191. 課外実習、そして温泉の町
私は人波に混じって、久しぶりに校門をくぐった。
見渡せば、多くの生徒たちの肌が、心なしか小麦色に日焼けしているのが見て取れた。
それも当然だろう。
ほとんどの者が実家に帰って麦刈りを手伝っていたのだ。
連日畑に出れば、秋とはいえ日差しは容赦がない。
私は校門の前で立ち止まり、なかば職業病のように彼らの日焼け具合を分析し始めた。
日焼けのタイプは、主に二つに分かれる。
一つは、全身が均一に浅黒くなっているタイプ。
これは何日も続けて畑で働き、あらゆる角度からお日様を浴びた証拠だ。
もう一つは、顔と手の甲だけが黒く、服に隠れた部分は白いままのタイプ。
長袖長ズボンで防備を固めていたものの、顔の対策までは手が回らなかったことを示している。
クラスメイトの大半は、どうやら後者のようだった。
翻って自分を見てみると、はっきり言って私は後者にすら当てはまらない。
休暇中はほとんど書斎に引きこもって翻訳作業をしていたから、肌の白さは何一つ変わっていないはずだ。
まあ、もやしっ子な魔法師としては、それも別に不自然ではないのだけれど。
人の波のなかに、チャーリーの姿がすぐに見つかった。
彼女はすらりと背が高いから、混雑したなかでもよく目立つ。
彼女の一家はすでにアムニットへ移住しているが、祖父母や親戚はまだ農村に残っているらしく、休暇中はやはり麦刈りの手伝いに駆り出されていたそうだ。
ただ、チャーリーはもともと健康的な小麦色の肌なので、日焼けしたのかどうかはさっぱり分からなかったけれど。
彼女は私を見つけると手を振り、「ケイシー!」と声を張り上げた。
けれど、すぐに隣のクラスメイトに腕を引っ張られ、がやがやとにぎやかな輪のなかへと引き込まれていってしまった。
話題はどうやら、「休暇中、どこの麦畑の作業が一番きつかったか」という泥臭い自慢話のようだ。
その隣を歩いていたのは、ニーナだ。
ニーナの肌の色は、休暇前と寸分違わぬ、きめ細かな白さを保っていた。
おそらく、彼女は実家には帰らず、アムニットに留まっていたのだろう。
彼女が家族の話題を口にすることはめったにないし、私もあえて深く詮索したりはしない。
そして、校門の前で「なんで牛車を入れちゃダメなんだよ!」と騒ぎ立てているカールハインツにいたっては。
うん、考えるまでもない。
こいつは実家で麦を刈りまくり、あろうことか、荷台いっぱいに収穫した麦を積んだまま登校してきたのだ。
門衛の五十がらみの老人は、腰に手を当てて、ほとほと困り果てた顔でカールハインツと対峙していた。
「お前さん、そんな牛車を正門のど真ん中に停められたら、行き来する教師や生徒が通れないだろうが」
門衛さんは牛車の引き手を指差しながら、すっかり忍耐をすり減らされた様子で、疲れ切った声を上げていた。
「じゃあ、どこに停めろって言うんだよ!」
カールハインツは両手を広げて抗議する。
「俺一人じゃこの重い麦の袋を担いで運べねえよ。何往復もさせる気か?」
「裏通りに停めてこい!」
「裏通りは石畳がボコボコだろ! うちのおばあちゃん牛は足腰が弱いんだからさぁ」
私は早足でその横を通り過ぎ、ユーナの手を引いて不毛な押し問答を迂回した。
背後から、「おいケイシー! ちょっと手伝ってくれよ、一袋だけでいいから!」とカールハインツの叫び声が聞こえたけれど。
当然、聞こえないふりをした。
私の足はさらに加速する。
「やっぱり、青春の香りに満ちた学園生活が一番だよね」
私はぐっと伸びをしながら、のんきに呟いた。
「ただ仕事をサボりたいだけでしょ」
隣を歩くユーナが、ズバリと私の本音を射抜いた。
その歩みは止まらない。
「反論は却下!」
私はおでこでユーナの肩をぐいと小突いた。
心の内を見透かされたことへの、せめてものささやかな抗議だ。
ユーナは避けることもせず、ただほんの少し首を傾げ、呆れたように口元をわずかに緩めただけだった。
そんなふうにじゃれ合いながら、私たちはのんびりと教室へと向かった。
一限目は、決まってホームルームの時間だ。
というか、「フィオナ先生の時間」と言ったほうが正確かもしれない。
何しろ彼女は私たちのクラスの担任であり、この朝の時間は、彼女が最も得意とする「授業の乗っ取り」の舞台なのだから。
彼女はものの三分で伝えるべき連絡事項をすべて片付けると、そこから実に滑らかに魔法理論の講義へと切り替える。
その流れがあまりに自然すぎて、事情を知らない人間が見れば、これが最初から予定されていた授業だと本気で思い込むに違いない。
実に鮮やかで、まったく痕跡を残さない授業ジャックだった。
ありがたいことに、私にはこんな基礎知識をいまさら聞く必要はまったくない。
机に突っ伏して、手持ち無沙汰に落書きでもしていれば時間は勝手に過ぎていく。
もちろん、万が一の事態を防ぐため「地球という異世界」の存在をうっかり漏洩させないために、教室内で翻訳作業をするような真似は絶対にしない。
教室という場所は、あまりにも目が多すぎる。
もし誰かに、見たこともない奇妙な文字がびっしりと並んだページを覗き見られでもしたら、その後の面倒くささは計り知れないからだ。
