第四十一話
編集していたらホームページのメンテナンスに突入してしまい全て消えてしまいました(T ^ T)
俺がエリスの病室に駆け込むと、室内は慌ただしい空気に包まれていた。
ベッドの周囲には医師たちが集まり、何人かが魔道具を操作している。
そして、ベッドの上ではエリスが苦しそうに呼吸を繰り返していた。
「エリス!」
俺は、彼女のそばへ駆け寄った。
「レオン……?」
エリスは、かすかに目を開いた。
しかし、その顔色は昨日よりも明らかに悪い。
頬から血の気が引き、唇も青白くなっていた。
「どうしたんだ?何があったんだ!」
「朝になってから、急に容体が悪化したのです」
医師の一人が、険しい表情で答えた。
「魔力量が急激に低下しています。生命を維持するために必要な魔力が、危険な水準まで減っている可能性があります」
「そんな……!」
昨日、眷属化の準備を進めていたときにも、エリスの魔力は減少していた。
だが、今はそのときとは比べものにならないほど、状況が悪くなっているらしい。
「バクゥ様は?」
「ここにおる」
声がした方を振り返ると、バクゥ様がエリスの手首に触れていた。
いつものような余裕のある表情はない。
険しい顔で、彼女の身体を流れる魔力を確かめている。
「……まずいな」
低い声が、病室に響いた。
「バクゥ様。エリスは……」
「魔力の流出が急激に進んでおる。このままでは、生命を維持するための魔力すら足りなくなる」
「では、眷属化を……!」
俺は、思わず声を上げた。
「昨日、準備が整えば始めるとおっしゃいましたよね?もう始められるのではありませんか?」
「本来ならば、もう少し調整を行うつもりだった」
バクゥ様は、エリスから手を離さずに答えた。
「だが、ここまで急激に状態が悪化するとは予想しておらなんだ」
その言葉を聞き、胸の奥が冷たくなった。
間に合わないのか。
ようやく、エリスを救うための方法が見つかったのに。
このままでは、眷属化を始める前に彼女の命が失われてしまうかもしれない。
「バクゥ様……」
エリスが、かすれた声で呼んだ。
バクゥ様は彼女の顔を見つめた。
「なんだ」
「私……まだ、生きていたいです」
その声は、今にも消えてしまいそうなほど弱かった。
それでも、はっきりと聞こえた。
「レオンと……約束したんです。図書館へ行くって……」
俺は、彼女の手を握った。
「エリス……!」
「だから……お願いです」
エリスは、バクゥ様を見つめた。
「私を、眷属にしてください……」
バクゥ様は、しばらく彼女の顔を見つめていた。
そして、静かに頷いた。
「わかった」
その声には、迷いがなかった。
「これ以上、準備に時間をかけている余裕はない。今から眷属化を始める」
「ありがとうございます……」
「礼は、無事に終わってから言え」
バクゥ様は医師たちを見回した。
「お前たちは、エリスの身体の状態を常に確認しろ。魔力の流れに異常が生じたら、すぐにワシへ伝えるのだ」
「承知しました!」
「それから、部屋の中にある魔道具をすべて起動させろ。ワシの魔力が人間の身体にどのような影響を与えるか、可能な限り記録するのだ」
医師たちが一斉に動き始めた。
俺も、エリスの手を握り直した。
「エリス。俺はここにいるからな」
「……うん」
「絶対に、一緒に図書館へ行こう」
エリスは、ほんのわずかに微笑んだ。
「……約束よ」
俺は、強く頷いた。
眷属化を始めるにあたり、バクゥ様はエリスの上半身を起こし、背中に手を添えた。
医師たちは彼女の身体にいくつもの魔道具を取りつけ、魔力の状態を測定できるようにしている。
ベッドの周囲には、淡い光を放つ魔法陣が描かれていた。
「まずは、ワシの魔力を少量だけ流す」
バクゥ様が説明した。
「人間の身体がドラゴンの魔力を受け入れられるかを確かめる。そこで問題がなければ、少しずつ量を増やしていく」
