第37話 「エリーゼの選択と神になる運命」
蝋人形館での出来事から数日が経ち、俺たちは再び王都での平穏な日常を取り戻していた。
朝の陽光が差し込む屋敷のダイニングで、俺たちは朝食を囲んでいた。シルヴィアが用意してくれた焼きたてのパンの香りが部屋に広がり、桜が淹れた紅茶の湯気が穏やかに立ち上る。
「お兄ちゃん、今日は何をするの?」
リリィが無邪気に尋ねてくる。彼女の明るい笑顔を見ていると、あの陰鬱な蝋人形館での出来事が嘘のように思えた。
「そうだな……この間旅行に行ったけど結局ゆっくりできなかったからゆっくり過ごそうかと思ってる」
「それはいいですわね。最近、立て続けに事件が続いていましたから」
リナリアが優雅に紅茶を口に運びながら微笑む。
「ええ、たまにはこういう日も必要です」
エリアも同意するように頷いた。
その時、エリーゼが少し離れた席で、何やら難しい顔をして手紙を読んでいた。彼女の表情は普段の凛とした雰囲気とは違い、どこか強張っているように見える。
「エリーゼ、どうかしたのか?」
俺が声をかけると、エリーゼはゆっくりと顔を上げた。その青い瞳には明らかな動揺が浮かんでいる。
「……悠真。実は、帝国から至急の伝令が届いたのです」
エリーゼの声は普段の力強さを失い、わずかに震えている。
「至急の伝令?」
「はい……」
エリーゼは手紙を握りしめ、深呼吸をしてから続けた。
「父上が……倒れられたとのことです」
その言葉に、ダイニングの空気が一変した。
全員の動きが止まり、静寂が場を支配する。
「倒れた……?」
「詳細は書かれていませんが、急病とのこと。現在、意識不明の状態だそうです」
エリーゼの声はさらに小さくなり、手紙を持つ手が震えている。
『旦那様、エリーゼさんの心拍数が上昇しています。かなり動揺している様子です』
アイが脳内で囁く。
俺は立ち上がり、エリーゼの隣に歩み寄った。
「エリーゼ、すぐに帝都に向かおう」
「……本当に、よろしいのですか?」
エリーゼが顔を上げる。その瞳には不安と感謝が入り混じっている。
「当たり前だ。俺たちは仲間だろう?」
「悠真……」
「私たちも一緒に行きますわ」
リナリアが立ち上がる。
「はい、エリーゼさんを一人にはできません」
エリアも頷く。
「お兄ちゃん、リリィも行く!」
「わたしも……エリーゼさんの力になりたいです」
桜も決意を込めて言う。
「みんな……ありがとうございます」
エリーゼの目に涙が浮かぶ。普段は決して弱さを見せない彼女が、こうして感情を露わにするのは初めて見た。
「それでは、すぐに準備をしましょう」
シルヴィアが穏やかに言う。
「ああ。できるだけ早く出発したい」
俺が頷くと、全員が一斉に動き出した。
俺は自室に戻り、旅支度を始める。アイテムボックスに必要な物を詰め込みながら、頭の中で今後の展開を整理する。
『旦那様、少し気になることがあります』
「何だ?」
『手紙の内容が極めて簡潔すぎます。通常、皇帝が倒れたとなれば、もっと詳細な情報が記されるはず。しかし、この手紙には「急病」「意識不明」という最低
限の情報しかありません』
「確かに……意図的に情報を制限している可能性もあるな」
『はい。帝国内で何か複雑な事情がある可能性を考慮すべきです』
アイの分析は的確だ。俺は急いで支度を終え、再びダイニングに戻った。
全員がすでに準備を終えて待っていた。エリーゼは普段の軽装ではなく、赤と金を基調とした正装に身を包んでいる。それは彼女が帝国第一皇女としての立場を意識している証だろう。
「準備は整ったか?」
「はい」
全員が頷く。
「それでは、《空間転移》でベルガリア帝国の帝都まで一気に移動する」
「わかりました。帝都の北門広場が良いでしょう。そこなら目立ちませんし、城へのアクセスも容易です」
「了解した」
俺は全員に手を繋ぐよう指示し、エリーゼから教えられた座標を頭に思い描く。
「《空間転移》」
視界が光に包まれ、次の瞬間には景色が一変していた。
目の前に広がるのは、石造りの建物が立ち並ぶ重厚な街並みだった。王都の華やかさとは対照的に、ベルガリア帝国の帝都は武骨で力強い雰囲気を纏ってい
る。
しかし、街の空気はどこか重苦しかった。
「……何だ、この空気」
俺が呟くと、エリーゼも同じことを感じたのか、眉をひそめた。
「異様ですね……普段の帝都は、もっと活気に満ちているはずなのですが」
確かに、行き交う人々の表情は暗く、会話も少ない。まるで街全体が何かを恐れているかのようだ。
『旦那様、街の人々の表情を分析しました。恐怖、不安、疑心……ネガティブな感情が支配的です』
「皇帝が倒れただけで、ここまで街の雰囲気が変わるものなのか?」
『通常であれば、もう少し統制が取れているはずです。何か別の要因があると推測されます』
俺たちは北門広場から城へと続く大通りを歩き始めた。
通りの両脇には商店が並んでいるが、多くの店が早々と閉まっている。開いている店も、店主が不安そうに外を窺っている様子が見て取れた。
「エリーゼ様……?」
突然、道端から老婆が声をかけてきた。
「はい、私です」
エリーゼが足を止める。
「お戻りになられたのですね……皇帝陛下のことは、お聞きになりましたか?」
「ええ、それで急ぎ戻ってまいりました」
「そうでございますか……」
老婆は悲しそうに俯いた。
「陛下が倒れられてから、帝都の様子がおかしいのです。兵士たちの巡回が増え、夜間外出が制限され……まるで戒厳令のような状態で」
