209. 魔蜘蛛の巣穴、そして光の矢
光の矢は目標を貫くと、そのまま空気の中へと溶けるように消え去り、ゴブリンの身体にいくつかの黒く焦げた小さな穴だけを残した。
「まあクローディア、今日はずいぶん優雅な魔法が使えるじゃない」
ヘイティ先生の思わぬ感嘆の声に、私は思わず小さく頬を赤らめた。
……優雅? たぶん今日、彼女たちの洗練された魔法を目にして、無意識のうちに真似をしたくなっただけなのだ。
ただ「魔力の塊を投げる」のを「光の矢へと成形する」に変えただけに過ぎないが、それでも少なくとも、見た目は普段より少しはマシになったらしい。
でも、それはそれとして。
自分の先生に褒められるというのは、なかなか悪くない気分だった。
こうして、雑魚のゴブリンはあらかた片付いた。
私たち四人は少しばかり態勢を整えてから、さらに奥へと歩き出した。
道中、ところどころで散発的に現れるスライムや魔羊、魔牛とも出くわした。
どれもさほど強くはない魔物ばかりだった。
もっとも、羊や牛が迷宮に紛れ込んだのは、地下迷宮の魔力に蝕まれて魔物と化したせいだったが、元をただせばただの家畜に過ぎない。
おそらくは近くの農家が放牧していた牛や羊が、どういうわけか迷宮の領域に迷い込み、魔力による変異を起こしたのだろう。
変異の程度はもともとの体質と迷宮内の魔力濃度によって左右されるが、牛や羊のように生来さして攻撃性の強くない生き物にとっては、魔化したところでせいぜいが少しばかりの蛮力と、分厚く硬い皮を余分に纏う程度の変化でしかなかった。
だから魔化したところで、私たちへの脅威はほぼゼロに等しかった。
数匹のスライムは、ユーナがついでとばかりに蹴り散らした。
あの粘着質な半透明の塊では、おそらくゴブリンにすら遅れをとるに違いない。
魔羊は私たちの姿を見るや、さっと逃げ出した。
その慌てふためく様子は、外の普通の羊と何ひとつ変わらなかった。
かろうじて少しだけ見応えがあったのは、一頭の魔牛だった。
その体躯は普通の牛より一回り大きく、鼻孔から灰色の霧を荒々しく噴き出していた。
が、フィオナ先生にぎろりと一瞥されただけで、あっさり大人しくなった。
順調に進み続けた私たちは、やがて一つの洞穴の入り口へと辿り着いた。
洞穴の入り口はさほど大きくはなかった。
高さにして人間二人分、幅は三人分ほどといったところで、周りの岩壁には灰緑色の苔と、名も知らぬ発光菌がびっしりと群生していた。
入り口から奥を覗き込むと、そこは完全な漆黒だった。
ただ、ときおり奥の方から伝わってくる、ぽたりぽたりと滴り落ちる水の音と、何かがかすかに擦れ合うような細かな物音だけが、この洞穴が決して空っぽではないことを物語っていた。
フィオナ先生は明らかに経験豊富な探索者だった。
彼女は収納の腕輪の中から数枚の布切れと、淡い黄色を帯びた液体が入った小瓶を取り出した。
布切れを針金で木の棒に巻きつけ、その先端を瓶の液体に浸してよく含ませる。油が布切れにじゅわじゅわと染み込むのを待ってから、フィオナ先生はようやく瓶から木の棒を引き抜いた。
その液体からは、独特の油脂じみた匂いが漂っていた。おそらく、動物の脂肪から精製した照明用の特製油なのだろう。
「先生、それは?」
「松明を作っているのよ」
「でも先生、私、光魔法が使えますよ?」
フィオナ先生の手が、ぴたりと止まった。
彼女は私をちらりと一瞥した。
その視線に込められた意味は、おそらく「どうしてもっと早く言わないの」と「私の苦労を返しなさい」の、ちょうど中間あたりだった。