「わかりました……」
「エリス。何か異常を感じたら、すぐに伝えろ。痛みでも、息苦しさでも、普段とは違う感覚でも構わぬ。決して我慢するな」
「はい」
バクゥ様は、エリスの背中に置いた手へ意識を集中させた。
すると彼の身体から、淡い金色の光が溢れ始めた。
それは、俺がこれまでに見たどの魔法とも違っていた。
強大な魔力が放たれているはずなのに、周囲を圧倒するような威圧感はない。
むしろ、長い年月を生きてきた存在だけが持つ、深く穏やかな力を感じた。
だが、その力がどれほど強大なのかは、俺にもわかる。
目の前にいるのは、ただの魔法使いではない。
人間とは根本的に異なる存在。
エンシェントドラゴンなのだ。
「始めるぞ」
バクゥ様が告げた次の瞬間。
金色の光が、エリスの身体へ流れ込んだ。
「……っ!」
エリスの肩が、小さく震えた。
「エリス!」
「大丈夫……。少し、熱いだけ……」
彼女は、苦しそうに息を吐いた。
バクゥ様は、魔力を流す量を慎重に調整している。
手首に取りつけられた魔道具が光り、医師が数値を確認した。
「魔力の流れに変化が見られます!」
「拒絶反応は?」
「今のところ、明確な異常はありません!」
「よし。もう少しだけ流すぞ」
金色の光が、少しずつ強くなった。
エリスの身体を包み込むように広がり、彼女の胸元へと集まっていく。
その光を見つめていると、俺は不思議な感覚を覚えた。
エリスの身体の中で、何かが変わり始めている。
壊れた器を、無理やり元に戻そうとしているのではない。
器そのものを、別の性質を持つものへと変えているのだ。
「……っ、あ……!」
突然、エリスが声を上げた。
「エリス!」
俺は、彼女の手を握った。
彼女の指が、俺の手を強く握り返す。
「身体が……熱い……!」
「バクゥ様!」
医師が叫んだ。
「魔力の流れが乱れています!急激に上昇しています!」
バクゥ様は、すぐにエリスの身体を確認した。
「くっ……。ワシの魔力を受け入れようとして、傷ついた器が反応しておるのか!」
「中断しますか!?」
「いや、ここで急に止めれば、流れ込んだ魔力が身体の中で行き場を失う!」
バクゥ様の声が、鋭く響いた。
「今は流れを安定させる!医師たちは、エリスの身体に異常が出ていないか確認しろ!エリス、お前の魔力を使い切れ!ワシの魔力を満たすから魔力切れの心配はいらん!お前の魔力を一旦押し出してワシの魔力と入れ替える!」
「はい!」
「わかり……ました……」
俺は、エリスの手を握りしめた。
彼女は、歯を食いしばっている。
体がさらに強く光り、その額から汗が流れ落ちていた。
「エリス、しっかり!」
「……レオン」
「ここにいる!ずっとそばにいるから!」
彼女の瞳が、かすかに揺れた。
「……うん」
俺は、彼女の手を離さなかった。
何もできない。
魔力を操ることも、彼女の苦しみを取り除くこともできない。
それでもせめて、彼女が一人で苦しまなくて済むように。
俺は、彼女の手を握り続けた。
どれほどの時間が経ったのか、わからなかった。
数分だったのかもしれない。
あるいは、もっと長かったのかもしれない。
俺には、ただエリスの苦しむ姿だけが見えていた。
そのとき。
「……おや?」
バクゥ様が、小さく声を漏らした。
「魔力の流れが……」
医師たちも、測定器具を見つめている。
「どうしたのですか?」
俺が尋ねると、バクゥ様は驚いたように目を細めた。
「ワシの魔力が、拒絶されなくなってきておる」
「え……?」
「この娘の身体が、ワシの魔力を受け入れ始めたのだ」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
エリスの身体を包んでいた金色の光が、少しずつ落ち着いていく。
先ほどまで乱れていた魔力の流れも、ゆっくりと安定し始めていた。
