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119. もう一つの世界、そして奇妙な約束

 俺は無意識のうちに立ち上がり、よろよろとデスクへと歩み寄った。


 デスクの上に置かれていた鏡には、白金色の長い髪と尖った耳を持つエルフの少女が映っている。


 碧色の瞳、華奢な身形、色白な肌――これは間違いなく、俺の姿だ。


 俺は手を伸ばし、指先で鏡に映る自分をそっと撫でた。


 ひんやりとした鏡面の触感は極めてリアルで、尖った耳の感触さえもはっきりと確かめられる。


「……やっぱり、俺は本当に異世界に転生したんだな」


 俺は小さな声で呟いた。口調にはいくぶんの複雑な思いが混じっている。


 諦念もあれば感慨もあり、それにかすかに認められる迷いも。


 俺はもう二度とこの世界に戻ることはないと思っていた。


 これほど見覚えのある部屋の様式を再び目にすることもないと思っていたのに、まさかこのような形で故郷に戻ることになるとは。


 ちょうどその時、脳内に再びユーナの声が響いた。


 今度は今まで以上に焦りが混じっていて、かすかにだけれども泣きそうな声色さえ帯びている。


『クローディア様!一体どこにいらっしゃるんですか?朝、お部屋に伺ったらどこにもいらっしゃらなくて、執事さんに聞いても足取りが分からないって……何かあったんじゃ……?』


 俺はようやく気づいた。俺とユーナは念話を繋いでいたのだ。


 この魔法は緊急時に、距離や障害物を一切無視して通話することができる。


 考えてみれば、ユーナが朝に起こしに来たとき、俺が部屋にいないことに気づいて、俺の行方を探せなかったとなれば、きっとひどく怯えさせてしまったに違いない。


 何しろ、普段はいつも彼女が起こしに来るのだ。


 突然見当たらなくなれば、彼女があらぬことを想像してしまうのも無理はない。


 俺は精神を統一させ、念話で彼女に応答した。


 口調にはいくぶんの申し訳なさと、それにかすかな不確かさが混じっている。


『ユーナ、慌てないでくれ。俺は無事だ。その……ちょっと別の世界に来てしまったみたいだ。とても奇妙な場所だ』


 実のところ、ここが果たして俺が元々生活していたあの世界なのか、俺にもまだはっきりとは分からない。


 たまたま地球の部屋の様式に酷似した惑星なのかもしれない。


 そもそも異世界が存在しているのだ。


 並行世界がもういくつかあっても、決してあり得ない話ではないはずだ。


『はぁっ?!何をふざけたことをおっしゃってるんですか!』


 ユーナの声には信じがたいといった様子が満ちていて、それにいくぶんの諦念も混じっている。


『クローディア様、からかうのはやめてくださいよ。もうすぐ授業の時間ですよ?また遅刻したら、先生に廊下に立たされちゃいますよ!』


 俺はばつが悪そうに笑い、指先で頬をかいた。


 心の中ではいくぶん慌てふためいている。


 どうして自分が突然ここに現れたのか、俺自身にもさっぱり分からない。


 どうやって戻ればいいのかも。


「は、はい……できるだけ早く戻りますので……」


 俺は適当に返事をして通話を切り、心の中で素早く算段を始めた。


 一体どうやって来たんだ?


 俺は眉間に皺を寄せ、寝る前の出来事を必死に思い出そうとする。


 転送魔法を発動した覚えはないし、何か危険に遭った覚えもない。まさか……。


 俺は突然、このところずっと練習していた転送魔法のことを思い出した。


 もしかして、寝ている間に無意識のうちに魔法を発動させてしまい、うっかりこの見知らぬ世界へと自分自身を転送してしまったのではないか?