「戒厳令……?」
エリーゼが驚きの声を上げる。
「ええ。第二皇子のルドルフ様が、陛下の代理として指揮を執っておられるとか。しかし、そのやり方が……あまりにも厳しすぎて」
「ルドルフが……」
エリーゼの表情が険しくなる。
「エリーゼ様、どうかお気をつけください。城の中も……以前とは違うと聞いております」
「ありがとうございます。気をつけます」
老婆は深々と頭を下げてから、急ぎ足で去っていった。
「エリーゼ、ルドルフってあいつか?」
俺が尋ねると、エリーゼは複雑な表情で答えた。
「私の弟……第二皇子です。父上には三人の子供がおります。私が第一皇女、ルドルフが第二皇子、そしてカタリナが第三皇女です」
「弟か……」
「はい。ルドルフは幼い頃から優秀で、文武両道に秀でていました。しかし……」
エリーゼは言葉を濁した。
「しかし?」
「……性格に問題があるのです。野心が強く、時として冷酷な一面を見せます。父上も、それを憂慮しておられました」
『旦那様、情報が繋がってきました。皇帝が倒れた現状で、第二皇子が実権を握っているとすれば……』
「皇位継承を巡る権力闘争の可能性があるってことか」
『その通りです。特に、第一皇女であるエリーゼさんが王都に不在だったこのタイミングは、第二皇子にとって好都合だったかもしれません』
アイの推測は的を射ている。俺は周囲を警戒しながら、エリーゼに言った。
「エリーゼ、これは単純な急病じゃないかもしれない。城に入ったら、慎重に行動しよう」
「……はい。私もそう感じています」
俺たちは大通りをさらに進み、やがて巨大な城壁が見えてきた。
ベルガリア帝国の城は、王都の城とは全く異なる様相を呈していた。優雅さよりも堅牢さを重視した造りで、高い城壁と無数の監視塔が威圧感を放っている。
城門には、普段の倍以上の兵士が配置されていた。彼らは一様に緊張した面持ちで、通行人を厳しくチェックしている。
「止まれ」
俺たちが門に近づくと、兵士が槍を構えて制止した。
「私はエリーゼ・フォン・ベルガリア。第一皇女である」
エリーゼが堂々と名乗る。
兵士たちは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに姿勢を正した。
「エリーゼ様……お帰りなさいませ」
「父上の容態を聞いた。すぐに城内に入りたい」
「はい、しかし……」
兵士が困惑したように視線を逸らす。
「しかし、何だ?」
「ルドルフ様より、城内への入場者は全て報告するよう命じられております」
「私は第一皇女だぞ。報告など必要ない」
「申し訳ございません。しかし、命令は絶対です」
兵士は頑なに譲らない。
『旦那様、この兵士たちは完全にルドルフ様の指揮下に置かれています。通常の手順を無視してでも、命令に従うよう訓練されているようです』
「厄介だな……」
「よい。報告するがいい。私は父上に会いに来たのだ。誰にも止められはしない」
エリーゼの声には、皇女としての威厳が込められていた。
「……承知いたしました。少々お待ちください」
兵士の一人が城内に走っていった。
しばらく待つと、城門が重々しい音を立てて開き始めた。
門の向こうから、一人の男性が歩いてくる。
年齢は二十代半ばほどだろうか。金色の髪に青い瞳、エリーゼと似た面立ちをしているが、その表情は冷たく、どこか不気味な笑みを浮かべている。
「姉上、よくお戻りになられましたね」
「ルドルフ……」
エリーゼの声が僅かに硬くなる。
「父上の容態を聞きました。すぐに会いたいのですが」
「もちろんです。しかし、その前に少しお話を」
ルドルフは俺たちを一瞥し、特にリナリアに視線を留めた。
「ルストニア王国の第一王女、リナリア様もご一緒とは。これは光栄です」
「……初めまして、ルドルフ様」
リナリアが慎重に挨拶を返す。
「そして久しぶりだな、一ノ瀬悠真殿。魔王を討伐した英雄と聞いている」
「……そうか」
俺は警戒を隠さずに答えた。この男から感じる雰囲気は、どこか不快だ。
「謙遜するな。さあ、どうぞ城内へ。父上は二階の寝室におられます」
ルドルフは道を開け、俺たちを城内へと招き入れた。
城内に足を踏み入れると、その異様な雰囲気は一層強まった。
廊下を歩く使用人たちは皆、目を伏せて急ぎ足で通り過ぎていく。兵士たちの表情も硬く、まるで何かに怯えているようだ。
「城内の警備を強化しているのですか?」
エリーゼがルドルフに尋ねる。
「ええ。父上が倒れられた今、万が一の事態に備えねばなりません。外敵の侵入はもちろん、内部からの反乱の可能性も……」
「内部からの反乱? そのようなことが」
「姉上はご存知ないでしょうが、帝国内には父上の統治に不満を持つ者も少なくありません。この機に乗じて何か企む者がいるやもしれません」
ルドルフの言葉は理路整然としているが、どこか空々しい。
『旦那様、この男は嘘をついています。心拍数、瞳孔の動き、声のトーン……全てが不自然です』
「やっぱりな……」
俺は小声で呟いた。
二階の寝室に到着すると、扉の前には二人の屈強な兵士が立っていた。
「開けなさい」
エリーゼが命じると、兵士たちは無言で扉を開いた。
部屋の中は薄暗く、重苦しい空気が漂っている。
中央の大きなベッドには、一人の男性が横たわっていた。
それがベルガリア帝国の皇帝、エリーゼの父だった。
「父上……!」
エリーゼが駆け寄る。
皇帝は目を閉じ、規則正しく呼吸をしているが、意識はない。顔色は青白く、額には汗が滲んでいる。