彼女は無言のまま、作りかけの松明を腕輪の中へと収めた。
その動作は手際よく迷いがなかったが、彼女の口元がかすかに引き攣ったのを、私ははっきりと目撃してしまった。
……はい、次からはもっと早く言います。
洞穴へと足を踏み入れると、一筋の白い光が、私の掌の上でゆっくりと輝き始めた。
私は光の精霊を掌の上に凝縮させ、その輝きを徐々に強めていく。
蛍の灯りのようなほのかな明かりから、油灯のような暖かな光へ、そして洞穴全体を隅々まで照らし出す、眩いばかりの白い光へ。
光の精霊は私の掌の上で、まるで小さな太陽のように安定してあたたかく揺らめきながら、十数メートル四方の空間をその清冽な光で包み込んだ。
白い光は、漆黒の洞穴を一瞬のうちに昼間のような明るさへと変えた。
洞穴の内壁は、外から想像していたよりずいぶん広かった。五人ほどが横に並んで歩けるだけの幅があり、天井までは人間三人分の高さがある。
壁面には発光する菌類がびっしりと生えていたが、私の光魔法が放たれると、それらは圧倒されるように我先にと自分たちの微かな光を引っ込めた。
より強い光源に押されたかのような印象だった。
もともと闇に紛れて私たちを襲おうとしていた何匹かの魔蝙蝠や魔鼠は、突然の激しい明かりを見るや、一目散に逃げ去った。
魔蝙蝠は光の中でばたばたと翅を打ち鳴らし、鋭い悲鳴を残して奥深い闇の中へと飛び去り、魔鼠のほうはさらに諦めが良いというか、逃げ足が速く、壁面からそのまま跳び降りて四本の短い足を猛スピードで動かし、あっという間に岩の隙間へと姿を消した。
光属性の魔法による照明は、闇に生きる魔物たちにとってあまりに強い威嚇効果を帯びる。
光属性魔法が放つ光は、ただの物理的な明かりではない。
それは光の精霊特有の「浄化」の性質を帯びており、闇属性や影属性の魔物にとっては、真上から直射日光を浴びせられるかのような、激しい拒絶反応を引き起こすのだ。
私たちはそうして、ひたすら前へと歩き続けた。
どの魔物も、私たちにちょっかいを出す度胸はなかった。
洞穴は奥へ進むほどに狭まり、空気もますます湿り気を増していった。壁面の水滴が光魔法に照らされて、無数の小さな鏡のように細かな輝きを散らしている。
足元の地面も乾いた岩からぬかるんだ湿った泥へと変わり、一歩踏み出すたびに、靴の底からぐちゅぐちゅという嫌な音が響いた。
ヘイティ先生は隊列の中央を歩きながら、ときおり小声で何かを呟いていた。
おそらくは何かの探知系の魔術なのだろう。
彼女の眼鏡のレンズの奥で、ときおり魔力の煌めきが一筋走っている。
ユーナは私のすぐ横を歩き、片手はずっと収納の腕輪の上に置かれたままだった。
いつでも火の精霊の長剣を取り出せる構えだ。
彼女の足取りは軽やかで、それでいて警戒を怠らず、呼吸は落ち着いていた。
だが、彼女の視線だけは絶えず周囲をくまなく睥睨している。
それは、何度も過酷な実戦を潜り抜けた者だけが身につける、本能的な警戒心だった。
やがて、独立した小部屋のような開けた空間へと差し掛かったその時、一匹の魔蜘蛛が私たちの目の前に姿を現した。
それは普通の蜘蛛より何十倍も大きく、すでに人間一人分ほどの巨体にまで育っていた。
その身体は暗い鼠色の強固な甲殻に覆われ、八本の長い脚が胴の両側から不気味に伸びている。
脚の先端にはどれも細かな逆鉤がついていて、それが岩壁を踏むたびに、ざりざりと耳障りな音を立てた。
全身には薄い灰黒色の魔力の霧が纏わりつき、口元の二対の巨大な毒牙が、噛み合わさるたびにぞっとするような擦過音を軋ませる。
