123. 浴室の告白
リビングが瞬時にがらんとした空間へと変わり、俺とユーナ二人きりになった。
空気の中には佐藤さんの体から漂っていた軽いスナック菓子の匂いがまだ残っていて、俺とユーナの体から漂う山茶花の花香と梅の花の体香が混じり合っている。
俺は振り返って、傍らに立つユーナへと向き直った。
馴染みのあるエーリクセン語へと切り替えて、静まり返ったリビングの中で声を響かせた。
「ユーナ、風呂に入らないか? 一日中立ちっぱなしだったし、浸かれば少しは楽になると思うんだが」
ユーナはかすかに頷き、目元にはいくぶんの疲れが滲み出ているが、それでも口調は優しいままだ。
「はい、いただきます」
彼女は確かに疲れている。ただ、ずっと俺の世話で手一杯で、口に出すのを控えていただけなのだ。
以前俺が一度ここに来た際、建物の構造はだいたい把握していたから、慣れた手つきでユーナを連れて浴室へと向かった。
浴室はそれほど広くはないが、掃除は行き届いていて、白いタイルには埃一つない。
ユーナは手早く身につけている侍女服を脱ぎ終え、浴室の入り口にある台の上にきちんと畳んで置いた。
動作は慣れていて無駄がない。
それから彼女は振り返り、優しく俺の身に身につけている軽便なローブを脱がせ始めた。
指先の動きは繊細で、俺に痛みを与えないよう細心の注意を払っている。
今ではもう、このエルフの少女の身体にも慣れてきた。自分の姿を鏡で見ても、最初に転生した時のような戸惑いはもうない。
ただ、時折、前世の平凡で普通だった自分を思い出してしまうだけだ。
それから俺は浴室に入り、湯の蛇口をひねった。
温かい水流がゆっくりとバスタブに注がれ、細かな飛沫が跳ねる。
地球とエーリクセンの文化は異なっているが、浴室の設備に大きな差はない。
どちらにもバスタブとシャワーはあるし、使い方に戸惑うこともあまりない。
バスタブがあるなら、やはりゆっくり浸かって疲れを癒やすほうがいい。
この数日で溜まった疲労も、少しは和らぐだろう。
そう思い、俺は湯加減を調節しながら、湯がバスタブに満ちていくのを待つことにした。
湯が絶え間なく注がれ、蒸気が次第に立ち込めてくる。
浴室の鏡が白く曇り、室内全体が湯気に包まれていく。肌にまとわりつく湿気の感触は、これ以上なく心地よかった。
ちょうどその時、ユーナの声が突然、湯煙を突き破って俺の耳に届いた。
口調はひどく落ち着いていて、一片の揺らぎもない。
『クローディア様は、ずいぶんとおかしいです』
その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
指先が思わず強張り、平静を装おうとしても、体の反応だけは正直だった。
彼女は何かに気づいている。そう悟った。
「湯の蛇口のツマミの向きだって、見なくても正確に開けられるし、ちょうどいい湯加減にもぴたりと合わせられる……」
彼女はゆっくりとバスタブの傍らへと歩み寄った。
白く細い指先が、滑らかなタイルをそっとなぞる。その指には、細かな水滴がいくつも付着していた。
『何もかもが、手慣れたもののように扱えています』
彼女の声はとても小さいが、反論の余地のない確信が滲み出ている。
一つ一つの言葉が、まるで小さな槌のように、俺の胸を打つ。
ユーナの推理はまったくもって正しい。
やはり彼女は、ニナやチャーリーのような、のんびり屋のおっとりした娘たちとは違う。
聡明で、観察力も鋭い。
どんなに些細な違和感でも、彼女の目からは逃れられないのだ。
俺の心の中は慌てふためきでいっぱいだった。
とっさに言い訳をでっち上げてごまかそうとするが、口調はどうしても不自然でぎこちないものになる。
「そ、それは、前に一度ここに来たことがあるからだ。たぶん、その時に細かいところを覚えたんだろう。言葉だって、たまたま少し学んだだけだし……」
『そんな子ども騙しの言い訳で、私を誤魔化そうとしないでください』
ユーナは俺の言葉を遮った。口調は毅然としていて、その目は鋭く、まるで俺のすべてを見透かそうとするかのようだ。
『たった三日間で、どうしてこの世界の言葉を身につけられたり、こんな細かな言い回しの違いまで正確に把握できたりするんですか? 以前こちらにいらした、たった一度の短い時間だけで、そんなことができるはずがありません』