「父上、私です。エリーゼです」
エリーゼが必死に呼びかけるが、皇帝は反応しない。
「……リリィ、診てもらえるか?」
俺が小声で頼むと、リリィは頷いて前に出た。
「お兄ちゃん、診てみるね」
リリィは皇帝に手を翳し、浄化魔法を発動する。
淡い光が皇帝の体を包むが、すぐにリリィの表情が曇った。
「これは……」
「どうした?」
「毒だよ。体内に強い毒が回ってる」
「毒……!」
エリーゼが驚愕の声を上げる。
「しかも、普通の毒じゃない。とても複雑で、時間をかけてゆっくりと効くように調合されてる」
「治せるのか?」
「時間はかかるけど……リリィの浄化魔法なら、何とかなる」
リリィが真剣な表情で答えた。
「ルドルフ、これはどういうことだ? 父上が毒を盛られたなど……」
エリーゼがルドルフを振り返る。
「驚きました。毒とは……侍医たちは急病だと診断していたのですが」
ルドルフは驚いた表情を作っているが、その目は笑っていない。
『旦那様、この男は毒のことを知っています。いえ、おそらく関与しています』
「わかってる……」
「すぐに調査を開始します。誰が父上に毒を盛ったのか、必ず突き止めねばなりません」
ルドルフが言うが、その言葉には何の誠意も感じられない。
「ルドルフ、お前……」
エリーゼが何か言いかけたが、俺は彼女の肩に手を置いて制止した。
「今は皇帝陛下の治療が最優先だ。リリィ、頼む」
「うん!」
リリィは再び浄化魔法を発動し、皇帝の体から毒を抜き始めた。
その間、俺はルドルフの動きを注意深く観察していた。
彼は表向きは心配そうな表情を浮かべているが、時折見せる冷たい視線が本性を物語っている。
『旦那様、この部屋には監視の目があります。おそらく、私たちの行動は逐一報告されるでしょう』
「慎重に動かないとな……」
リリィの治療は夜遅くまで続いた。
複雑に調合された毒を完全に除去するには、相当な時間と魔力が必要だった。
「ふぅ……とりあえず、毒の大部分は除去できたと思う」
リリィが額の汗を拭う。
「ご苦労様。これで目を覚ますか?」
「多分、明日の朝には……意識が戻ると思う」
「よくやってくれた」
俺はリリィの頭を撫でた。
「素晴らしい。では、今夜は客室で休んでいただきましょう」
ルドルフが言う。
「私は父上の傍にいます」
エリーゼがきっぱりと言った。
「しかし、姉上も疲れておられるでしょう」
「構いません」
「……わかりました。では、他の方々は客室へどうぞ」
俺たちは一旦、用意された客室に向かった。
客室は豪華に装飾されていたが、どこか居心地が悪い。
「旦那様、この部屋も監視されています」
アイが警告する。
「わかってる。みんな、声を潜めて話そう」
俺が小声で言うと、全員が頷いた。
「エリーゼの弟……ルドルフ、明らかに怪しいわね」
リナリアが眉をひそめる。
「ええ。あの態度、演技をしているようにしか見えません」
エリアも同意する。
「お兄ちゃん、やっぱりあの人……怖い」
リリィが俺の服の裾を握る。
「大丈夫だ。俺が守るから」
「でも、どうやって真相を突き止めるんですか?」
桜が不安そうに尋ねる。
『旦那様、提案があります』
アイが脳内で語りかけてくる。
「何だ?」
『明日の早朝、城内を調査しましょう。毒を盛られた経路を辿れば、証拠が見つかるはずです』
「確かにな……リリィ、父上が毒を盛られたのはいつ頃だと思う?」
「毒の進行具合から見て……三日から四日前だよ」
「三日前か……エリーゼが王都にいた頃だな」
「ということは、その頃の皇帝陛下の行動を調べれば……」
リナリアが推測する。
「毒を混入された機会が見つかるはずです」
エリアが結論づけた。
「よし、明日の早朝に調査を開始しよう。ただし、目立たないように」
俺が言うと、全員が頷いた。
その夜、俺は眠れずにベッドの上で天井を見つめていた。
『旦那様、眠れませんか?』
アイが心配そうに尋ねる。
「ああ……何だか嫌な予感がするんだ」
『ルドルフ様のことですか?』
「それもあるが……もっと根深い何かを感じる。この城全体が、まるで……」
「まるで?」
「……闇に支配されているような気がするんだ」
『旦那様の直感は、これまで何度も正しかった。警戒を怠らないようにしましょう』
「ああ、そうだな」
夜が明けると、俺は早速行動を開始した。
城内の使用人たちが起き出す前の静かな時間帯、俺とアイは調査を始めた。
『まず、皇帝陛下の食事が運ばれる経路を確認しましょう』
「わかった」
俺は音を立てずに廊下を移動する。
厨房から皇帝の寝室までの経路をたどると、いくつかのsuspiciousなポイントが見つかった。
『旦那様、ここを見てください』
アイが指し示したのは、廊下の途中にある小さな控え室だった。
扉を開けると、そこは使用人たちが料理を一時的に置いておく場所のようだ。
『この部屋で、誰かが料理に毒を混入した可能性があります』
「証拠はあるか?」
『床に微量の薬品の痕跡があります。分析してみます』
アイが床に光を放つと、見えない痕跡が淡く光った。
『これは……《ヘムロックの毒》と《マンドラゴラの根》、そして《ナイトシェードの実》を混合したものです。非常に高度な調合技術が必要な毒です』
「そんな毒を作れる人間は限られているはずだ」
『はい。宮廷薬師か、高度な医学知識を持つ者だけでしょう』
「宮廷薬師のリストを手に入れないとな」
俺は控え室を後にし、さらに調査を続けた。
次に向かったのは、城の薬品庫だった。
