表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
186/295

184. 灰燼と、母の温もり

 前世の経験が教えてくれる。


 こういうときに感情的になれば、自分自身を危険に晒すだけだ。


 理性を保ち、目の前の状況を分析しなければならない。


 私は死体の山へ向けて、火球を一つ放り込んだ。


 火球は空に弧を描き、正確に死体の山の上へと落ちた。


 炎は瞬時にあの捩れた骸を呑み込み、パチパチと弾ける音を立てる。


 紫色の肌が高温のなかでたちまち黒く焦げ、さらなる刺激臭を放った。


 私は踵を返し、その吐き気を催す光景から目を背けた。


 視線は天幕の脇にある深い穴へと向かう。


 その深い穴のなかには、粗末な布の衣服と、干し草用の熊手などの農具が積み上げられていた。


 私は穴のそばに歩み寄り、しゃがみ込んで注意深く観察した。


 衣服の大半は粗い麻布で作られていて、色はくすみ、なかには継ぎ接ぎされたものもある。


 熊手の木の柄はすり減り、金属の爪は錆に覆われていた。


 どれもが最もありふれた農具だ。


 農民が暮らしを立てるための、ただの道具だった。


 これらはおそらく、あの徴集兵たちが生きていた頃の持ち物だろう。


 職業兵士なら、熊手を手に戦場へ来たりはしない。


 指先が、一枚の粗末な布の外套をそっと撫でた。


 胸の奥に、言葉にできない感情が込み上げてくる。


 この服の持ち主もまた、かつてはただの農民だったのだ。


 自分の家庭があり、自分の生活があった。


 彼らは無理やり駆り出されたのかもしれないし、あるいはわずかな報酬のためだったのかもしれない。


 だが結局は、この戦争の犠牲になった。


 そしてあの聖水が、あの「改造」とやらが、彼らの身体を怪物に変え、彼らの魂を根こそぎにしたのだ。


 私は拳を握り締めた。


 爪が掌のなかに深く食い込む。


「クローディア」


 母の声が背後から届いた。


 その声音には、かすかな憂いが滲んでいる。


 私は深く息を吸い込み、無理やり自分を落ち着かせた。


 感情に流されている場合ではない。


 やらねばならないことがある。


 陽が中天に差し掛かる頃、敵が本当に去ったことを確認した私たちは、ブレンの関に向けて信号を放ち、戦場の掃討に出てくるよう伝えた。


 一条の銀白色の光の柱が天へと立ち昇り、空に特殊な紋様を描き出す。


 それは私と父との間で決めておいた、「安全だ、出城せよ」という合図だった。


 城門が開き、一隊の兵士たちが父の先導で歩み出てきた。


 彼らはもともと警戒の色を浮かべていたが、あの天幕のなかの光景を目にした瞬間、全員の顔色が変わった。


 ある兵士はその場に膝をつき、激しく嘔吐した。


 ある兵士は立ち尽くしたまま、顔に恐怖と衝撃を張り付かせていた。


 戦場を幾度も潜り抜けた古参兵でさえ、この視覚的な衝撃には耐えきれなかった。


 かろうじて吐き気を堪えられたのは、年長の魔法兵士のごく少数だけだった。


 彼らは黙々と作業を始め、あの死体を一つに集め、まとめて焼却する準備に取り掛かった。


 誰も口をきかない。


 戦場にはただ、足音と、炎の燃えるパチパチという音だけが響いていた。


 母と私は、用意された一張りの天幕のなかに座り、そう遠くない場所から、黒い煙を吐きながら燃え上がる幾つもの火の塊を見つめていた。


 この天幕は臨時に立てられたもので、私たちの休息のために用意されていた。


 なかは簡素で、いくつかの椅子と小さな机があるだけだ。


 机の上には水差しとコップがいくつか置かれているが、誰にも水を口にする気は起きなかった。


 私はそっと頭を母の肩に凭れかけた。


 母は手を伸ばし、そっと私の小さな頭を撫でてくれる。


 母の手は温かく、不思議と心の安らぐ力を持っていた。


 私は目を閉じ、彼女の手の感触に身を任せた。


 胸のなかの恐怖と怒りが、少しずつ静まっていく。


「クローディア、お前たちの世界も, こんなに恐ろしい姿をしていたのか」


 母がそう言った。


 私は目を開け、天幕の外で立ち昇る幾筋もの黒い煙を見つめた。


 あれはみな、命だった。


 かつて生きていた人間だった。


 彼らは家族がいて、友だちがいて、夢があったかもしれない。


 だが今は、みな灰となり、この戦場の風に吹き散らされていく。


 私は首を振って、答えた。


「分かりません。私の身の周りで戦乱は起きませんでした」


「でも、少なくとも私が暮らしていたあの国では、誰もが安心して日々を送ることができました」


「私のように父も母もなく、頼るあてのない人間でさえ、自分の努力で、食べるにも着るにも困らない生活を手に入れることができたんです」


 私は前世を思い出していた。


 あの世界にも戦争や紛争はあった。


 だが、少なくとも私の生きていたあの国では、平和こそが当たり前だった。


 安心して学校に通い、仕事をし、自分の望む人生を追いかけることができた。


 それなのに、ここでは。