その音はまるで鉄片をガラスに擦りつけたようで、聞いているだけで鳥肌が立つほどだった。
書物の記載によれば、その毒牙は中空で、それ自体が強力な致命毒を湛えている。
背中の甲殻には、ぼんやりと蜘蛛の巣状の魔紋が浮かび上がっていた。
それらの魔紋は暗がりではかすかな蛍光を放ち、まるで甲殻の表面に、縮小された蜘蛛の巣が何枚も埋め込まれているかのようだった。
あれはただの装飾ではない。
魔力が甲殻の中を流れる、その具象化された痕跡。
幾筋もの魔紋の奔流は、魔蜘蛛の魔力回路と正確に対応していた。
つまりこの魔蜘蛛は、ただの変異した生物ではなく、独自の魔力循環系統を体内に持つ、正真正銘の「魔獣」だった。
明らかに、こいつは私たちがこの洞穴へ足を踏み入れたその瞬間から、ずっと私たちの存在に気づいていたのだ。
天井の影の中にじっと身を潜め、岩壁と同じ色の甲殻で完璧に擬態し、最高の奇襲の機会を待っていたのだろう。
もし私が光魔法を放っていなければ、おそらくこいつは私たちがその真下を通り過ぎる瞬間を狙って、突如として頭上から襲いかかってきたはずだ。
だが、私の光魔法がその位置を容赦なく暴いてしまった。
だからこそ、奴は先手必勝の強襲を選んだのだ。
魔蜘蛛は突然、私のほうへ向かって大量の白い糸の塊を激しく吐き出した。
私をこの場に縛りつけるつもりなのだろう。その白い糸の速度は恐ろしく速かった。
人間が瞬きをするよりも速く、まるで一筋の白い稲妻が、私のいる方角めがけて射かけられたかのようだった。
蜘蛛の糸は空中で扇形に拡がり、その覆う範囲は人間の上半身を優に包み込むほどの広がりがあった。
もしこれに絡め取られたなら、あの凶悪な粘着力と強靱さでは、そう簡単には振り解けなかっただろう。
こいつは私の掌の中にある眩い光属性の魔力をひどく恐れているのだ。暗がりで生きる生き物として、光に対して本能的な忌避感を抱いているのは当然のこと。
たとえ一瞬でもこの光の直射に晒されれば、奴らの戦闘能力は大きく損なわれる。
だからこそ、奴の最初の標的は、明確に私へと据えられたのだ。
しかし、私のすぐ横に立っていたユーナの反応は神速だった。
彼女の動きはほとんど本能のなせる業だった。
私がまだいかなる反応も返すいとまもないうちに、彼女はすでに収納の腕輪から一筋の炎の長剣を引き抜いていた。
手首を鋭く捻ると、炎は彼女の目の前で、一瞬のうちに隙間のない一枚の「炎の網」へと織り上げられた。炎の障壁が私の真正面に出現し、こちらへ飛来したあの白い蜘蛛の糸の塊を、真っ向から受け止める。
白い糸が炎の網に触れた瞬間、耳障りな「じゅうじゅう」という音が響いた。
蛋白質が高温で一瞬にして変性する、あの独特の音だ。
蜘蛛の糸の粘着力は激しい炎の中でたちまちその効力を失い、繊維が一本、また一本と断ち切られ、丸まり、燃え尽き、ついには細かな灰の粒となって消え去った。
数秒のうちに、あの白い糸の塊は炎の網に焼かれ、灰すらも残さず消滅した。
「助かったわ、ユーナ」
私はユーナに軽く頷いた。
「気をつけてよね」
彼女は私をちらりと横目で見た。
その声には、ラノベのヒロイン特有の呆れと心配の入り混じった響きがあった。
フィオナ先生はその様子を見るや、もはや躊躇わなかった。
もう一度、ハイヒールの金属の踵を、大地へと力強く踏み込んだ。
またあの、見慣れた動作だ。
地を蹴り、魔力を伝導し、土竜が大地を破って姿を現す。
その過程はわずか二秒もかからず、まるで何度も調整を重ねた精密な機械のように、一分の狂いもなかった。