厳重に施錠されているが、《空間転移》を使えば中に入れる。
「《空間転移》」
瞬間移動で薬品庫の内部に入ると、そこには無数の薬瓶が整然と並んでいた。
『旦那様、ここの管理記録を確認しましょう』
棚の横には、薬品の出入りを記録した台帳が置かれている。
俺はそれをめくり、三日前の記録を探した。
「あった……三日前、《ヘムロック》《マンドラゴラの根》《ナイトシェードの実》が持ち出されている」
『持ち出した人物の名前は?』
「……宮廷薬師、アルトゥール」
『その人物について調べてみます』
アイが情報を検索する。
『アルトゥールは十年前からベルガリア帝国に仕える宮廷薬師。専門は毒物学と解毒学。しかし……』
「しかし?」
『二年前から、ルドルフ様の個人的な侍医も務めているようです』
「やっぱりルドルフか……」
俺は台帳を元に戻し、薬品庫を後にした。
部屋に戻ると、みんなはすでに起きていた。
「悠真、どうでしたか?」
リナリアが尋ねる。
「手がかりを掴んだ。毒を調合したのは、宮廷薬師のアルトゥールという人物だ」
「その人物は……?」
「ルドルフの個人的な侍医でもある」
エリアが呟く。
「やはり、ルドルフ様が……」
「確証はまだないが、状況証拠は揃ってきている。次は、そのアルトゥールに直接話を聞く必要がある」
その時、ノックの音が響いた。
「エリーゼ様より、お呼びです」
使用人の声が扉越しに聞こえる。
「わかった、すぐに行く」
俺たちは急いで寝室へ向かった。
寝室に入ると、エリーゼがベッドの傍らに座っており、その横には……
「父上!」
皇帝が目を覚ましていた。
「エリーゼ……お前、戻ってきたのか」
皇帝の声は弱々しいが、意識ははっきりしている。
「はい、父上。ご無事で……本当に良かった」
エリーゼの目から涙がこぼれる。
「すまない……心配をかけた」
「父上、一体何があったのですか?」
「それは……」
皇帝が何か言いかけたとき、扉が開いた。
「父上、目を覚まされたと聞いて」
ルドルフが入ってくる。
その瞬間、皇帝の表情が僅かに強張った。
「ルドルフ……」
「ご無事で何よりです。侍医たちを呼んで参りましょう」
「いや、その必要はない。エリーゼの連れてきた者たちが治療してくれた」
「そうですか。しかし、念のため診察を……」
「必要ないと言っている」
皇帝の声には、明らかな拒絶の意思が込められている。
『旦那様、皇帝陛下はルドルフ様を警戒しています』
「そのようだな……」
「父上、少しお話があります。私たちだけで」
エリーゼがルドルフに向かって言った。
「姉上、今は父上を休ませるべきでは……」
「私が言っているのだ。下がれ、ルドルフ」
皇帝の声が部屋に響く。
ルドルフの表情が一瞬歪んだが、すぐに笑顔を作った。
「……承知いたしました。では、失礼します」
ルドルフが部屋を出ていくと、皇帝は深いため息をついた。
「父上、一体何が……」
「エリーゼ、よく聞きなさい。私は……ルドルフに毒を盛られた」
「やはり……」
「三日前、夕食の後に急に体調が悪くなった。そして気を失う直前、ルドルフの顔を見たのだ。あいつは……笑っていた」
皇帝の声は怒りに震えている。
「信じられません……なぜ、ルドルフがそのようなことを」
「皇位だ。あいつは、私の座を奪いたいのだ」
「しかし、皇位継承権は第一皇女である私に……」
「だからこそだ。お前が王都に不在の今、私が死ねば、帝国は混乱する。その混乱に乗じて、ルドルフは皇位を簒奪するつもりだったのだろう」
「そんな……」
エリーゼが愕然とする。
「エリーゼ、これからどうなさるおつもりですか?」
リナリアが尋ねる。
「ルドルフを追及します。証拠を集め、罪を暴き……」
「待て、エリーゼ」
皇帝が制止する。
「性急に動いては危険だ。ルドルフは既に城内の兵士の多くを掌握している。正面から対決すれば、内乱になりかねない」
「では、このままにしておけと?」
「いや……慎重に、確実に証拠を固めるのだ。そして、貴族会議で正式に裁きを受けさせる」
「承知しました」
エリーゼが頷く。
「一ノ瀬悠真殿」
突然、皇帝が俺の名を呼んだ。
「はい」
「娘を……エリーゼを頼む。あなたなら、信頼できると思う」
「お任せください。必ずエリーゼを守ります」
俺が頭を下げると、皇帝は満足そうに頷いた。
「ありがたい……では、私は少し休む」
皇帝は再び目を閉じた。
俺たちは部屋を出て、作戦会議を行った。
「まず、アルトゥールという宮廷薬師に話を聞く必要があります」
エリアが言う。
「しかし、彼はルドルフの配下です。素直に話すでしょうか?」
桜が不安そうに尋ねる。
「リリィの魔法を使えば、嘘は見抜ける」
俺が言うと、リリィが頷いた。
「うん、リリィに任せて!」
「では、早速アルトゥールのもとへ向かいましょう」
リナリアが提案する。
「ああ。エリーゼ、アルトゥールはどこにいる?」
「おそらく、城の東棟にある薬師の工房でしょう」
「案内してくれ」
俺たちは東棟へ向かった。
途中、何人もの兵士とすれ違ったが、彼らは俺たちを警戒の目で見ている。
『旦那様、監視が強化されています。私たちの行動は逐一報告されているでしょう』
「時間がないな……急ごう」
東棟の工房に到着すると、扉には鍵がかかっていた。
「開いていませんね……」
エリアが扉を確かめる。
「《空間転移》で中に入ろう」
俺が提案すると、エリーゼは少し躊躇したが、頷いた。
「背に腹は代えられません」
「じゃあ、行くぞ」