 戦争が日常で、死が日常だ。


 普通の人の命は路傍の草のように軽く、いつ戦争の車輪に轢き潰されてもおかしくない。


 私はごく自然に、前世の記憶を母と分かち合っていた。


 自分がこの人たちの娘であることを、心から認められたからかもしれない。


 それとも、二人の愛が変わっていないと感じられたからかもしれない。


 ともかく、私はまるで物語を語るように、このことを母に話した。


「あの世界には、魔法はありませんでした。でも『科学技術』という力があったんです」


 私は静かな声で言った。


「機械で人の力を補い、薬で病気を癒しました」


「貧富の差はありましたけど、少なくとも、誰もが無理やり怪物に改造されるようなことは、ありませんでした」


 母は静かに耳を傾け、その手は変わらず、私の髪をそっと撫で続けていた。


「そうか。じゃあ、今お前がしていることも、ここの人たちに、そっちと同じような暮らしを届けるためなんだな」


 母は私の頭を撫でる手を止めなかった。


 私は頷いた。


 クローディア農場を興し、戦乱から逃れてエリクセン公爵領へ流れ着いた流民を絶え間なく受け入れてきたことも、強力な魔導砲を設計したことも、すべてはこの安らぎの土地を創り、守るためだった。


 私はクローディア農場の流民たちの顔を思い浮かべた。


 彼らは戦争に踏みにじられたさまざまな土地からやってきて、傷だらけの身体と、肉親を失った痛みを抱えている。


 私の農場でなら、彼らは食料を得られる。


 住まいを得られる。


 尊厳を得られる。


 彼らは新しく人生を始めることができる。


 自分の明日が戦場へ駆り出されるかどうかも分からない、そんな心配をしなくてもいい。


 あの魔導砲もそうだ。


 私がそれらを設計したそもそもの念頭には、殺戮ではなく、抑止があった。


 強大な武力で自分の領地を守り、侵略を企む者たちに手出しをさせない。


 技術の力で、戦争のもたらす犠牲を減らしたい。


 そう願ってきた。


 だが、いま思えば、それだけではまだ到底足りない。


 ハインツ、あのグリーン公爵は、聖水で魔人を造り、無辜の人々の命を戦争の勝利と引き換えにした。


 彼の手段は残酷で、効率的で、命の価値をまるで顧みない。


 こんな敵を相手に、単なる防御だけでは足りない。


 もっと強い力必要だ。


 もっと進んだ技術が必要だ。


 私はエリクセン領を、誰も侵そうとは思わなくなるほど、強くしなければならない。


 私は目を閉じ、もうあの吐き気を催す死体を見ないようにした。


 もし機会があるなら、やはり父と母を、あちらへ一度連れて行きたい。


 彼らに、平和な世界とはどんなものかを見せてあげたい。


 生活には戦争と殺戮だけではなく、安寧と幸福もあるのだと、知ってほしい。


 だが、そんな願いは、まだずっと遠くにある。


 戦場の掃討を終えると、私たちはブレンの関へ戻り、父に事の次第を報告した。


 父は私たちの報告を聞き終えたあと、長い間沈黙していた。


 彼の表情は重く、目には複雑な光が揺れている。


 報告を終えると、私は疲れ切った身体を引き摺って自室へと戻った。


 ユーナはすでに部屋の中待っていて、私が入ってくるのを見ると、すぐに駆け寄ってきた。


「どうだった?」


 彼女が気遣わしげに尋ねた。


 私は首を振った。


 何も言わなかった。


 あの恐ろしい詳細を彼女に知らせたくはない。


 少なくとも、今はまだ。


 ユーナは私の疲労を見抜いたのか、それ以上の追及はしなかった。


 彼女はただ黙って私の上着を脱がせてくれ、それから一杯の白湯を差し出してくれた。


「少し休んで」


 彼女はそっと言った。


「もう、たくさん頑張ったから」


 私は頷き、ベッドに横たわった。


 ユーナはベッドの縁に腰掛け、そっと私の手を握ってくれる。


 彼女の手のひらは温かく、柔らかく、何よりも大きな慰めを与えてくれた。


 私たちはすぐに屋敷へ戻ることはせず、さらに一週間ほどブレンの関に留まり、後続の戦闘がないことを確認してから、近衛軍とともに邸へと帰還した。


 この一週間のうちに、ブレンの関は急ピッチで再建と補強の工事が進められた。


 打ち捨てられた大型の装備は回収され、損壊した城壁は修復され、新たな防御工事が建設されていく。


 私は第二世代の魔導陣の最終調整に立ち会い、いくつかの試作品を農場の研究者へと手渡した。


 だが、私の心はどうしても仕事に集中しきれなかった。


 あの魔人の死体の光景や徴集兵たちの遺品が脳裏を離れなかった。


 ハインツはなぜあんなものを置き去りにしたのか。


 示威だったのか、警告だったのか。


 それとも、ただ気にも留めていなかっただけなのか。


 いずれにせよ、一つだけ確かなことがある。


 この戦争は、まだ終わっていない。


 ハインツは一時撤退したに過ぎない。


 彼は必ず戻ってくる。


 そして次は、もっと恐ろしいものを連れてくるかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