 この考えに至った瞬間、俺は一気に活気付いた。


 俺は深く息を吸い込み、心境を整えてから、部屋の中央に立った。目を閉じ、体内の魔力を巡らせる。


 指先に淡い青色の光が滲み出し、心の中で公爵邸の俺の寝室へ戻りたいと念じる。


 魔力が体内で素早く湧き上がるのを感じる。見覚えのある転送感が俺の身体を包み込んでいく。


 パチン、という音と共に、俺の姿はこの見知らぬ部屋から消え失せた。


 目の前に広がっていた光景が一瞬でぼやけていく。


 次の瞬間、俺は「ドボン!」という音と共に、温かい容器の中へと転び込んでいた。


 水飛沫が四方に散り、俺のナイトガウンをずぶ濡れにした。


 俺は無意識に手を上げて顔にかかった水を拭い、目を開けて周囲を見渡した。


 ようやく自分がバスタブの中へ転び込んだのだと気づく。


 幸いにも、ユーナが俺の習慣通りにお湯を準備してくれていたらしく、水温はちょうど良く、冷たくも熱くもなかった。


 俺自身が痛みを感じたわけではないが、全身ずぶ濡れになってしまったのは、いくぶん間が抜けていた。


 その巨大な水飛沫の音は、即座に外にいたユーナの注意を引いた。


 彼女はドアを勢いよく押し開き、慌ただしい足音と共に駆け込んできた。


 だが、俺がずぶ濡れになってバスタブの中に座り込み、髪は乱れたままで、頭をかきながら向こう側で呆れたような笑みを浮かべているのを目にした瞬間――。


「クローディア様!」


 ユーナの声にはいくぶんの拗ねた怒りと諦念が混じっている。


 彼女はバスタブの傍らへと急ぎ足で歩み寄り、片手を伸ばして目を覆ったかと思えば、指の隙間から俺の姿をこっそり覗き見している。


「どうしてバスタブの中に落ちてるんですか?全身ずぶ濡れですよ、また着替えなきゃいけないし、バスルームもめちゃくちゃです……」


 俺は頭をかきながら、申し訳なさそうな笑みを浮かべて見せた。


「ごめんごめん、わざとじゃないんだ。さっき転送魔法を発動して戻ろうとしたら、いきなりバスタブの中に落ちちゃってさ」


 俺はうつむいて、あちこちに散らばった水飛沫と、傍らに水の中へ落ち込んだリキッドソープを眺めやった。心の中ではいくぶん申し訳なさを覚えている。


 あの石鹸は、俺がわざわざユーナのために作ってあげたもので、伝統的な石鹸の代わりとなる、洗濯液のような洗剤だった。


 今は水に浸かって使い物にならなくなってしまったから、捨てるしかない。


 本当にもったいない話だ。


 ユーナは諦念混じりにため息をつき、手を下ろした。


 彼女は手を上げて魔法を発動させる。


 淡いピンク色の光が俺の髪を包み込み、一本一本丁寧に乾かしていく。


 彼女は俺の髪を乾かしながら、頬を膨らませて俺を叱責する。


 その口元はご機嫌斜めで、わざとらしくもう一方の方向へ顔を背けている。


「お嬢様、今日は本当にひどいです!突然いなくなったりして、私を朝っぱらから心配させるなんて……戻ってきたと思ったら、バスルームをめちゃくちゃにするんですか。石鹸まで使い物にならなくなっちゃった。これ、どう償ってくれるんですか?」