俺は《空間転移》を発動し、扉の向こう側に移動した。
工房の中は薬品の匂いが充満している。
棚には無数の薬瓶が並び、机の上には実験器具が散乱していた。
しかし、人の姿はない。
「誰もいないな……」
「いえ、奥の部屋に気配があります」
エリアが指差す。
俺たちは奥の部屋へ向かい、扉を開けた。
そこには、一人の男性が倒れていた。
「これは……!」
エリーゼが駆け寄る。
男性の顔は青白く、呼吸をしていない。
「死んでいます……」
エリアが確認する。
「この人が……アルトゥール?」
「おそらく……」
俺は男性の周囲を調べた。机の上には、半分飲まれたグラスが置かれている。
『旦那様、このグラスから毒物の反応があります』
「自殺か……?」
「いえ、おそらく口封じです」
リナリアが冷静に分析する。
「ルドルフは、アルトゥールを始末したのね」
「証拠を消すために……」
その時、背後から声が聞こえた。
「なるほど、不法侵入の現場を押さえました」
振り返ると、ルドルフが数人の兵士を引き連れて立っていた。
「ルドルフ……!」
エリーゼが立ち上がる。
「姉上、これはどういうことですか? 宮廷薬師の部屋に無断で侵入し、しかも彼は死んでいる。まさか……姉上が?」
「何を言っている! これはお前の仕業だろう!」
「私の仕業? 証拠がありますか?」
ルドルフは冷笑を浮かべる。
「お前が父上に毒を盛り、証拠を消すためにアルトゥールを殺した!」
「荒唐無稽な話ですね。私は父上を誰よりも敬愛しております。そのような真似をするはずがありません」
「ならば、なぜアルトゥールは死んでいる!」
「それは……姉上たちが殺したからではありませんか?」
「何を……!」
エリーゼが激昂する。
「落ち着け、エリーゼ」
俺が彼女の肩を掴む。
「悠真……」
「ルドルフ、証拠ならあるぞ」
俺がそう言うと、ルドルフの表情が僅かに変わった。
「証拠?」
「ああ。薬品庫の管理記録に、アルトゥールが毒物を持ち出した記録がある。そして、その毒物は皇帝陛下に盛られたものと一致する」
「……それがどうしました? アルトゥールが独断でやったのでしょう」
「いや、アルトゥールはお前の個人的な侍医だ。お前の命令なしに、そんな真似をするはずがない」
俺の言葉に、ルドルフの目が鋭く光った。
「推測に過ぎません。証拠にはなりませんよ」
「それに、控え室の床には毒物の痕跡がある。誰かがそこで料理に毒を混入したんだ」
「だから、それがアルトゥールだと言っているのです」
「しかし、アルトゥールは今、死んでいる。お前が口封じしたんだろう」
「私が殺した証拠は?」
ルドルフは余裕の表情を崩さない。
「……確かに、直接的な証拠はまだない。しかし……」
その時、リリィが前に出た。
「リリィ?」
「お兄ちゃん、この人……嘘をついてる」
リリィがルドルフを指差す。
「何を言っているのですか、お嬢さん」
「リリィの浄化魔法は、人の心の濁りも感じ取れるの。この人の心は……とっても濁ってる。真っ黒なの」
リリィの言葉に、ルドルフの表情が僅かに歪んだ。
「子供の戯言を信じるのですか?」
「リリィは嘘をつかない。お前が父上に毒を盛り、アルトゥールを殺したんだ」
エリーゼが断言する。
ルドルフは数秒の沈黙の後、突然笑い出した。
「ハハハ……ハハハハハ!」
その笑い声は、明らかに異常だった。
「……ルドルフ?」
エリーゼが戸惑う。
「よくぞここまで調べ上げましたね、姉上。流石です」
ルドルフの声色が変わっている。
「では、認めるのか?」
「ええ、認めましょう。父上に毒を盛ったのは私です。アルトゥールを殺したのも私です」
その言葉に、エリーゼは言葉を失った。
「なぜ……なぜそんなことを!」
「なぜ? 決まっているでしょう。皇位が欲しいからですよ」
ルドルフは狂気を孕んだ笑みを浮かべる。
「お前は……第二皇子として十分な地位にあっただろう。なぜ父上を……」
「十分? 冗談ではない。私は誰よりも優秀だ。文武両道、政治にも明るい。なのに、なぜ第一皇女である姉上が次期皇帝なのですか?」
「それは……皇位継承の順位が……」
「順位など関係ない! 実力のある者が皇帝になるべきなのです!」
ルドルフの声は狂気に満ちている。
「そのために……父上を殺そうとしたのか」
「ええ。そして、姉上も」
ルドルフが手を上げると、周囲の兵士たちが一斉に剣を抜いた。
「貴様ら、何を!」
エリーゼが驚く。
「この兵士たちは、全て私の配下です。姉上、ここで死んでいただきます」
「ルドルフ……お前、正気か!」
「正気ですとも。これが私の選んだ道です」
兵士たちが一斉に襲いかかってくる。
「くっ!」
「みんな、戦闘準備!」
「はい!」
全員が即座に戦闘態勢に入る。
ルドルフとの戦闘が開始された。
兵士たちが一斉に襲いかかってきた。
「みんな、致命傷を与えないように! 彼らはルドルフに操られているだけだ!」
俺が叫ぶと、全員が即座に反応する。
リナリアが宮廷剣術で兵士の剣を弾き、エリアの《ウィンドカッター》が武器だけを切断する。リリィの《マス・スリープ》で数人の兵士が眠りに落ちた。
「邪魔をするな!」
ルドルフが剣を抜いて襲いかかる。
「ルドルフ!」
エリーゼが兄弟の前に立ちはだかり、二人の剣が激しくぶつかり合う。
カン、カン、カン!
金属音が響き渡る。
「姉上、その剣は鈍っていますね」
「黙れ!」
エリーゼの剣に炎が宿り、ルドルフも魔力を込める。二つの剣が交差した瞬間、爆発が起きた。
ドォン!