「魔力の流れが安定しています!」
医師が声を上げた。
「体温も、先ほどの急激な上昇から落ち着いています!」
「そうか……」
バクゥ様は、慎重に魔力を流し続けた。
「このまま、もう少しだ」
俺は、エリスの顔を見つめた。
彼女の呼吸は、まだ荒い。
それでも、先ほどのような苦しそうな表情は、少しずつ和らいでいた。
「エリス。大丈夫か?」
「……うん」
彼女は、かすかに頷いた。
「さっきより……楽になってきたわ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は胸の奥から込み上げてくるものを感じた。
まだ、成功したわけではない。
それでもほんの少しだけ、希望が見えた気がした。
「よし。では、最後の調整に入る」
バクゥ様が告げた。
彼の手から流れる金色の光が、再び強くなる。
だが、今度はエリスの身体が激しく震えることはなかった。
光は彼女の胸元へ集まり、そこから全身へと静かに広がっていく。
まるで、身体の隅々にまで新しい魔力の流れを刻み込んでいくようだった。
そして、ふっと光が消えた。
「……終わった、のですか?」
俺は、恐る恐る尋ねた。
バクゥ様は、すぐには答えなかった。
エリスの手首に触れ、魔力の流れを確かめる。
胸元へ手をかざし、身体の奥にある魔力の状態を調べる。
その間、俺たちは誰も口を開かなかった。
やがて、バクゥ様がゆっくりと顔を上げた。
「……成功だ」
「!」
その言葉が、耳に飛び込んできた。
「成功……したのですか?」
「ああ。眷属化は成立した」
俺は、思わずエリスを見つめた。
彼女も、驚いたように目を開いている。
「私……」
エリスは、自分の手を見つめた。
指を動かす。
手首を曲げる。
それから、ゆっくりと自分の胸元に手を当てた。
「……何だか、不思議な感じがします」
「どんな感じだ?」
バクゥ様が尋ねる。
「身体の奥に……今まで感じたことのないものがあるんです。温かくて、大きくて……でも、私の中にあるものとは少し違うような……」
「それが、ドラゴンの性質を宿した魔力だ」
バクゥ様は、穏やかに答えた。
「お前の身体は、ワシの魔力を受け入れた。これによって、魔力を蓄える器とそれを支える身体の仕組みが変化したのだ」
医師が、慌てて測定結果を確認した。
「魔力の総量が……増えています!」
「どれくらいだ?」
「正確な比較はまだ必要ですが、眷属化を始める前とは明らかに違います。身体に蓄えられる魔力の量も、先ほどまでより大きくなっているようです!」
その報告を聞き、エリスの母親が口元を押さえた。
「よかった……」
父親も、深く息を吐いた。
「本当に……よかった……」
俺は、エリスの手を握った。
「エリス……!」
彼女は俺を見て、微笑んだ。
「レオン……。私、生きているのね」
「ああ!」
声が震えた。
「ああ、そうだ。君は生きている!」
彼女の手は、まだ少し冷たかった。
けれど、その指には確かな力が戻っていた。
俺は、何度も彼女の手を握り直した。
もう一度、彼女と話ができる。
彼女の笑顔を見ることができる。
そして、これから先も。
少なくとも、今すぐに別れなければならないという状況からは抜け出せたのだ。
それだけで、涙が溢れた。
眷属化が成功してから、しばらくして。
エリスの容体は、少しずつ落ち着いていった。
医師たちは何度も検査を繰り返し、魔力の状態や身体の変化を確認している。
バクゥ様も、彼女の身体を慎重に調べていた。
俺たちは、すぐにでも今後のことを聞きたかった。
けれどバクゥ様は、十分に確認を終えるまで詳しい説明を控えていた。
やがてひと通りの検査が終わると、バクゥ様は俺たちに向き直った。
「まず、安心してよい」
その言葉に、俺たちは顔を上げた。