 せっかく俺が悪いのだから、俺は姿勢を低くして、あの手この手で彼女の機嫌を直そうと試みるしかない。


 俺は彼女の手首を掴んでそっと揺らし、口調にいくぶんの甘えを混じらせた。


「ごめんってば、ユーナ。俺が悪かったよ。後でまた新しい石鹸を一瓶作ってあげるから、それにユーナの大好きな蜂蜜ケーキを食べに行こうか、どうかな?」


 ユーナの身体がわずかに強張った。


 耳元がさらにいくぶん赤く染まり、口調にはまだ抵抗があるように見えるが、声色の方は柔らかくなっている。


「ふん、それならまだしも。次にもう一度こんなことしたら、もう知らないからね」


 彼女の指先が俺の白金色の長い髪をそっと梳いている。その動作の優しさといったらない。


 着替えを済ませて、俺とユーナがようやくアムニート城の学院へと急いだときには、すでに一限目の授業が始まっていた。


 先生が教室の入り口に立ち、顔色は恐ろしいほど暗く沈んでいる。


 俺たち二人を目に留めると、口調は氷のように冷たかった。


「クローディア、ユナ。せっかく学校に来たと思ったら、この時間に遅刻とは。入り口で一限目全体、立たされてじっくり反省しなさい」


 俺とユーナは顔を見合わせ、諦念を抱えて教室の入り口へと歩き、壁に寄りかかって立つ。


 ユーナはうつむいて、小さな声でぶつぶつと呟いている。


「あなたのせいだよ。あなたが突然いなくなったりしなければ、私たちが立たされちゃうこともなかったのに」


 俺は頬をかきながら、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。


 反論はしなかった――確かに、俺が悪いのだから。


 だが、今の俺の頭の中は全部で朝に行ったあの見知らぬ部屋のことで埋め尽くされていて、反省するどころではなかった。


 俺は壁に寄りかかり、指先で無意識に壁面を叩いていた。


 心の中で素早く思索を巡らせる。


 今のところ、どういうことかだいたい分かってきた。


 きっと俺が寝ている間に、うっかり転送魔法を発動させてしまい、うっかりあの見知らぬ世界へと自分を転送してしまったのだろう。


 突然、ある一つの考えが俺の脳裏を閃いた。それは瞬時に俺を興奮させるものだった。


 もし俺たちがあの世界へもう一度行く方法を見つけ出すことができれば、少しずつ先進技術をこちらへ持ち帰ることはできないだろうか?


 異世界の科学技術は魔力の後ろ盾こそあるものの、多くの分野で非常に遅れている。


 農業、医療、それにいくつかの日用品など。


 もし元の世界の先進技術を持ち帰ることができれば、きっと我々の領地の発展を促すことができるはずだ。


 領民たちにとってより良い日々を過ごさせてあげられるに違いない。


 その考えに至った俺は、我慢できずに傍らに立つユーナを振り返って見た。


 瞳には興奮が溢れている。心の中ですでに決心した。


 今夜、ユーナを連れてもう一度あの世界を覗きに行こう。


 俺はこっそりユーナの腕に触れ、小さな声で言った。


「ねえユーナ、夜の放課後になったら、面白い場所に連れて行ってあげる」


 ユーナは不思議そうに俺を一目見て、目元にかすかな好奇心を閃かせながらも、やはり首を横に振った。


「からかわないでくださいよ。立たされ罰で足りないんですか?それに、明日も学校ですよ」


 俺は笑みを浮かべ、これ以上は口を挟まなかった。


 一限目の時間は、どことなく異常に長く感じられた。


 ようやくチャイムが鳴り、先生が去った後で、俺たちはようやく教室へと戻ることができた。


 一日中、俺は落ち着かない気持ちで過ごしていた。


 頭の中は全部であの知らぬ世界のことで埋め尽くされていて、授業中でさえいくぶん注意散漫だった。


 と言っても、普段からあまり授業を聞いていたわけではないが。


 ようやく放課式を迎え、夕日が西へと傾く。


 金色の陽光が街並みを照らし、俺とユーナの影をずいぶん長く引き伸ばしている。


 俺はユーナの袖を掴んで揺らしながら、顔いっぱいに興奮を浮かべていた。


 一日中の甘い誘いと強引な説得を経て、ユーナはとうに朝の怒りを収めていた。


 ただ、目元にはいくぶんの諦念を帯びているだけだ。


「ねえねえユーナ、言っとくけどさ、今朝は本当に超奇妙な場所に行ってたんだよ!」


 俺は興奮して話しかける。語速もいつもよりいくぶん速い。


「あの場所の部屋の様式は、私たちがいるこことは完全に違うんだ。それに、すごく奇妙なものがたくさんあって、何て説明していいのか自分でもよく分からないくらい。ただなんとなく、どことなく見覚えがあるんだ」


 ユーナは諦念混じりにため息をつき、手を伸ばして俺の髪を撫で回した。


 口調にはいくぶんの寵愛が混じっている。


「はいはい、分かりましたよ。また何か怪しい魂胆を抱えてるんじゃないですか?私たちがあんなに長く一緒にいるんですから。あなたがその口調で話し出したら、たいていろくでもないことになってるんですから」


 ああ、まさか俺の甘えすら効かなくなってるなんて!