講義が一段落すると、フィオナ先生は黒板をきれいに拭き取り、チョークを手にしてこちらを振り返った。
「今日の連絡事項は、ごく簡単なものよ。学院として今年初めて、エリクソン公爵家からの要請を受けました。我がクラス全員で『温泉街』へ赴き、七日間の社会実習に参加してもらいます」
フィオナ先生は、いつもと変わらない淡々とした口調でそう告げた。
この実習を企画し、承諾した張本人は、言うまでもなく私である。
少し前、フィオナ先生とヘイティ先生が一通の書類を携えて、公爵令嬢としての私の元へやってきた。
学院の課外実習を公爵家にバックアップしてほしいという依頼だった。
書類そのものに怪しい点はなく、条件は極めてまっとうで、文面すら控えめなものだった。
課外実習自体は、私にとっても大歓迎だった。
一日中教室にじっと座っているのは、外を出歩くのが好きな私にとっては、どうにも息が詰まる。
そして、私が実習先として選んだのは。
当然、「温泉街」だった。
温泉街は、エリクソン領の南方開拓区の中央に位置し、無数の天然温泉が湧き出る秘境だ。
開拓の探検隊がこの場所を発見し、その報告が届いたその日のうちに、私はここの領有権を強引に買い取った。
価格は金貨一万枚。
いつ剥奪されるかわからない名ばかりの爵位を買うより、土地を買ったほうがずっと割に合う。
温泉街の買収の経緯も、思い返せばなかなか面白い。
当時、開拓隊は密林のなかで完全に迷子になり、方角を探してうろうろしているうちに、偶然この樹木に覆われた谷間に辿り着いた。
谷底からこんこんと湧き出すお湯が地表を包み、辺り一面に幻想的な湯気を立ち上らせていたという。
同行していた案内人が「温泉だ!」と叫ぶや否や、隊員たちはその場で全員靴を脱ぎ捨てて足を浸け、道に迷った恐怖など綺麗さっぱり忘れてしまったそうだ。
その報告が私の元に届いたとき、真っ先に頭に浮かんだのは「よし、温泉に入れる!」ではなく、「ここは絶対に化ける(ビジネスになる)」という確信だった。
前世で読んだ知識によれば、温泉観光業というものは、驚くほど巨大な経済効果を生み出す。
ましてや、ここは近代的な娯楽が何もなく、娯楽に飢えている異世界だ。
多少の蓄えがあり、たまには贅沢をしたいと考えている中産階級の商人たちにとって、温泉地での休暇はステータス性も高く、格好の選択肢になり得る。
そこで私は金貨一万枚で土地を買い、さらに数万枚を注ぎ込んでインフラ開発を進めた。
農場側の全面的な建設協力を得ることで、この世界初となる本格的な温泉リゾートを築き上げたのだ。
温泉街は主に三つのエリアに分かれている。
最も広いのは『温泉保養区』だ。
前世で日本を旅したときの伝統的な温泉旅館の記憶を手本に、反り屋根を持つ純和風の木造建築を幾棟も設計した。
内装は板張りの床に障子で仕切られた部屋、庭園には石灯籠を配置。
夜になって灯りがともれば、まるで時が止まったかのような風情ある静寂が漂う。
大規模な大浴場は男女別にしっかりと区画し、家族風呂や貸切風呂は、予約すれば午後を丸ごとプライベートに満喫できるようにした。
その隣にあるのが『商業区』だ。
ここには飲食店や工芸品店、観光案内所が集まっている。
湯治にやってくる客の多くは近隣の都市から来る羽振りのいい商人たちで、その購買力は凄まじい。
繁忙期ともなれば、商業区の売り上げは跳ね上がる。
ときおり送られてくる月報の数字を眺めながら、「予想以上に大繁盛してるな」と我ながら驚くほどだ。
あるいは、規模が一番小さいのが『農業区』。
ここでは温泉街の周辺で地元の農産物を栽培し、旅館やホテルで出す食材の一部を賄っている。
まあ、農業区とは名ばかりで、実態は完全なバックヤードの供給機能に過ぎない。
結果は、まさに私の読み通り、大成功だった。
今回の温泉街行きは、もちろん表向きは温泉を楽しむためではなく、商業区と農業区での「社会実習」という名目だ。
宿泊先は、当然ながら私が経営するリゾートホテルの一つ。
身内のホテルなら実質コストだけで泊まれるから、公爵家の経費(というか私の懐)も痛まない。
ちなみに、この実習がうちのクラス限定なのも、理由は極めてシンプル。
この行事の予算は私のへそくりから出ている。
名前も顔も知らない他クラスの連中まで、私の金でタダ旅行に便乗させてやる義理はさらさらないのだ。
発表された瞬間、教室は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
いまや『温泉街』の名はアムニットでも憧れの観光地として有名だが、普通の家庭の生徒にとって、そこに泊まるなんて高嶺の花、夢のまた夢の領域だ。
それが一泊どころか、まるまる七日間。
しかも費用は全額、公爵家が負担すると聞いて。
後ろの席の男子数人は椅子から飛び上がって叫び、前列の女子たちは互いに顔を見合わせた次の瞬間、黄色い悲鳴のような歓声を爆発させた。
隣の教室の先生が「うるさい!」と怒鳴り込んでくるまで、教室の興奮が冷めることはなかった。
フィオナ先生はみんなが静まり返った隙を見逃さず、少しも慌てずに淡々と注意事項を説明し始めた。
そこから先は、私にとってはおなじみの、至福の居眠りタイムの始まりだった。




