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118. 目覚めた先の見知らぬ天井

 俺はそっと安堵の息をつき、指先に魔力を込めて召喚魔法陣を展開させた。


 淡い青色の魔法光が足元に広がっていく。


 ユーナが俺の傍らに立ち、ピンク色の長い髪にはまだ乾ききらない血の跡が付着していた。


 ユーナは笑みを浮かべ、自ら進んで俺の手を握ってきた。


 指先の温もりが皮膚を通して伝わってきて、俺の心はいくぶん落ち着いた。


 彼女の指先が俺の掌をそっと撫で回しながら、口調にはいくぶんの戯れが混じって、わざとらしく俺をからかう。


「お嬢様、また公爵邸の池に転送しないでくださいね」


 俺の頬がほんのり熱を帯びる。先ほどの狼狽した様子を思い出して、少し恥ずかしげに彼女を睨みつけた。


「その話、持ち出すな!」


 ユーナはさらに楽しげに笑い、目元には狡賢い光が溢れている。


 握った手をそっと揺らして。


「はいはい、私が悪かったですよ~。でもお嬢様がずぶ濡れになった姿は、普段よりずっと可愛かったですけど」


 彼女はそう言いながら、指先でわざと俺の手首をこすりつけ、体からは梅の花の体香が笑い声と共に漂ってきて、俺の心は何だかもどかしい痺れを覚えた。


 だが深くは考えず、ただ彼女がまたいたずらをしているのだと思っただけだ。


 二人は同時に転送陣に踏み込む。


 淡い青色の光が二人を包み込み、目の前に広がっていた戦場の光景が一瞬で公爵邸の見覚えのある彫刻付き廊下へと置き換えられた。


 着地した瞬間、俺の足元がわずかにふらついた。華奢な身形が揺れる。


 魔力切れによる体力の問題ではない。


 さっき転送魔法を発動したとき、予想以上に魔力を消費してしまっていたのだ。


 それに、先ほどグリーンマンランク帝国軍団を召喚したせいで、魔力の大半をほとんど使い果たしていた。


 ユーナは俺のふらつきに気づき、即座に手を握り直して、俺の腕をそっと支えてくれた。


「お嬢様、今回は池に間違えて転送しなかったんですね。褒めてあげないと」


 リビングに足を踏み入れた瞬間、アルフレッドが上座に座っているのが見えた。


 眉間には深い皺が刻まれ、指先が無意識にテーブルを叩いている。


 テーブルの上の茶はとっくに冷めきっていて、どうやら俺をずいぶん長く待っていたらしい。


 彼は俺が入ってくるのを見て、強張っていた肩の力を瞬時に抜き、立ち上がって俺のもとへと歩み寄った。


 目元には隠しきれない心痛が満ちている。


 手を伸ばして俺の髪に触れようとして、それが乱れることを恐れたのか、結局はそっと俺の肩を叩くだけで留まった。


「クローディア、ようやく戻ってきたか」


 俺は心の中で合点がいった。アルフレッドの性分からして、俺とユーナが二つの都市でやり遂げたことを、きっと知っているはずだ。


 俺はわずかに頭を垂れ、口調を淡々と保って言った。


「父上、イスヴァール港のマフィアはすでに綺麗に片付けました。これで、もう庶民を苛める者はいなくなります」


「お前が優れていることは分かっている」


 アルフレッドはため息をつき、俺の手を引いてソファへと歩いた。口調にはいくぶんの諦念が混じっている。


「だが、お前は結局のところ俺の一人娘なのだ。たとえその戦闘力が規格外であっても、俺は心痛むんだよ」


「他の地域の貴族たちは、あの二人の子爵から知らせを受け取って、だいぶ大人しくなっている。これ以上深く追及する必要はない。万一何か異変でも起きたら、お前の母上にどう言い訳すればいい?」