 俺は心の中で彼女に文句を言った。


 ユーナは本当にどんどん手ごわくなってきている。


 だが俺は諦めなかった。


 彼女の袖を掴んだまま、今朝あの見知らぬ部屋で見たこと、聞いたことを、詳しく彼女に話した。


 部屋の様式から、デスクの上の奇妙な箱や書物に至るまで、一言も漏らさずに。


 ユーナは話を聞くにつれて、目が次第に輝きを帯び始めた。


 顔に浮かんでいた諦念が消え失せ、代わりに濃い興味が表情を支配している。


 彼女は足を止め、振り返って俺を凝視した。口調にはいくぶんの切実さが混じっている。


「本当ですか?その世界、本当にそんなに奇妙なんですか?それに、お嬢様がおっしゃった那些のもの、全部本当にあるんですか?」


 彼女が興味を示しているのを確認して、俺は即座にいいタイミングを逃さず、興奮して提案した。


「本当に決まってるよ!ねえ、今夜もう一度行ってみない?きっと何か面白いものを見つけて持ち帰れるかもよ!」


 まさか、ユーナは興味深そうな表情を浮かべたままだったにもかかわらず、やはり首を横に振った。口調は毅然としている。


「ダメです。明日も学校に行かなきゃいけないんですよ。また立たされ罰なんてごめんです。それに、今の私たちにはあの場所へ正確に転送する方法も分かってないし、万一何か異変でも起きたらどうするんですか?週末になってからにしましょう。その時には十分な時間がありますし、準備もできますから」


 俺の顔に浮かんでいた興奮が瞬時に引いてしまい、いくぶん落胆してうなだれてしまった。小さな声で言う。


「わかったよ、じゃあ週末まで待つよ。……ねえ、その時はニナたちも一緒に連れて行こうかな。人数が多ければにぎやかだし、何かあった時にも助け合えるし」


 俺の言葉が終わらないうちに、ユーナの目元が瞬時に鋭さを帯びた。


 冷たい目つきで俺を一目ちらりと見た。


 その目つきに怖じ気づいて、俺は慌てて口を閉ざし、大気さえも吸うのが怖くなってしまった。


(……な、何だよ、急に。何か俺、変なこと言った?)


 俺は心の中で不思議に思った。


 変だなあ。普段はみんな割とよく遊んでるのに。


 ニナもチャーリーも友好的なのに、どうしてユーナは彼女たちを誘うと聞いただけで、こんなに怒り出すんだ?


 まさか彼女たちの間で何かあったりしたのかな?


 俺が素直に黙り込んだのを見て、ようやくユーナの目元が次第に柔らかくなっていった。


 顔に満足げな笑みを浮かべ、彼女は手を伸ばして俺の髪を撫で回した。


 それから借りている小屋の方角へと背中を向けて歩き出す。


 去り際、俺には彼女が小さな声でぶつぶつ呟いているのが聞こえたような気がした。


「……バカ。私一人のことを考えてくれないのかよ」


 俺は一瞬だけ呆けてしまった。


 何て言ったのかうまく聞き取れなかった。


 慌てて彼女の後に追いかけ、腕を掴んだ。


「ねえユーナ、さっき何て言った?聞こえなかったよ」


 ユーナの頬がわずかに赤く染まり、首を横に振った。


「何でもないです。早く行きましょうよ。借りている小屋に戻って、私が夕食の準備をしますから。ほら、もうすぐお腹が空いちゃいますよ」


 彼女のいくぶん取り繕ったような背中を眺めながら、俺の心の中ではさらに疑惑が深まっていく。


 だが、それ以上は何も聞かなかった。


 ユーナが今夜行くことを承諾してくれないのなら、週末まで待つしかない。


 だが、それでも構わない。これから数日の間に、借りている小屋の中で、あちらで役に立つ魔導器をもっと作っておこう。


 例えば魔力を蓄える徽章や、言語を翻訳する魔法道具など。


 何しろ、前に行った時は俺にはあちらの言葉が理解できたものの、ユーナには聞き取れなかった。


 万一他の人間に遭った時、コミュニケーションが取れなくて困ってしまうからね。


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