201. 厨房の怒り、そして麦穂の光
馬車を降りると、疲れ切った私たちは余計な言葉を交わすこともなく、それぞれの別荘へと散っていった。
チャーリーは帰り際に「温泉に入りたい……」と呟いていたが、その声は独り言のようにか細かった。
ニーナはただ微かに会釈を返しただけで、静かに梅の花の別荘の扉の向こうへと姿を消した。
彼女の背中が夕陽の下で細長い影を引きずりながら、いつもどおりに、水のように淡く消えていった。
山茶花の別荘に戻ると、今日の風呂の順番は、当然ながらユーナが先だった。
「今度こそ覗いたりしないから、安心してね」
ユーナは浴室の入り口で振り返り、私に向かってぱちりと瞬きをした。
「…………」
私はあえて何も言い返さず、黙って視線をそらした。
私はというと、居間のソファに寝転がり、ぼんやりと頭上の天井を見つめていた。
板張りの天井には天然の木目が走り、まるで川の支流のように蛇行しながらどこまでも延びている。
私はその模様を指で追いながら、思考はいつしか、午後の川辺での会話へと流れていった。
『私の両親は、やっぱり、とてもいい人たちだよ』
この言葉を口にしたとき、初めて気づいた。
それが、偽りのない本心なのだと。誤魔化しでも、お茶濁しでもなく。
心の底から、そう思っているのだと。
そのことに気づいた瞬間、私は思わずはっとし、それから口元がひとりでに緩んでしまった。
そのとき、部屋の扉が叩かれた。
「どうぞ」
扉が押し開かれる。入ってきたのは、ルームサービスを運んできたホテルの給仕だった。
きちんとした制服を着た二人の給仕が、ワゴンを押しながら入室し、数品の料理を作法通りに並べていく。
スープから順に、左から右へ、間隔は寸分の狂いもなく均等に。
それから彼らは深々と一礼し、ゆっくりと部屋を退出していった。
ほどなくして、ユーナが風呂から上がり、浴室から姿を現した。
ゆったりとした浴衣を身にまとい、ピンクの長い髪はまだしっとりと濡れて肩にかかり、入浴後の清々しい香りを漂わせている。
「先にご飯、食べてて。私、髪を乾かしてくるから」
彼女は髪を拭きながらそう言った。
私は頷き、食事を先に済ませてから風呂に入ることにした。
食卓へと歩み寄り、保温用の魔導カバーを外した。
透明な光の膜がぱりんと砕け散り、なかに盛られていた料理の数々が露わになる。
一品一品が見事に盛り付けられ、野菜は統一された形に美しく切り揃えられ、肉は申し分のない焼き加減で、ソースは優雅な弧を描いていた。
まるで、前世の高級レストランで一皿数万円もするような極上のディナーだった。
見ているだけで、食欲が何段階か引き上げられるほどに。
しかし、今日はあまりにも疲れていた。
私は料理の美しさを味わう気力など、みじんも残っていなかった。
そのままフォークを一本の小さな人参に突き刺し、口のなかへと放り込んだ。
噛む。
「……ん?」
もう何度か噛んでみる。
「……なんだ、これ」
私はさらにもう一口、煮込み料理を味わってから、静かにフォークを置いた。
私の食事は、一瞬で終わった。
正確に言えば、それ以上食べたいという欲望が、完全に消え失せたのだった。
私は自分の食器を返却用の台へと運び、ソファの前に戻ると、紙ナプキンで口元を拭いた。
それから、ひどく不機嫌な顔のまま、紙ナプキンを傍らのゴミ箱へと投げ捨てた。
料理の見た目は、たしかに見事だった。
だが、とにかく、不味かった。
新鮮でないわけでも、不衛生なわけでもない。
そうではなく……作り方に、根本的な問題があった。
どの料理も、食材の最も中心の、最も柔らかい、ごく一部しか使っていなかったのだ。
人参なら最も甘い中心部だけを、キャベツなら最も柔らかい内側の数枚だけを取り出して。
それ以外の部分はどうしたのか。おそらく、すべてそのまま捨てたのだろう。
こんな料理の作り方が許されていいはずがない。
これほどまでに食材を浪費する行為を、私が容認できるはずがなかった。
何しろ実家の厨房で料理人たちに指導するとき、私はいつも、野菜は隅から隅まで使い切るようにと言い続けてきたのだ。
人参の皮は出汁に、キャベツの外葉は煮込みに使える。
それなのに、ここの料理人たちは、こんなにも食べ物を粗末にする真似をしていたのか。
思い出すのは昼間、リリィが「このお野菜、美味しいね」と言ったときの顔だった。
自分の父親が作った野菜を、あれほど誇らしげに胸を張って。
あの器にあった一切れの人参も、一枚のキャベツも。
すべては彼女の父親が炎天下のなか、一鍬一鍬、土を耕して育て上げたものだった。