「眷属化は、無事に成立した。エリスの身体はドラゴンの魔力を受け入れ、魔力を蓄える器も広がっておる。少なくとも、眷属化を行う前のような急激な魔力減少の心配は……ない」
「では、エリスは……!」
「今すぐ命を落とす危険は、ひとまず遠のいたと考えてよい」
俺は、胸を撫で下ろした。
エリスの母親は涙を流し、父親は何度も頷いている。
だが、バクゥ様はそこで言葉を切った。
「ただし、勘違いするな。病気が治ったわけではない」
その言葉に、俺たちは表情を引き締めた。
「器は広がった。ドラゴンの性質を宿したことで、身体が魔力を保つ力も強まった。だが、傷ついた部分が完全に元通りになったわけではない。魔力は今後も漏れ続ける可能性がある」
「……それでは、これからも魔力は減っていくのですか?」
エリスが尋ねた。
「その可能性はある。ただし、今までとは状況が違う。器が大きくなり、身体もドラゴンの魔力に支えられるようになった。以前と同じ速度で魔力が失われたとしても、耐えられる時間は長くなるはずだ」
「どれくらいでしょうか……?」
エリスの母親が、恐る恐る尋ねた。
「少なくとも、あと数年は生きられるだろう。身体がドラゴンの性質にうまく適応すれば、それ以上になることもあるだろう」
「数年……」
母親の目から、再び涙がこぼれた。
それは、昨日までの絶望の涙とは違っていた。
もちろん、何もかも解決したわけではない。
それでも、明日を迎えられる可能性が生まれた。
エリスと一緒に過ごせる時間が、手に入ったのだ。
それは、俺たちにとって何にも代えがたい希望だった。
「……バクゥ様」
エリスが、静かに呼びかけた。
「私は、もう人間ではないのでしょうか?」
その質問に、俺は彼女を見た。
眷属化を行う前から、エリスがそのことを気にしていたのは知っている。
自分の身体が変わること。
これまでの自分とは違う存在になってしまうかもしれないこと。
彼女にとって、それは大きな不安だったはずだ。
バクゥ様は、少しだけ目を細めた。
「いや。お前の身体は、今も人間の身体だ」
「え……?」
「角が生えたり、鱗に覆われたり、ドラゴンの姿へ変わったりするわけではない。少なくとも、今のお前にそのような変化は起きておらぬ。お前の心も、人間としての身体も、そのままだ」
エリスは、自分の腕を見つめた。
白い肌も、細い指も、これまでと変わらない。
彼女の外見には、ドラゴンになったとわかるような変化は見られなかった。
「ただし、魔力の性質とそれを支える身体の仕組みは変わっておる。お前は、ワシの眷属となったのだ」
「……そうなのですね」
「うむ。だからといって、人間としての暮らしを捨てる必要はない。これまでどおり人間の街で暮らし、人間と同じように食事をし、眠ればよい」
その言葉に、エリスの表情が少しずつ和らいだ。
「よかった……」
彼女は、小さく息を吐いた。
「私、これからも本を読をでいいのですね」
「ハッハッハッハッ!むしろ、せっかく命がつながったのだ。読みたい本を存分に読むがよい」
バクゥ様が、豪快に笑った。
俺も、思わず笑みを浮かべた。
「よかったな、エリス」
「うん……!」
彼女は、嬉しそうに頷いた。
その笑顔を見て俺はようやく、眷属化が成功したことを実感できた気がした。
「それから、もう一つ説明しておくことがある」
バクゥ様の声に、俺たちは再び顔を上げた。
「眷属となった者は、ワシと魔力の繋がりを持つ。これは、単に魔力を受け取ったというだけではない。お前の身体には、ワシの魔力の性質が根づいておる」
「魔力の繋がり……」
エリスが呟いた。
「そうだ。今後、お前の身体に何らかの変化が起きたとき、その繋がりが影響することもあるだろう。もっとも、どのような変化が起きるかは、長い時間をかけて見ていく必要がある」
「わかりました」
エリスは、真剣に頷いた。
すると、エリスの父親がふと思い出したように尋ねた。