(まったく、お前は子供のくせに、なんでそんなに鋭いんだよ)
俺は心の中で毒づいたが、顔には決して出さず、ただうつむいて、バスタブの中で絶え間なく上昇していく水位を見つめていた。
湯はまだゆっくりと注がれ続けている。
水面に広がる波紋が、青ざめた俺の顔と、微かに震える唇を映し出していた。
俺が懸命に積み重ねてきた嘘も、必死に隠し通そうとしてきた秘密も、今この瞬間、ユーナの鋭い目によって一つ一つ暴かれ、もう隠しおおせるものではなくなっていた。
ここまで見抜かれてしまった以上、これ以上逃げ続け、欺き続けるようなことがあれば、彼女はきっと深く傷つき、そしてきっと、俺のことを嫌いになってしまうだろう。
ユーナは転生後の俺にとって、最も近しい存在だ。
ずっと俺の傍らで守り続けてくれ、決して見放さなかった人だ。もう二度と、彼女を欺いてはいけない。
これ以上、彼女を悲しませてはいけない。
俺は深く息を吸い込み、顔を上げた。目元には、葛藤と諦念が入り混じっている。
「実は、私……」
言いかけた瞬間、滾るような熱さの湯が突然手の甲に跳ね、その熱さに思わず身をすくめた。
指先に、淡く赤い跡が浮かび上がる。
このエルフの身体は、前世よりもずっと温度に敏感だ。
明け方まで働き詰めて、熱々のカップ麺の容器ですら平気で持てた社畜だった頃とは、まるで違う。
俺が勇気を振り絞って「前世の記憶」という言葉を口にしようとした瞬間、ユーナの瞳が瞬時に見開かれた。
顔に浮かんでいた冷静さが一瞬で崩れ、その目には驚きが溢れている。
俺はよくわかっていた。エーリクセンでは、「前世の記憶」などという話は異端として扱われ、審問廷が火刑台に火を灯し、そうした記憶を持つ者を悪魔として処刑してしまうほどの重罪なのだ。
だが今この瞬間、彼女は慌てふためくでもなく、俺を責めるでもなく、ただバスタブの縁をぎゅっと握りしめている。
指の関節は力が入りすぎて白くなり、まるでその固い陶器を粉々にしてしまいそうなほどだった。
その目には、複雑な感情が渦巻いている。
「私には、この星での記憶があります」
俺は深く息を吸い込み、心の底に渦巻いていた不安を押し殺して、ゆっくりとユーナに向かって自分の過去を語り始めた。
前世の俺は、この星で三十年間を過ごした。
頼る者も居場所もない社畜で、毎日あくせくと働き続け、最後は突然の列車事故でこの世を去った。
再び目を開けた時、俺はエーリクセン公爵の娘、クローディア・フォン・エーリクセンになっていた。
俺は隠し立てもせず、誇張もせず、ただ淡々とそれらの過去を語り続けた。
この星への馴染み深さを、転生した後の迷いと覚悟を。
蒸気がユーナのまつ毛の上で冷えて、細かな水滴となっている。
彼女が瞬きをするたびに、水滴は真珠のように転がり落ち、タイルの上で小さな音を立てた。
彼女はじっと目を見開いたまま、身動き一つせずに俺を見つめている。
唇はかすかに結ばれ、その目には驚きと信じられないという思いが満ちている。
そして、かすかな痛みのような色も滲んでいた。
まるで、俺の前世の孤独や苦労を、自分のことのように胸に刻んでいるかのようだ。
浴室の中には、湯の流れ続ける音と、俺たち二人の呼吸だけが残されている。
静寂は、どこか息が詰まるほどだ。
立ち込めた湯気は薄いベールのようで、鏡を曇らせるだけでなく、俺の視界さえもぼやけさせていく。
俺は必死にうつむいたままだった。
白金色の長い髪が胸の前に垂れ下がり、赤く染まった頬を隠してくれている。
声は羽のように軽く、バスタブの中でごうごうと響く水音にかき消されてしまいそうだ。
「私、嫌な奴ですよね……ごめんなさい、ユーナ」
体が抑えようもなく震える。
指先が無意識に、バスタブの中で絶え間なく上昇し続ける湯をかき回していた。
跳ねた飛沫がそっと腕を濡らす。
彼女が俺のことを気味悪く思ったり、嫌いになったりするのが怖い。
これまでのように、これからも俺の傍にいて、世話を焼いてくれることができなくなるのが怖い。
何しろ、俺は男の魂のまま、この女の子の体に押し込められて、彼女と日夜を共にしているのだ。
彼女に体を洗ってもらい、髪を梳いてもらうことさえある。
それを思うたびに、心の底からどうしようもない羞恥が込み上げてくる。