 俺は彼の目元に溢れる憂慮を眺めて、反論はしなかった。


 正直に言えば、俺も確かにいくぶん疲弊していた。身体の負傷ではない。


 何しろ魔力の加護があるから、ほとんど傷一つ負っていない。


 俺が感じているのは心の底からの倦みだ。次々と悪事を働いていた者たちが倒れていく姿を見せつけられ、鮮血が地面を染めていく光景を目の当たりにしてきた。


 たとえ前世で三十年分の人生経験があったとしても、これにはどうしてもいくぶんの憂鬱を覚えずにはいられない。


 父上の言う通りだ。数日ほどじっくり休養したとしても、別に悪いことではないはずだ。


「分かりました、父上」


 俺は頷き、碧色の瞳の奥にいくぶんの諦念を閃かせた。


「数日は家でゆっくり休息を取ります。精力が回復したら、また後続の件に対処するつもりです」


 アルフレッドは俺が承諾したのを見て、ようやく笑みを浮かべた。


 手を伸ばして俺の髪を撫で回し、それから傍らに控えるユーナへと目を向けて、口調をずいぶん柔和にして言った。


「それでこそだ。君たち二人とも、十分に休むんだぞ。この数日はずいぶん苦労したんだろう。そうだ、明日にはまたアムニート城の学院へ授業に戻るといい。あまり長く離れているのも良くない」


 俺のこの年頃の子供というのは、まさに活力に溢れて、交友を広げる時期なのだ。


 父上は俺を彼の傍から離すことを極端に嫌がっているが、それでもこの年頃の子供には同年代の者たちと共に生活してもらいたいと願っているのだろう。


 だから彼は阻むのを諦め、俺にはやはりアムニート学院へ戻って、同年代の者たちと共に過ごさせてやることにしたのだ。


 ユーナはわずかに身をかがめて礼をし、口調を恭しくも従順なものにして言った。


「公爵様、お心遣いに感謝いたします。必ず時間通りに学院へ参ります」


 リビングを後にして、ユーナは相変わらず俺の手をしっかりと握り締めたままだ。


 ピンク色の長い髪が俺の袖口をときどきなぞっている。


 俺の寝室に戻ると、彼女はようやく俺の手を放し、振り返って俺の身にまとっている衣装を脱がせ始めた。


 指先の動作は優しく、俺に痛みを与えないよう細心の注意を払っている。


「お嬢様、そこに少しお座りください。温かいお湯と安らぎの花茶をご用意しますので。飲めばぐっすりお休みになれますし、疲れも癒やされますから」


 俺は彼女の額に滲み出した細かな汗を眺め、手を伸ばして指先でそっとそれを拭い取った。瞳には温かみが満ちている。


「俺は平気だ。ただ魔力を少し使いすぎただけだよ。父上も言っていた、ゆっくり休息を取るってな」


 指先が彼女の温もりを帯びた肌に触れた瞬間、ユーナの身体がびくりと強張った。


 頬が瞬時に淡い紅色に染まり、耳先までピンク色に変わってしまった。


「お嬢様……」


 彼女は小さな声で呟き、目線を泳がせて、俺の目をまともに見ようとしない。


 それでいて、目を離すのが惜しくてたまらないのか、指先で俺の袖口をそっと掴んでいる。


 その力加減は、まるで俺を壊してしまうことを恐れているかのようだ。


「お嬢様もお疲れでしょうから、温かいお湯と安らぎの花茶をご用意しますね。飲めばぐっすりお休みになれます」


 俺は笑みを浮かべて頷き、彼女に袖口を引かせたまま寝室へと歩を進めた。


 白金色の長い髪と彼女のピンク色の長い髪がときどき絡み合い、その触感は柔らかい。


 寝室に戻ると、ユーナは慣れた手つきで温かい水を一杯注ぎ、それから花茶を煮始めた。


 俺はベッドの傍らに腰を下ろし、彼女の背中を眺めながら、心の中で何だか温かいものを覚えた。


 前世では一人きりだった。これほどまでに細やかに世話を焼いてくれる者など、誰もいなかったのだ。


 俺は思わず口を開いていた。


「ユーナ、この数日はお前にずいぶん苦労をかけたな。ずっと付き合ってくれて」


 ユーナは茶を煮る動作を止め、振り返って俺のもとへと歩み寄った。


 俺の目の前にしゃがみ込み、顔を上げて俺を眺める。


「お嬢様、お傍にいさせていただけるだけで、これっぽっちも苦労なんてありません。人を斬ることになろうと、平凡な一日を過ごすことになろうと、ずっとお傍にいて、お守りしたいんです」