「バクゥ様。一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「エリスが眷属となったことで、将来、子供を授かることに影響はあるのでしょうか?」
その質問に、俺は思わず息を呑んだ。
エリスの両親も、彼女の未来を考えているのだ。
数年先のこと。
彼女が誰かと家庭を築き、子供を持つ未来。
今の俺たちにとっては、まだ遠い話のように思えた。
だが、彼女が生きていける可能性を得たからこそ、考えられることでもあった。
バクゥ様は、少し考えてから答えた。
「眷属化そのものによって、生殖能力が失われることはない。エリスの身体は人間のままだ。人間として子を授かることも、十分に可能だろう」
母親が、ほっとしたように胸に手を当てた。
「そうなのですね……」
「ただし、病気の影響や、今後の身体の状態については別の話だ。眷属化によって命をつなぐことはできても、すべての問題がなくなったわけではない。その点は、これからも医師たちと相談していく必要がある」
「はい。承知しました」
父親は、深く頷いた。
すると、バクゥ様は続けた。
「そしてもしエリスが子を授かった場合、その子にもワシの魔力の影響が多少なりとも受け継がれる可能性がある」
「子供にも……?」
俺は、思わず聞き返した。
「ああ。エリスの身体に根づいたドラゴンの性質は、魔力の繋がりを通じて子にも影響を与えるだろう。ただし、必ず強い力を持って生まれるという意味ではない。どの程度受け継がれるかは、その子によって異なる」
バクゥ様は、指を一本立てた。
「そして世代を重ねるごとに、その影響は少しずつ薄れていく。人間としての血と性質が受け継がれていくうちに、ドラゴンの影響は徐々に弱まっていく。永遠にワシの性質が強く残り続けるわけではない」
「なるほど……」
俺は、ゆっくりと頷いた。
エリスの子供にも、ドラゴンの魔力の影響が残るかもしれない。
その事実は、少し不思議だった。
だが、決して恐ろしいことではない。
エリスが人間として子供を授かり、その子もまた人間として生きていけるのなら、それは彼女の未来が失われていないということなのだから。
「ゴホンッ。それと、もう一つ」
バクゥ様は、ワザとらしく咳をして俺たちを見回した。
「魔力という意味では、エリスはワシの子供と呼べなくもない」
「……え?」
俺は、思わず間の抜けた声を出してしまった。
エリスも目を丸くしている。
「こ、子供……ですか?」
「そうだ。ワシの魔力を受け入れ、その性質を身体に宿したのだからな。魔力の繋がりという意味では、親子に近い関係とも言える」
バクゥ様は、何でもないことのように言った。
「もちろん、人間の親子と同じというわけではない。ワシとエリスの間に血縁が生まれたわけでもないし、エリスの両親が変わるわけでもない。あくまでも、魔力の繋がりにおいての話だ」
「……そう、なのですね」
エリスは、少し困ったように微笑んだ。
「それでは、バクゥ様のことをお父様と呼んだ方がよいので「ああ、かまわん」しょうか?」
バクゥ様は即答した。
その言い方があまりにも真剣だったので、俺は思わず吹き出してしまった。
「ふふっ……!」
エリスも、小さく笑った。
母親も、涙を拭いながら微笑んでいる。
父親は、呆れたように肩をすくめた。
「私より頼もしい父親ですね」
「そうだろう?」
バクゥ様は満足そうに頷いた。
病室に、久しぶりに穏やかな笑い声が響いた。
ほんの少し前まで、俺たちはエリスを失うかもしれないという恐怖に包まれていた。
それが今、彼女は生きている。
これから先も、まだ一緒にいられる可能性がある。
その事実が、何よりも嬉しかった。
その日の夕方。
検査を終えたエリスは少し疲れた様子ではあったものの、落ち着いて過ごせるようになっていた。