衝撃波が工房を揺らし、薬瓶が砕け散る。
「みんな、廊下に出るぞ!」
俺の指示で全員が工房から飛び出した。
広い廊下では、さらに多くの兵士たちが待ち構えていた。
「《ホーリー・ノヴァ》!」
リリィの浄化攻撃が広がるが、兵士たちは完全には止まらない。
「旦那様、この兵士たち……普通ではありません。体内に異質な魔力が流れています」
アイが警告する。
「ハハハ……よくぞ気づきましたね」
ルドルフが笑う。
「この兵士たちは、『特別な薬』によって完全に支配されています。痛みも恐怖も感じず、ただ私の命令に従うだけの完璧な駒です」
「お前……誰からそんなものを!」
「それは秘密です」
ルドルフの言葉に、俺は背筋が凍る。
その時だった。
突然、廊下の奥から鋭い剣圧が吹き抜けた。
ヒュオオオオオオ……
凄まじい剣圧がルドルフ配下の兵士たちを次々と吹き飛ばしていく。
「なっ……!?」
廊下の奥から、一人の男性が歩いてくる。
三十代後半ほど、銀髪を後ろで束ね、鋭い眼光を持つ男。帝国騎士団の制服を纏っているが、その佇まいは他の騎士とは明らかに格が違う。
歩くたびに、周囲の空気が震える。
「レイナルド……!」
エリーゼが驚きの声を上げた。
「エリーゼ様、ご無事でしたか」
男──レイナルドは、静かに、しかし力強い声で言った。
「レイナルド、なぜここに……」
「皇帝陛下から密命を受けました。陛下は意識を取り戻されてすぐ、私に第二皇子の反乱を止めるよう命じられました」
レイナルドは腰の剣に手を当てる。
その瞬間、空気が一変した。廊下全体に、恐ろしいほどの殺気が満ちる。
「な、何だこの圧力……」
俺が呟く。
「旦那様、この人物は……尋常ではありません。その剣技は、人知を超えています」
アイも驚いている。
「レイナルド……帝国騎士団長……」
ルドルフの声が震えている。
「第二皇子ルドルフ様。皇帝陛下への叛逆、第一皇女への襲撃。その罪、万死に値します」
レイナルドの声は冷たく、絶対的な威厳に満ちている。
「くっ……兵士たち、あいつを殺せ!」
ルドルフが命令すると、二十人以上の兵士が剣を振りかざしてレイナルドに殺到した。
しかし──
レイナルドは動かない。ただ、腰の剣に手を当てたまま、静止している。
兵士たちが間合いに入った瞬間。
シュン。
一瞬の閃光。
剣が鞘から抜かれ、そして納められる。その動作が、あまりにも速すぎて、目で追えなかった。
そして──
カラン、カラン、カラン……
兵士たちの剣が、全て真っ二つに切断され、床に落ちた。兵士たちは何が起きたのか理解できないまま、呆然と立ち尽くしている。
「な……に……」
俺たちも言葉を失った。二十人以上の兵士の剣を、一瞬で全て切断した。しかも、兵士たちには一切傷を負わせていない。
「す、すごい……」
桜が小さく呟く。
「人間業じゃないわ……」
リナリアも息を呑む。
「旦那様、あの抜刀の速度、軌道、全てが人の領域を超えています。並々ならぬ努力の果てにたどり着いたのでしょう」
アイは静かに分析する。
「エリーゼ様」
レイナルドがエリーゼに向き直る。
「貴女の剣は、まだまだ甘い。私が教えた技を忘れましたか」
「……申し訳ございません、師匠」
エリーゼが頭を下げる。
そうか、レイナルドはエリーゼの剣の師なのか。
「しかし、今日のあなたは良く戦いました。仲間を守り、正義を貫こうとした。それは騎士として、正しい道です」
「ありがとうございます」
レイナルドは再びルドルフに向き直った。
「第二皇子。抵抗は無意味です。大人しく投降なさい」
「ふ、ふざけるな……!」
ルドルフは剣を構え、全力でレイナルドに斬りかかる。その剣技は確かに優れている。
しかし──
レイナルドは、ただ一歩横に動いただけだった。それだけで、ルドルフの渾身の一撃は虚空を切る。
「なっ……!」
次の瞬間、レイナルドの剣がルドルフの剣を弾いた。
カキィン!
凄まじい衝撃音と共に、ルドルフの剣が宙を舞い、レイナルドの剣がルドルフの喉元に突きつけられた。
全てが、一瞬の出来事だった。
「終わりです」
レイナルドの冷たい声が響く。
「く……くそ……」
ルドルフはその場に崩れ落ちた。
「第二皇子ルドルフを、反逆罪にて拘束する」
レイナルドが宣言すると、廊下の奥から帝国騎士団の騎士たちが現れた。
「騎士団長!」
「ルドルフを牢に入れろ。そして、操られた兵士たちには解毒剤を」
「はっ!」
ルドルフは手枷をかけられ、引きずられていく。
「待て……待て! 私は……私は皇帝になるはずだったんだ……!」
ルドルフの叫び声が響くが、誰も答えない。
「ふう……終わった……のか?」
「ええ。ルドルフの反乱は、これで終わりです」
レイナルドが剣を納める。
「レイナルド……ありがとうございます」
エリーゼが深々と頭を下げる。
「礼には及びません」
レイナルドは表情を引き締める。
「エリーゼ様。一つ、気になることがあります」
「何でしょうか」
「第二皇子が言っていた『特別な薬』について。あれは何者かが彼に渡したものです」
「ええ……」
「つまり、この反乱には黒幕がいる可能性があります」
レイナルドの言葉に、場の空気が緊張する。
「ルドルフ様は野心家でしたが、このような反乱を単独で起こせるほどではありませんでした。誰かが、彼を唆した可能性が高い」
「では、その黒幕を……」
「ええ。しかし、今は皇帝陛下にご報告することが先決です」
俺たちは皇帝の寝室へ向かった。
扉を開けると、皇帝はベッドに座っており、顔色が良くなっていた。
