第二十六話
ら
目を覚ますと、昨日と同じように朝の光が部屋に差し込んでいた。
カーテンの隙間から見える空は青い。
鳥の鳴き声も聞こえる。
いつもと変わらない朝。
昨日までは、そう思っていた。
けれど今日は、どこか街が騒がしい。
「……?」
ベッドから起き上がり、窓を少し開ける。
すると遠くから、人の声が聞こえてきた。
「何かしら……」
王都の中心部から、普段とは違うざわめきが広がっている。
何人もの人が走っているような音。
馬車の音。
そして、鐘の音。
「……鐘?」
私は思わず眉を寄せた。
王都では、時刻を知らせる鐘が鳴ることはある。
けれど今鳴っている鐘は、いつものものとは違った。
短い間隔で、何度も繰り返されている。
「何かあったの?」
そのとき。
玄関のほうから、激しく扉を叩く音がした。
ドンドンッ。
「エリス!」
聞き慣れた声。
「レオン?」
急いで部屋を出る。
玄関を開けると、そこにはレオンが立っていた。
いつもとは違う。
顔つきが真剣だった。
「レオン、どうしたの?」
「王都に魔物が向かってきている」
「……え?」
私は言葉を失った。
「今、騎士団が迎撃に向かってるらしい」
「魔物って……」
「北東の街道から、大量に来てる」
昨日の夜。
王都へ向かう騎士が見た魔物の集団。
それが、とうとう王都の近くまで到達したのだ。
「数は?」
「詳しくは分からない」
レオンが答える。
「でも、かなり多いらしい」
「……」
胸がざわつく。
「避難は?」
「王都の中心部へ向かうように指示が出てる」
「じゃあ、私たちも……」
「いや」
レオンが首を横に振った。
「エリスはここにいて」
「どうして?」
「まだ完全に体調が戻ってないだろ」
「でも……」
「俺が行く」
その言葉に、レオンを見る。
「レオンも怪我が治ったばかりでしょう?」
「分かってる」
「なら、あなたも行かないで」
「それは無理だ」
「どうして?」
「騎士団から招集がかかってる」
「……」
「俺も王都の騎士だ」
レオンは静かに言った。
「守らなきゃいけない」
その言葉に、私は何も言えなくなった。
レオンは剣を身につけている。
昨日まで治療施設にいたとは思えないほど、いつもの姿だった。
「……無理はしないで」
「ああ」
「絶対よ」
「分かってる」
レオンが苦笑する。
「心配しすぎだ」
「何度でも言うわ」
「分かった」
レオンは少しだけ笑った。
「じゃあ、行ってくる」
「レオン」
「ん?」
「……必ず帰ってきて」
一瞬。
レオンの表情が止まった。
そして。
「ああ」
力強く頷いた。
「必ず帰ってくる」
そう言って、レオンは走り出した。
その背中を、私はただ見つめることしか出来なかった。
「……」
嫌な予感がする。
理由は分からない。
けれど胸の奥が、妙に落ち着かなかった。
そのときだった。
遠くで大きな音が響いた。
ドンッ!
「……!」
地面が僅かに揺れる。
続いて王都の外側から、悲鳴が聞こえた。
「魔物だ!」
「門を閉めろ!」
「急げ!」
人々の叫び声。
騎士たちの怒号。
街の空気が、一瞬にして変わった。
エリスは窓の外を見る。
遠く、王都の北東にある城壁の向こうから、黒い影がいくつも見えた。
「……あれが」
魔物。
数え切れないほどの魔物が、王都へ向かって押し寄せている。
ゴブリン。
オーク。
巨大な狼のような魔物。
そして、その後ろにはさらに大きな影。
「こんなに……」
想像していたよりも多い。
昨日まで、自分たちは普通の日常を過ごしていた。
図書館へ行って。
本を読んで。
明日の昼食の話をして。
そんな時間が、まるで遠い昔のことのようだった。
城壁の上では、騎士たちが弓を構えている。
「放て!」
一斉に矢が放たれた。
空を埋め尽くすように飛んでいく。
魔物の群れへ突き刺さる。
何体もの魔物が倒れた。
けれど、後ろから次々と魔物が押し寄せてくる。
「多すぎる……」
エリスは呟いた。
そのとき、遠くから魔法が放たれた。
巨大な炎が魔物の群れへ落ちる。
轟音。
炎が地面を走り、多くの魔物を巻き込んだ。
「……!」
王都の魔法兵だ。
次々と魔法が放たれていく。
それでも、魔物の数は減っていない。
「どうして……」
エリスは窓から離れた。
そして自分の胸に手を当てる。
嫌な予感が、どんどん強くなっていた。
「レオン……」
同じ頃。
王都北側の城壁。
「来るぞ!」
騎士の声が響く。
レオンは剣を握っていた。
「大丈夫ですか?」
隣の騎士が尋ねる。
「ああ」
レオンは頷いた。
「問題ない」
そして前を見る。
魔物の群れが迫っていた。
「全員、迎撃準備!」
騎士団長の声が響く。
「王都を守れ!」
「おお!」
一斉に騎士たちが動き出した。
城壁の門が開く。
前線の騎士たちが外へ出ていく。
レオンもその中にいた。
「レオン!」
背後から声がする。
振り返ると、同じ隊の騎士だった。
「無茶するなよ!」
「分かってる!お前もな!