厨房で無造作に切り捨てられたその端切れにだって、同じように農民たちの汗と心血が凝縮されているのだ。
そしてリリィが父親を語ったときの誇り、あのきらきらと輝く茶色の瞳。
『これ、みんなクローディア様が私たちに持ってきてくれたお野菜なんだよ!』
違う。
私が「持ってきた」んじゃない。
君のお父さんが作ったんだ。
エノ・フィリップのような、数えきれない農民たちが、その両手で、土のなかから掘り起こしたんだ。
それを、お前たちは七割も、ゴミ箱へと投げ捨てたというのか。
私の胸のなかの怒りは、それでいっそう激しく燃え上がった。
「ユーナ、ちょっと出かけてくる」
「え? どこへ——」
引き止める彼女の声を聞く頃には、私はもう服を着替え終え、部屋の扉を押し開けていた。
ホテルのロビーへ向かう馬車に飛び乗り、車中で頭のなかの言葉を整理した。
ロビーに着くと、私はまっすぐ支配人室へと乗り込んだ。
本当の身分を明かした瞬間、支配人はほとんど椅子から転がり落ちるように飛び上がり、その顔は困惑から驚愕へ、驚愕から恐慌へと、めまぐるしく変わった。
「ク、クローディア様!?」
「厨房へ案内しなさい」
私の声は、怒っているとは思えないほど平静だったが、支配人はその静かな圧迫感を確かに感じ取ったらしく、彼は慌てて私の前を走り、厨房への案内を始めた。
それから私は、厨房へと踏み込み、徹底的な調査を敢行した。
結果は、まさに私の読みどおりだった。
煮込みに使う人参だけでも、彼らはそのなかから最も甘い中心部——全体の三分の一にも満たない量——しか使っていなかった。
外側の果肉に至っては、そのまま調理廃棄物として処理されていた。
キャベツも同じだ。最も内側の三、四枚の若葉だけを取り、外側の、まるまる一個分の葉はすべて廃棄。
道理で、盛り付けだけは見事なまでに美しいはずだ。食材の七割を、丸ごと捨てていたからだ。
道理で、味が酷く底が浅く、薄っぺらだったわけだ。中心部の素材だけでは、そもそも旨味に深みが生まれない。
道理で——
「君たちは、あの野菜が誰の手で作られたか、知っているのか」
私は厨房の中央に立ち、息を殺して震え上がっている料理長と下働きたちの一群をぐるりと見回した。
声は大きくはなかったが、一字一字が、まるで冷たい釘のように彼らの耳の奥へと打ち込まれていった。
「農民だ。エノ・フィリップのような人間たちだ。彼らは炎天下で腰を折り、一鍬、一鍬と、この野菜を土のなかから掘り起こした」
「それを、君たちは、彼らの心血をそのままゴミ箱に投げ捨てたんだ」
厨房のなかは水を打ったように静まり返り、ただ換気扇の低いうなり声だけが響いていた。
私は調理台の横に置かれた、調理廃棄物でいっぱいの、あの幾つもの容器を見つめた。
なかには、まだ十分に食べられる人参の外側やキャベツの外葉が入っていた。
これらが、どこの農家に渡ったとしても、隅から隅まで使い尽くされ、美味しい一食へと姿を変えていたはずのものだ。
それがここでは、味見されることすらなく、そのまま畑からゴミ箱へと直行した。
これは高級料理の品質へのこだわりなどではない。
ただの食材への冒涜だ。
私は容赦なく怒りを叩きつけ、料理長を含む数名の責任者をその場で更迭した。
そうしてようやく胸の怒りを鎮め、厨房をあとにした。
厨房を出ると、廊下の給仕たちは次々に深々と頭を下げ、息さえひそめていた。
支配人は私の後ろにぴったりと付き従い、額の汗を拭いながら、ひっきりなしにぺこぺこと頭を下げ続けた。
「ク、クローディア様、ご安心を。必ず改めます、必ず……」
「三日以内に、新しい献立表と食材の利用計画を提出しなさい」
私は振り返りもせずに言った。
「すべての食材の利用率を八割以上にすること。できなければ、君たちもここで働く必要はない」
部屋に戻ると、ユーナはソファに座って私を待っていた。
その手には、あの麦穂の勲章がそっと握られている。
私が入ってくるのを見て、彼女は顔を上げた。
「どうだった?」
「料理長をクビにしてきた」
私はどさりと彼女の隣に腰を下ろし、まだ濡れている彼女の髪に、そっと額を預けた。
「……髪、まだ乾いてないじゃない」
私がそう呟くと、
「先にお風呂、入って」
と彼女はそっと言った。
「お湯、もう張ってあるから」
「うん」
私は立ち上がり、浴室へと向かった。
窓際を通りかかったとき、視線の隅に、窓台のうえに置かれたものが映った。
あの麦穂の勲章だった。いつのまにか、ユーナがそれを窓台のうえに移動させていた。
月光の下で、黄金色の麦の穂が、あたたかな光を放っていた。