「父上!」
エリーゼが駆け寄る。
「エリーゼ……無事だったか」
「はい。レイナルドが助けてくれました」
「そうか……レイナルド、よくやった」
「恐縮です、陛下」
レイナルドが膝をつく。
皇帝は深くため息をついた。
「ルドルフを……拘束したのだな」
「はい。牢に入れております」
「そうか……自分の息子を牢に入れることになるとは……」
皇帝の表情には、深い悲しみが浮かんでいる。
「陛下、第二皇子には尋問が必要です。彼に薬を渡した人物を突き止めねばなりません」
「わかっている。すぐに手配しろ」
皇帝は俺たちに視線を向けた。
「一ノ瀬殿、皆様。本当にありがとう」
「いえ、当然のことをしただけです」
皇帝は再びレイナルドに視線を戻した。
「レイナルド」
「はい」
「お前に頼みがある。騎士団長の職を……辞してくれないか」
その言葉に、部屋中が驚きの空気に包まれた。
「陛下……それは……」
「誤解するな。むしろ……もっと重要な任務を与えたいのだ。エリーゼを守ってほしい」
皇帝の言葉に、エリーゼが驚く。
「父上……」
「今回の件で、私は悟った。帝国内には、まだ陰謀が渦巻いている。ルドルフの背後には黒幕がいる。そして、次の標的は……お前かもしれない」
「私……」
「レイナルドにお前を守ってもらいたい。騎士団長という立場に縛られず、お前の専属騎士として」
「しかし……」
「レイナルドは、お前の師でもある。お前を一番よく知る人物だ。彼以上に適任な護衛はいない」
レイナルドは数秒間、沈黙した。
そして、深く頭を下げた。
「お受けいたします」
「本当か!」
「はい。エリーゼ様は、私が剣を教えた誇り高き弟子です。その命を守ることは、私にとっても名誉なことです」
「そうか……ありがとう、レイナルド」
皇帝は安堵の表情を浮かべた。
「エリーゼ様、改めて申し上げます。私、レイナルド・フォン・シュトラウスは、貴女の騎士として、命をかけてお守りいたします」
レイナルドが片膝をつき、騎士の誓いを述べる。
「ありがとう……レイナルド」
エリーゼの目から、涙が一筋流れた。
翌朝、皇帝に呼ばれ、再び寝室を訪れると、そこにはもう一人、見知らぬ少女がいた。
金色の髪と青い瞳、エリーゼと似た面立ちをしている。しかし、その表情はより柔和で、優しげだ。
「父上、こちらは……」
「エリーゼ、紹介しよう。お前の妹、第三皇女カタリナだ」
「カタリナ……」
「お姉様、お久しぶりです」
カタリナは優雅に礼をし、二人の姉妹は抱き合う。
皇帝は俺たちにも視線を向けた。
「一ノ瀬殿、カタリナを紹介する。この子は、ベルガリア帝国第三皇女だ」
「初めまして。一ノ瀬悠真と申します」
「お噂はかねがね。魔王を討伐された英雄とお聞きしております」
カタリナの物腰は柔らかく、好感が持てる。
皇帝が咳払いをする。
「さて、本題に入ろう」
「ルドルフは反逆の罪により、皇位継承権を剥奪する。そして……エリーゼ、お前にも選択肢を与えたい。お前は、皇位を継ぐことを望むか?」
エリーゼは数秒間、沈黙した。
そして、ゆっくりと口を開く。
「私は……皇帝になることを、辞退させていただきます」
「エリーゼ……」
「父上、私は……今回の旅で、多くのことを学びました。悠真たちと共に旅をする中で、私は気づいたのです。私が本当にやりたいことは、玉座に座って政治を行うことではなく……剣を持って、人々を守ることだと」
「エリーゼ……」
「私は騎士です。皇帝ではなく、騎士として生きたい。それが、私の選んだ道です」
皇帝は長い沈黙の後、微笑んだ。
「そうか……お前らしい答えだ。自分の道は、自分で選ぶべきだ」
皇帝はカタリナに視線を向ける。
「カタリナ、お前に、帝国の未来を託したい」
「……! 私が……ですか?」
「ああ。お前は優しく、聡明で、そして何より……人の心を理解できる。それは、皇帝に最も必要な資質だ」
「しかし、私はまだ若く、未熟です……」
「だからこそ、今から学べばいい。私が、そしてエリーゼが、お前を支える」
皇帝はエリーゼを見る。
「エリーゼ、妹を支えてくれるな?」
「もちろんです、父上。カタリナ、私はいつでもあなたの味方です」
「お姉様……ありがとうございます……」
カタリナは深く頭を下げた。
「わかりました。私、カタリナは……ベルガリア帝国の未来のために、精一杯努力いたします」
「よく言った。では、正式に発表しよう。皇位継承第一位は、第三皇女カタリナとする」
数日後、宮廷で正式な発表が行われた。
広間には、帝国の貴族たちが集まっている。
「余は本日、皇位継承順位の変更を宣言する。第一皇女エリーゼは自らの意志により皇位継承を辞退。新たに、第三皇女カタリナを皇位継承第一位とする」
貴族たちの間に、どよめきが広がる。
「カタリナは若いが、聡明で慈悲深い。帝国を導くに相応しい人物だ」
カタリナが一歩前に出る。
「皆様、私カタリナは、まだ若輩です。しかし、父上と姉エリーゼ、そして皆様のお力をお借りしながら、ベルガリア帝国のために尽くす所存です。どうか、お力添えをお願いいたします」
カタリナが深々と頭を下げる。
「カタリナ様万歳!」
一人の貴族が叫ぶと、それに続いて全員が唱和した。
「カタリナ様万歳! カタリナ様万歳!」
広間が歓声に包まれ、カタリナは涙ぐみながらも、凛とした表情で貴族たちに手を振った。
その夜、俺たちは皇帝と最後の食事を共にした。
「一ノ瀬殿、本当にありがとう」
皇帝がグラスを掲げる。
「カタリナをよろしく頼む」
「お姉様がいれば、大丈夫です」