「お前、昨日まで治療施設だっただろ!」
「だからっていつまでも寝てるわけにはいかないだろ!レオン様、完全復活だ!」
「……お前らしいな」
騎士が苦笑する。
レオンも笑った。
「また会おう!」
そして魔物の群れへ向かって走り出した。
剣を抜く。
一体目。
振り下ろされた爪を避ける。
「はっ!」
剣を横に振る。
魔物が倒れる。
続いて二体目。
三体目。
次々と襲いかかってくる。
「くっ……!」
レオンは剣を振る。
「まだ……!」
魔物の攻撃を受け流す。
反撃。
また次。
数が多すぎる。
「こんなにいるのかよ……!」
レオンは息を切らしながら呟いた。
そのとき、巨大な魔物が目の前に現れた。
「……!」
オークよりもさらに大きい。
巨大な腕が振り下ろされる。
レオンは横へ飛んだ。
地面が砕ける。
「危なっ……!」
立ち上がっても、膝が僅かに揺れる。
その瞬間、魔物が再び腕を振り上げた。
「レオン!」
仲間の騎士が飛び込んできた。
魔物の攻撃を盾で受け止める。
「今だ!」
「ああ!」
レオンは剣を握り直した。
そして、魔物の懐へ飛び込む。
「これで……!」
剣が深く突き刺さった。
巨大な魔物が倒れる。
「はぁ……」
レオンは息を吐いた。
「大丈夫か?」
「ああ」
そう答えた直後。
王都のほうから、大きな爆発音が響いた。
ドォンッ!
「……!」
レオンが振り返る。
「何だ?」
城壁の一部が崩れている。
「まずい!」
魔物の一部が城壁を突破した。
「王都の中へ入られるぞ!」
騎士たちが叫ぶ。
レオンの表情が変わった。
「急げ!」
王都へ戻る。
けれどすでに何体もの魔物が街へ侵入していた。
人々が逃げ惑う。
「子供を先に!」
「こっちへ!」
「騎士団が来るまで耐えろ!」
街中が混乱していた。
その中でエリスもまた、家の外へ出ていた。
「……」
王都の中心部へ避難するように言われている。
けれど足が動かなかった。
街の向こうから、人々の叫び声が聞こえる。
そして魔物の気配。
「レオン……」
胸が締め付けられる。
約束した。
必ず帰ってくると。
でも、何があるか分からない。最悪のケースも考慮しておく必要があった。
「……」
目を閉じて、自分の中にある魔力を感じる。
昨日、治癒魔法士から、無理をしないように言われた。
自分自身も分かっている。
まだ身体は完全ではない。
魔力も十分に戻っていない。
それでも。
「……行かなきゃ」
私はただガムシャラに走り出した。
向かう先は王都の北側。
レオンがいる場所だった。
街角を曲がったところで。
「危ない!」
声がした。
振り返ると、魔物がこちらへ向かっていた。
「……!」
間に合わない!
魔物の爪が振り下ろされる。
その瞬間。
「エリス!」
聞き慣れた声。
レオンが飛び込んできた。
剣で魔物の攻撃を受け止める。
「レオン!」
「どうしてここにいる!」
「あなたを探しに来たの!」
「ここは危険だ!早く王都の避難所へ!」
「レオンだって!」
二人は顔を見合わせる。
「……無事だった」
「うん」
「よかった……」
レオンが小さく息を吐く。
その直後。
背後から、また魔物の気配がした。
「まだ来る!」
「分かってる!」
二人は並んで構えた。
魔物が襲いかかる。
レオンが前へ出て、魔法を放つ。
巨大な炎の渦が魔物を吹き飛ばす。
二人は背中を合わせた。
以前ならこんな状況になるなんて考えもしなかった。
でもレオンが近くにいる。それだけで、不思議と心強かった。
「エリス!絶対に俺から離れるな!」
「それは私の台詞よ!」
「……これ、いつまで続くんだ?」
レオンが息を切らす。
「分からないわ」
その他王都の中心から、巨大な魔力が放たれた。
空が一瞬、白く光る。
「何……?」
空を見上げると、王都を守るための結界魔法だった。
けれどその結界に魔物の群れが次々とぶつかっていく。
バチバチと音を立てながら、結界が揺れる。
「結界が……」
レオンが呟く。
「持たないかもしれない」
「……」
このままでは王都が危ない。
多くの人が傷つく
「エリス?」
レオンがこちらを見る。
「どうした?」
「……ううん」
エリスは首を振った。
けれど、胸の奥で何かが決まっていた。
自分に何ができるのか。
誰かを助けられる力があるのなら。
使わない理由はなかった。
「レオン」
「ん?」
「私、行くわ。怪我をした人たちのところへ」
「……!」
「このままじゃ、たくさんの人が傷つく」
「でも、エリスは……」
「大丈夫無理はしないわ」
その言葉を聞いたレオンは、少しだけ困ったように笑った。
「それ、俺が昨日言われたやつだな」
「そうね」
「……分かった」
レオンは頷いた。
「でも、絶対に無茶するな」
「レオンもね」
「ああ」
二人は一度だけ顔を見合わせた。
そしてそれぞれ別の場所へ走り出した。
王都を襲う魔物の群れ。
逃げ惑う人々。
戦い続ける騎士たち。
そして傷ついていく人々。
その光景を見ながら、自分の中にある魔力へ、静かに手を伸ばした。
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