろう。
と、フィオナ先生もまた、私のほうで突然炸裂した強烈な白い光に、互いの攻撃の手を止めた。
彼女たちも、魔蜘蛛も。
その注意のすべてを、私のうえにだけ向けていた。