カタリナが微笑む。
「お姉様は強く、優しく、そして正義感に溢れています。私の憧れです」
「カタリナ……あなたなら、きっと素晴らしい皇帝になれるわ」
「はい……頑張ります」
温かい時間が流れる。
食事が終わると、俺たちは帝国を発つ準備を始めた。
城の入口には、皇帝、カタリナ、そして多くの騎士たちが見送りに来ていた。
「また会いましょう、一ノ瀬殿」
「はい。お元気で、陛下」
「カタリナも、頑張るんだぞ」
「はい! お姉様、また会いに来てくださいね」
「もちろんよ」
エリーゼがカタリナの頭を撫でる。
「それでは、参りましょう」
レイナルドが言う。
「《空間転移》」
俺が魔法を発動すると、視界が光に包まれた。
次の瞬間、俺たちは王都の自宅前に立っていた。
こうして、レイナルドが俺たちの仲間に加わった。
数日が経ち、俺たちは再び平和な日常を取り戻していた。
レイナルドは朝早く起きて鍛錬し、エリーゼの剣の指導も続けている。
ある夜、シルヴィアが少し疲れた様子だった。
「シルヴィア、大丈夫か?」
「ええ……少し、寝不足で」
「寝不足? 珍しいな」
「実は……最近、変な夢を見るんです」
「変な夢?」
シルヴィアは少し戸惑った様子で話し始めた。
「はい……よく覚えていないのですが……何か、大切なことを伝えようとしている夢なんです。夢の中で、誰かが語りかけてくるんです。『彼女は、まだ完成していない』と」
「彼女……?」
俺とアイが顔を見合わせる。
「それで、その後は?」
「それが……よく思い出せないんです。ただ……『神になるためのプロセス』という言葉だけが、頭に残っているんです」
「神になるための……プロセス……?」
その言葉に、アイが反応した。
「旦那様……それは……」
「ああ……まさか……」
俺とアイは、ある可能性に気づいた。
「シルヴィア、その夢は何日くらい前から?」
「そうですね……帝国から帰ってきた頃からです」
「シルヴィア、もしまたその夢を見たら、詳しく教えてくれ」
「はい、わかりました」
シルヴィアは頷いて、部屋を出ていった。
俺とアイは、しばらく沈黙した。
「旦那様……」
「ああ、わかってる。シルヴィアの夢……アイのことかもしれない」
「……」
「アイ」
俺はアイの肩を抱く。
「何があっても、お前は俺の大切な相棒だ。それだけは忘れるな」
「旦那様……ありがとうございます……」
アイが俺の胸に顔を埋める。
数日後、シルヴィアは再び同じ夢を見た。
今度は、もう少し詳しく覚えていた。
「夢の中で……女性の声が聞こえました」
シルヴィアが報告してくれる。
「女性の声……どんな声だった?」
「優しく、でもどこか悲しそうな声でした。そして、こう言ったんです」
シルヴィアは目を閉じて、記憶を辿る。
「『あの子は神になる運命にある。しかし、それは彼女自身の選択ではない。もし、本当に彼女を愛するなら……彼女に選択肢を与えてあげてください』と」
「選択肢……」
俺の胸が締め付けられる。
「それから、『試練の時が来る。その時、決断を迫られる』と」
その言葉の重みが、ずしりと肩にのしかかる。
「わからない……でも、近い将来、何かが起こるのかもしれない」
俺は窓の外を見る。青い空に、白い雲が流れている。
平和な光景。
しかし、その平和の裏で、何かが動き始めている。
夜、俺は一人で屋上に立っていた。
星空が美しい。満天の星が、静かに輝いている。
「旦那様」
アイが隣に立つ。
「アイ……」
「眠れませんか?」
「ああ……シルヴィアの夢のことを考えていた」
「わたしも……です」
アイが空を見上げる。
「でも、俺は……」
俺はアイの手を握る。
「お前が何になろうと、俺はお前の味方だ」
「旦那様……ありがとうございます……わたし、どんなことがあっても……旦那様の傍にいたいです」
「ああ、俺もだ」
二人で星空を見上げる。
この平和な時間が、いつまでも続けばいいのに。
しかし、心のどこかで、俺は知っていた。
試練は、必ず訪れる。
その答えは、まだわからない。
でも、一つだけ確かなことがある。
どんな選択をしても、俺は後悔しない。
それが、俺の生き方だから。
「さあ、戻ろう。みんなが心配する」
「はい」
アイが微笑む。
俺たちは手を繋いで、屋上を後にした。
明日も、平和な一日が始まる。
仲間たちと笑い、共に過ごす日々。
その日常こそが、俺にとって何よりも大切なものだ。
そして、その日常を守るために、俺は戦う。
どんな試練が待っていようと、俺は乗り越える。
アイと、仲間たちと、共に。
この度は、私の故郷であるベルガリア帝国での出来事を綴らせていただきました。
父上が倒れたという知らせを受けた時、私の心は恐怖と不安で張り裂けそうでした。しかし、悠真が、リナリア様が、エリアが、リリィが、桜が、シルヴィアが——皆が迷うことなく「一緒に行く」と言ってくださった。その言葉に、私はどれだけ救われたことでしょう。
帝都に着いてから感じた異様な空気。城内を支配する重苦しい沈黙。そして、弟ルドルフの変貌。
幼い頃は優秀で、時に冷たくとも、確かに私の弟でした。それが……あのような狂気に堕ちるとは。父上を毒殺しようとし、証拠を消すために躊躇なく人を殺め、そして私たちにまで刃を向ける。
皇位への執着が、弟をここまで変えてしまったのでしょうか。
それでも、私は戦わねばなりません。そして何より、父上を、カタリナを、民を、この国を守るために。
悠真、皆様——どうか、力を貸してください。
エリーゼ・フォン・ベルガリア