溢れた湯が、俺の足の甲を超えて広がっていく。温かい感触なのに、心の底の冷たさを埋めるには至らない。
ユーナの視線が俺の体に注がれているのを感じる。
彼女は口を開かない。その沈黙がまるで岩のように重く、息が詰まりそうだった。
俺は彼女の目を見ることさえできず、ただ自分の白く華奢な指先を見つめるしかない。
この両手は、繊細で柔らかい。
長年キーボードを叩き続けたせいで少し荒れていた前世のあの両手とは、まったく違う。
この息の詰まるような沈黙に押し潰されそうになった時、ユーナが突然口を開いた。
その口調には、かすかな切実さと、問いただすような響きが混じっていて、それは俺の全身を震え上がらせるのに十分だった。
『どこが嫌なんですか?』
彼女の声が浴室の静寂を破った。
それと同時に、俺の心の底で渦巻いていた自己否定もまた、打ち砕かれた。
俺は羞恥に身を縮こまらせた。
膝を胸に押し付け、白金色の長い髪が腕に絡みついている。
肌を伝って滑り落ちる湯気の粒を感じながら、それが水面に落ちては小さな波紋を広げていく。
「私は、明らかに男の魂なのに……なのに、この女の子の体で、あなたと……」
言いかけて、声が詰まった。
耳の先が燃えるように熱く、脳裏には制御できないほどに過去の光景が次々と蘇ってくる。
ユーナが俺の体を洗ってくれた時の優しい手つき、髪を梳いてくれた時の真剣な眼差し、そして時折からかうように浮かべるいたずらっぽい笑顔。
これまで温かかったそれらの瞬間が、今ではすべて羞恥の源へと変わってしまっている。
俺はまるで詐欺師のようだ。
ユーナの真心を欺き、この体までも欺いている。
次の瞬間、ユーナは突然手を伸ばして、俺の震える肩をしっかりと掴んだ。
彼女の手のひらは温かくて、慌てふためいていた俺の心をいくぶん落ち着かせてくれた。
『でも、私が知っているクローディア様は、ずっと女の子のままです!』
彼女の声には、かすかな震えが混じっている。
それからユーナは、そっと私の両手を自分の掌の中に包み込んだ。
指先で、私の指先を優しく撫でてくれている。
私が顔を上げると、彼女の瞳と視線がぶつかった。
その瞳は、湯気が立ち込める中でも変わらず輝き続けていて、まるで星の光を湛えているかのようだ。
一片の嫌悪や蔑みもなく、ただ溢れんばかりの優しさと真摯さだけが満ちている。
私は、呆然と彼女を見つめていた。
胸の奥が、かっと熱くなる。
ユーナは、私の手を握ったまま、その温かい掌で私の冷え切った指先を包み込んでいる。
彼女の両手は、長年の侍女の仕事で少しだけ硬くなっているけれど、その感触は驚くほど優しかった。
「……ユーナ」
私は、かすれた声で彼女の名前を呼んだ。
喉の奥が熱く詰まって、それ以上、何も言葉が出てこない。
心の底で凍り付いていた何かが、ゆっくりと溶けていくのがわかる。
今までずっと、この体は借り物で、この立場は本来の自分ではないのだと、心のどこかで思い続けていた。
でも、彼女のこの言葉で、私はようやく理解した。
私は、もうとっくにクローディアなのだ。
前世の記憶を持っていようと、中身が元は男の魂であろうと、そんなことは些細なことだった。
この世界で生きてきた十三年、この体で感じてきたすべてが、私という存在を形作っている。
その私を、ユーナはまっすぐに見つめて、認めてくれた。
「ありがとう、ユーナ……ありがとう」
私はただ、それだけを繰り返した。
ユーナは、何も言わずに、ただずっと私の手を握っていてくれた。
「……こんな私で、ごめんね。ずっと前から、本当は話すべきだったんだ。でも、怖くて……それに、私のいた世界じゃ、あんまり格好の良い人生でもなかったから」
私は苦笑しながら、ぽつりぽつりと前世の記憶を補うように話した。
ただの孤独な社畜で、毎日疲れ果てて、死に方も呆気なかったこと。
こことは違って、魔法もなければ、守ってくれる人もいなかった。
「だからね、ユーナがいてくれて、本当に嬉しいんだ。俺……私にとって、ユーナは一番の……」
言葉が尻すぼみに消える。耳の先が、まだ熱い。
ユーナは、ただ黙って私の話を聞いてくれている。
湯気の向こうで、彼女がとても優しい顔をしていることだけは、ぼんやりと見えた。




