165. 鉄と魔法と、消耗品の人命
グリーン公爵領はエリクソン公爵領よりはるかに豊かである。
税収が多ければ、それだけ多くの職業兵士を雇える。
装備もおのずと充実する。これはまぎれもない事実だ。
私がエリクソン領で施行したいくつかの経済法令によって、税収を以前より一段階押し上げたのは確かだ。
商会の発展、農場の改良、工房の建設。
それらは着実に収入を押し上げてくれた。
だが、海岸線と丘陵、深い森に覆われたエリクソン公爵領に比べれば、一面の平原と河川デルタで構成されたグリーン公爵領の豊かさは、そもそも桁が違う。
向こうの土地は肥沃で耕作に適し、河川は水運の便をもたらし、人口もはるかに多い。
莫大な金を投じて築いたブレン関門の城壁がこれほど頑丈でなければ、突破されるのも時間の問題だっただろう。
「城壁の損傷状況は」
私は傍らに立つ一人の武官に問いかけた。
中年の男で、頬には傷跡が残っていた。歴戦の気配が滲んでいた。
「お嬢様、城壁の損傷は全体のおよそ二割に達しております。主に東側と南側に集中しており、あちらが敵の主攻撃方向でございます」
彼は少し離れた場所にある、補修の痕跡がはっきりと残る城壁を指差した。
「最も酷い箇所では、魔法による砲撃で穴が開きかけました。間一髪のところで土系魔法師が補強いたしましたが」
今も関門の中では、土系魔法師たちが懸命に作業を続けている。
茶色の長衣をまとった者たちは城壁の根元に立ち、手を振るうたびに土や石塊が生き物のように動き、亀裂を埋めていく。
私たちがここへ運び込んだのは、自分たちの身だけではない。
クローディア農場から持ち込んだ「試作品」も一緒だ。
まだ量産には至っていない。あくまで試作段階のものだが、戦場では試作品でも使えるものを使うしかない。
それらは今、関門内の倉庫に保管され、私がじかに選んだ職人と技術者が警備にあたっている。
中には、私自身がまだ確信を持ちきれないものもある。
だが戦争とはそういうものだ。
誰かが最初の一歩を踏み出さねばならない。
「クローディア」
ユーナが不意に私の袖を引いた。
彼女が指差す方へ目を向けた。
遠方の連合軍野営地に、どこか尋常でない動きがあった。
とりわけ大きな天幕が、野営地の後方、森の縁に近い場所にいくつも増設されていた。
そしてその周辺で、黒い法衣をまとった者たちが歩き回っているのが見えた。
その動きが、どうにも奇妙だった。
「あれは何」
ユーナが低い声でたずねる。
私は目を細め、もっとはっきり見ようとしたが、距離が遠すぎた。
「わからない。だが、いいものではないだろうね」
夕陽が地平線の下へ完全に沈み、空が闇へと変わっていった。
遠方の野営地では次々に松明が灯され、その炎が夜のなかで一筋の連なりとなり、あたかも平原に伏した巨大な炎の蛇のようだった。
夜が更け、ブレン関門の内外は静寂に包まれた。だが、誰もが知っていた。これは嵐の前の静けさだ。
――――
翌朝早く、私とユーナは関門内で最も高い望楼に登っていた。
空はまだ完全に明けてはいない。
東の地平線にようやく薄明かりが滲み始めた頃だ。
関門内の兵士たちはすでに動き出していた。
物資を運ぶ者、武器を点検する者、城壁の上で遠くを見つめる者。
それぞれが張りつめた面持ちで、それぞれの務めを果たしていた。
あたりの空気には、張りつめた緊張感が漂っていた。
今日は魔導巨砲による対陸砲撃の初試験である。
この計画を提案した者として、立ち会わないわけにはいかない。
望楼の石段は冷たく、私たちの足音が狭い空間に反響した。
後ろを歩くユーナは、今日も動きやすい皮鎧を着けていた。腰には短剣を差していた。
彼女は直接の戦闘要員ではないが、こういう時は防護を厚くするに越したことはない。
「クローディア、なんだか浮き立っている顔をしている」
ユーナが私の隣に立ち、東の空を眺めながら言った。
「そう見える?」
私は振り返り、彼女の目と視線を合わせて、思わず笑ってしまった。
「まあ、そうかもしれない」
「昨夜、無畏号の海戦報告を受け取ったの」
私は続けた。
「敵の九隻のうち、八隻を沈め、一隻を拿捕した。そのうち六隻が魔導巨砲の直撃、あるいは間接的な効果によって沈んでいった」
ユーナは頷き、目に安堵の色を浮かべた。
「うまくいったのね。設計は間違っていなかったということだわ」
「うまくいった、確かに」
私の声に、ほんの少し複雑なものが混じる。
「ただ一つ残念なのは、進水したばかりの無畏号が全力稼働の末にボイラーを三基とも爆発させ、十数名の機関工が戦死したことだ」
しばしの沈黙。
