207. 朝を遮る紫の帳
ケーヤホテル。五階建ての青灰色の石造りの建物で、正面玄関の上には「ケーヤ」の二字を刻んだ木の看板が、相変わらずしっかりと掛けられていた。
ユーアホテルの洗練されて優雅な佇まいとは違い、ここにあるものはすべてが飾り気なく、生活の熱を帯びている。
ロビーの床は磨き抜かれてつやつやと光る花崗岩で、受付カウンターの背後の壁には、巨大な温泉風景の絵が一枚掛けられていた。
その絵に描かれた山は、まるで膨らんだパンのようだったが、泊まりに来る客たちはそんなことを少しも気に留めていない。
このホテルは連日、満室だった。豪華だからではない。手頃だからだ。
私はふと、なぜ今日の実習先がユーアホテルではなくケーヤホテルなのかを理解した。
おそらくフィオナは、自前のホテルで実習をさせてはあまりに居心地が良すぎて、「社会実習」という教育的な目的にそぐわないと考えたのだろう。
さすがはフィオナ先生、実習の授業にまで「お前たち、怠けるんじゃないぞ」という厳しさが滲み出ている。
そして今日の実習内容は、ケーヤホテルの温泉区での接客体験だった。
客の案内、浴用タオルの手渡し、薬湯の調合などなど。私はホテルの管理スタッフの説明を聞きながら、こっそりとユーナの方を横目で窺った。
彼女はきょとんとしたすました顔で私を見つめているものの、その口元だけはかすかに持ち上がっている。
その表情の意味するところは、私には痛いほどよく分かった「昨夜のことは、まだ忘れてないからね」
私は視線を逸らし、とにかくまずは今日の実習に集中することにした。
彼女に借りを返すのは、ふん、機会はこれからいくらでもある。
そのとき、温泉町からほど近い場所で、数本の白い石英の柱が天から突き刺さり、一つの山の上へと落下した。
ちょうど私が腰を屈めて、薬湯を調合するためのオークの桶を覗き込んだ、まさにその瞬間のことだった。一筋の異様な魔力の波動が、ぐんと私の感知範囲へと叩きつけられた。
それはまるで、誰かが遠くの方角でどんと太鼓を一つ叩いたかのようだった。
音こそかすかではあったが、その微振動だけは、はっきりとここまで伝わってきた。
私は腰を伸ばし、視線は無意識にその方角を見据えていた。
ケーヤホテルの窓越しでは、あの山の全体を見渡すことはできなかった。
だが、遠くの空に、淡い紫の光の輪がじわじわと拡散していくのが見えた。
まるで誰かが山頂に一本の、半透明の菫色の巨大な傘を広げたかのようだった。
光は傘の縁から流れ落ち、秋の空の彼方に、夢幻のような色彩を一筋残していった。
「あの方角は……」
私はぽつりと呟いた。
隣にいたホテルのスタッフは私の視線に気づき、つられてその方角を窺ったが、その顔は茫然としていた。
彼にとっては、あれはおそらく、ただの綺麗な自然現象に過ぎなかったのだろう。
だが私にとって、あの光が意味するものはあまりにも明白だった。
迷宮だ。
石英の柱が定着するにつれて、菫色の光の幕が石柱の両脇からしだいに溢れ出してきた。
落下した位置がホテルに非常に近かったため、菫色の光の幕が立ち現れたその瞬間から、私とユーナは、その方角から押し寄せる異様な魔力を明確に感じ取っていた。
私は首を巡らせてユーナの姿を探した。
彼女もまた、反対側から同じ方角を見つめているところだった。
私たちの視線は空気の中で一つに交わり、言葉を交わすまでもなく、互いの意思はすでに通じ合っていた。
そうして私とユーナは、慌てて私たちを統括する実習責任者のもとへと向かった。
私が自分の身分証を責任者の前に差し出すと、その人はまるでバネでも弾かれたかのように飛び上がり、手にしたペンを落としそうになった。
彼は私たちの休暇申請を受け取ると、当然ながら私たちを引き留める度胸などあるはずもなく、何も尋ねずに私とユーナを送り出した。
私たちがまさに背を向けて去ろうとしたその背中に、彼はなおも恐る恐る、一言を投げかけてきた。
「クローディア様、お供の者をお呼びしましょうか——」
「いらないわ」
私の声がまだ消え去るよりも早く、私はもうロビーを飛び出していた。
ホテルの敷地を離れると、私はすぐさま魔力を巡らせて身体能力を強化し、あの異様な魔力の源へと向かうスピードを上げた。風が耳元をごうごうと吹き抜ける。
足元の青石の敷石は土の小径へと変わり、土の小径は山あいの砂利の坂道へと変わっていった。
私は走りながら、ついでに身体に施していた変装の魔法を解いた。
黒かった短髪がしだいに本来の輝きを取り戻し、もとの白金色の長い髪が風の中で軽やかにたなびく。
瞳の色も暗い茶色から深い碧へと戻り、身長も本来の高さへと戻っていった。
「ケイシー・コエーリョ」は山の風の中へと消え失せ、代わりにそこに立ち現れたのは、「クローディア・フォン・エリクソン」だった。
私たちが現地に駆けつけたとき、ヘイティとフィオナはとうにその場所に立っていた。
彼女たちは私たちが姿を見せても、さして驚いた様子はなかった。
フィオナは両腕を胸の前で組み、石英の柱の影の中に佇んでいた。
彼女の茶色の長い髪が菫色の光の幕に照らされ、ごく微かな紫の陰影を帯びている。
ヘイティはその半歩後ろに控え、眼鏡をかけた童顔には緊張がありありと浮かんでいたが、その眼差しだけは、あの光の幕をじっと凝視していた。
まるで何かを、必死に見極めようとでもしているかのように。