 彼女の吐息が俺の頬を撫でる。梅の花の体香が鼻先に漂っている。


 俺は彼女の紅く染まった頬と真剣な眼差しを眺め、心の中でかすかに動かされたものを覚えた。


 だが深くは考えず、ただ彼女がこの俺というお嬢様に対して忠義を尽くしてくれているのだと思っただけだ。


 俺は手を伸ばして、彼女のピンク色の長い髪を撫で回した。口調は優しい。


「馬鹿みたいなこと言うなよ。これから先は、そんなに無理しなくていい。俺がいるんだ、お前のことも守ってみせる」


 ユーナの瞳が瞬時に輝きを帯びた。彼女はそっと俺の掌に顔を擦り付け、口角に甘い笑みを浮かべる。


 瞳の奥に溢れる愛おしさが、あふれ出さんばかりだ。


「はい!お嬢様を信じてます!」


 そう言い終わると、彼女は慌てて立ち上がり、背中を向けて花茶を取りに行く。自分の動揺を誤魔化しながら、声にはわずかに震えが混じっている。


「花、花茶ができました。お嬢様、早く飲んでください。飲めばゆっくり休息できますから」


 俺は花茶を受け取った。温もりが指先から心の底へと広がっていく。


 一口飲むと、清らかな甘みが舌先に広がり、疲労感もいくぶん和らいだ。


 ユーナは俺の傍らに静かに座って付き合ってくれている。


 ときどき手を伸ばして、散らかった長い髪を整えてくれる。その動作の優しさといったらない。


 部屋の空気がどことなく柔和になり、言葉にできない艶かしいものが漂っている。


 だが鈍感な俺は、この優しさの背後に彼女が一言も口にしていない深い想いが隠されていることなど、これっぽっちも気づいていなかった。


 花茶を飲み終えて、ユーナはベッドメイクを整え終え、ゆっくり休息を取るよう俺に言い含めると、名残惜しそうに背中を向けて去っていった。


 扉のところまで来たとき、彼女はもう一度俺を振り返った。目元には未練が満ちている。小さな声で言う。


「お嬢様、何かご入り用があれば、いつでもお呼びください。私、この扉の外で控えておりますから」


 俺は頷き、彼女がそっと扉を閉めるのを見送ってから、ベッドに倒れ込み、すぐに深い眠りへと落ちていった。


 俺は見ていない。扉の外で、ユーナが壁に寄りかかり、自分の熱を帯びた頬を手で覆い隠している姿を。


 口角は抑えきれずに笑みを浮かべ、声を潜めて呟いている。


「お嬢様、ずっとこうしてお傍にいさせていただきたいです……」


 どれくらい眠っていたのか分からない。


 朦朧とした意識の中で、ユーナの声が何度も何度も頭の中で響いていた。


 彼女の声にはいくぶんの焦りが混じっていて、何度も何度も繰り返され、俺の心をざわつかせている。


『クローディア様、どこにいらっしゃるんですか?』


『クローディア様、早く出てきてください!』


 俺は眉間に皺を寄せ、心の中で彼女に文句を言った。


 この娘は本当に落ち着きがないんだから。


 俺は自分のベッドに横たわっているだけなのに、なんでこんなに騒がしいんだ?


 寝ることさえ安らかにならないとは。


 俺は不機嫌そうに身を翻し、布団を頭から被って、その声を外に締め出そうとした。


 だがユーナの声はまるで脳内に刻み込まれたかのように、どうしても払拭できない。


 あまりにも煩くて眠れないので、俺はのろのろとベッドに座り直した。


 眠りの中で目を擦り、指先にはまだ寝起きの倦怠が残っている。


 だが目を開けて、周囲の環境をはっきりと認識した瞬間、全身が強張ってしまった。手の動作も止まる。


 ここは、俺の見覚えのある寝室ではまったくない!


 部屋はそこまで広くない。壁は淡い白色で、シンプルなベッドが一台、デスクが一台、それにクローゼットが一つ置かれている。


 デスクの上には、四角い黒い箱が置かれ、その傍らには表紙に奇妙な図柄が印刷された本が数冊置いてある。


 この部屋の様式は、簡潔でいて見知らぬものだが、どことなく俺には極めて見覚えがある。


 異世界に転生してからすでに十三年が経過しているとはいえ、一目見た瞬間に俺は認識した。


 これは前世で生活していたあの世界の部屋の様式だ。


 一瞬の間、俺は自分が異世界に転生したことなど、すべてが長くも現実味のある夢だったのではないかと錯覚した。


 公爵の娘になったわけでもなければ、ユーナというずっと俺の傍で守ってくれている侍女がいたわけでもない。


 だが、その考えはすぐに脳内から拭い去られた。


 俺の手には、確かにこの異世界で過ごした十三年分の記憶が詰まっている。

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