「それと、無畏号が動力を喪失したため、メイフラワー号、雪風号、それに商船団が丸一日かけて無畏号をレイク港の乾ドックまで曳航したの。今回の大修理は金属系魔法師に協力してもらったとしても、二ヶ月かかる見込みよ。その間、輸送船団が頼れるのはメイフラワー号と雪風号の二隻だけなの。」
ユーナが静かに私の手を握った。
「亡くなった機関工の方たちは……」
「わかっている」
私は息をついた。
「戦争には必ず犠牲が伴う。だが、だからといって、心を痛めなくていいわけではない」
私は遠くの地平線に目を向け、話を続けた。
「ボイラー技術者の調査によると、全力稼働時の蒸気圧力に耐えられなかったのが原因らしい。やはり今のエリクソン公爵領の金属製錬技術では、まだ限界があったということだ」
「農場の者たちには、今回の件を踏まえて冶金技術の改良を要請しなければ」
私は苦笑気味に言った。
「工業の発展は、やはり一歩ずつ進めるしかない。急いては事を仕損じる、というわけだ」
「それでも――今回の無畏号の勝利は、この異世界において無畏級戦列艦の可能性を証明した」
私は気持ちを切り替えて言った。
「もちろん、砲弾がもっと安価な通常のものに切り替えられれば申し分ないのだけれど。なにしろ魔導巨砲に使う大型魔晶石製の砲弾は、価格が馬鹿にならない」
ユーナが眉をひそめた。
「どのくらい高いの」
「この魔晶石はエリクソン公爵領では採掘できない。母の実家、クリスト家を通じてグリンマン帝国産の大型魔晶石を購入するしかない。輸送費込みだと、砲弾一発で金貨十枚になる計算よ」
「金貨十枚!?」
ユーナが目を丸くした。
「それ、ふつうの家庭の三年分の収入じゃない!」
「そう。でも今のエリクソン領の技術水準では、炸裂しない砲身そのものを作るのが難しい。現代式の火砲を作るなんて、まだ夢のまた夢よ。だから当分は、この高くつく方法に頼るしかない」
「当分はそれしかないの」
「当分はね。長い目で見れば、必ず突破すべき技術の壁になる。ただ――」
思考が飛びかけたその瞬間、銅鑼の轟音が鳴り響き、私を現実へと引き戻した。
重く力強い音が、一打一打と空気を打つ。
「敵襲――!」
「敵襲――!」
声が関門内を駆け抜け、兵士たちが各々の持ち場へ走っていった。
武官たちの号令が飛び交った。
ブレン関門に敵軍の来襲を告げる警鐘である。
私は急いで巨砲から目を離し、東の方角を見据えた。
薄明の霧の向こうを透かして見ようとした。
そこに、黒い塊が地平線から浮かび上がってきた。
最初は小さな点、やがて群れとなり、そして潮の波へと変わっていった。
数え切れない人影が、夜明けの光のなかを動いていた。
足音、鎧の触れ合う音、そして低い角笛の響き。
それらが一体となって、見えざる圧力となってブレン関門へと押し寄せてきた。
「これが、この世界の軍陣というものか」
私は思わず独りごちた。目を細めて観察する。
「地球の古代と、ほとんど変わらないわね」
方陣、長槍、盾、後方の弓兵、側翼の騎兵。
どれも中世戦争の典型的な要素だ。
違いといえば、時折、隊列のなかに魔法師が混じり、身体にうっすらと魔力の光を帯びているくらいだった。
ただ、最前列の兵士たちを見て、私は眉をひそめた。
粗末な布をまとった者たちが、干し草の叉を手にしていた。
棒切れに菜切り包丁をくくりつけただけの即席の槍を構えていた者もいる。
陣形は乱れ、足取りも揃っていない。顔には茫然さと恐怖が混ざり合っていた。
見るからに、徴集された農民兵だ。
「農民を先陣に立てるとは……」
私は眉を寄せた。
「敵の総大将は、戦力の低い徴集兵にこちらの火力を消耗させ、後続の正規軍が前に出る地ならしをさせようとしている」
よく知られた戦術である。
残酷ではあるが、有効であるのもまた事実だ。
徴集兵は訓練費用も武装もいらない。
食事さえ与えれば頭数が揃う。
彼らの役割は、敵の遠距離火力を惹きつけ、本物の精鋭部隊のために時間を稼ぐこと。
ただそれに尽きる。
私の隣でユーナが立ち、顔が少し青ざめていた。
「あの人たち、みんな農民なの?」
「そうよ。強制的に徴募された人たちね。地球の中世ヨーロッパでも、私たちのいた時代の古代でも、農民を戦争に駆り出すことはごく当たり前に行われていた」
「ひどい……」
私は何も言わず、ただ観察を続けた。
彼らが一定の距離まで近づいた時、第一城壁上に据えられた数十門の投石機が、群れに向けて一斉射を放った。
「轟――」
数十発の丸い弾が空を切り裂き、夜明けの空に束の間の黒い影を曳いて、徴集兵の陣列へと叩き込まれた。
弾が落ちるたびに、血の筋が刻まれ、土砂が舞い上がり、手足が弾け飛んだ。
悲鳴が響き渡った。
その一瞬で、徴集兵の陣列に数十の空白が生まれた。