医師からは、しばらく安静にして身体の変化を観察する必要があると言われている。
眷属化が成功したからといって、すぐに以前のような生活へ戻れるわけではない。
魔力が漏れ続ける問題も、依然として残っている。
それでも、今朝のように急激に容体が悪化する危険はひとまず遠のいた。
俺は、ベッドのそばの椅子に座りエリスと向かい合っていた。
「……ねえ、レオン」
「どうした?」
「私、本当に眷属になったのよね」
「ああ。バクゥ様も、そう言っていたからな」
「でも、身体はほとんど変わっていないわ」
エリスは、自分の手を見つめた。
「角もないし、鱗もないし……鏡を見ても、いつもの私なの」
「そうだな」
「何だか、不思議ね」
彼女は、少しだけ笑った。
「これまでの私と、ほとんど変わらないのに……身体の中には、ドラゴンの魔力があるんでしょう?」
「そういうことらしい」
「それに、バクゥ様の子供みたいなものだと言われてしまったわ」
エリスは、困ったように眉を下げた。
「私、どう接すればいいのかしら」
「普通……いいんじゃないか?」
「普通?」
「ああ。バクゥ様はバクゥ様だし、エリスはエリスだ。魔力の繋がりができたからって、急に関係が変わるわけじゃないだろう?」
「……そうね」
エリスは、ゆっくりと頷いた。
そして、俺の顔を見つめた。
「レオンは……怖くないの?」
「何が?」
「私が、人間とは少し違う存在になったこと」
俺は、すぐに答えた。
「怖くないよ」
「本当に?」
「ああ。エリスが人間でなくなったわけじゃない。バクゥ様も、そう説明してくれただろう?」
「うん……」
「それに俺にとって大切なのは、エリスがどんな魔力を持っているかじゃない」
俺は、彼女の手を取った。
「エリスがエリスでいてくれることだよ」
エリスは、じっと俺を見つめていた。
やがて、目元が少し赤くなった。
「……ありがとう、レオン」
「どういたしまして」
「私、まだ怖いこともあるわ。病気が治ったわけではないし、これからどうなるのかもわからない」
「ああ」
「でも……今は、少しだけ安心しているの」
彼女は、俺の手を握り返した。
「明日も、明後日も、その次の日も……レオンや家族と一緒にいれることが嬉しいの」
「……そうだな」
俺は、何度も頷いた。
「これから、たくさんの明日を迎えよう」
「うん」
「一緒に本を読んで、街を歩いて……君がやりたいことを、少しずつ叶えていこう」
エリスは、穏やかに微笑んだ。
「約束よ」
「ああ。約束だ」
俺は、彼女の手をそっと握った。
眷属化は成功した。
エリスは、今も人間として生きている。
ただ、身体の奥にはバクゥ様と繋がるドラゴンの魔力が宿っている。
それは、彼女に与えられた新しい可能性だった。
けれど、俺たちの本当の戦いが終わったわけではない。
魔力が漏れ続ける問題は残っている。
彼女が何年生きられるのかも、まだわからない。
いつか、その器を広げるだけでは足りなくなる日が来るかもしれない。
それでも今、彼女はここにいる。
俺の手を握り、俺に微笑んでくれている。
だから、俺は諦めない。
いつか、彼女の病気を本当に治す方法が見つかるかもしれない。
その日まで、彼女と一緒に生きていく。
まずは、約束した図書館へ。
そして、その先にある未来へ。
俺は、エリスの手を握ったまま静かに微笑んだ。
「エリス。明日、何か読みたい本はある?」
彼女は少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「……ええ。たくさんあるわ」
その笑顔を見ながら、俺は思った。
この笑顔を、これからも守っていこう。
何年先になっても。
彼女が生きていてくれる限り、俺は何度でも、そう願い続けるのだ。
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