第二十三話
それから数日。
王都は、少しずついつもの日常を取り戻していた。
城門前で起きた騒ぎも、討伐隊が戻ってきたことも、街の人々にとってはすでに過ぎた出来事になりつつある。
けれど、エリスたちにとってはそうではなかった。
あの魔物のこと、そして古い遺跡のこと。
隊長たちは現在も調査を続けているらしい。
ただし、エリスとレオンにはまだ詳しいことは知らされていなかった。
「……暇だな」
医療施設の窓から外を眺めながら、レオンが呟いた。
「そうね」
エリスも頷く。
「でも、昨日まで何だかんだずっと寝ていたでしょう?」
「それはそうだけど」
「なら、そのままもう少し大人しくしていなさい」
「エリスまで父上みたいなこと言うなよ」
「ふふっ」
エリスは小さく笑った。
レオンの怪我は、すでにほとんど……いや、完全に治っている。
エリスの魔法によって、傷そのものも塞がっていた。それでも、異常な魔力の影響が残っている可能性があるため、念のためしばらく経過を見ることになっていた。
「エリスは?」
「私?」
「ああ。もう身体は平気なのか?」
「うん」
エリスは自分の手を見た。
「魔力も、ほとんど戻ったわ」
「本当に?」
「本当よ」
「無理してない?」
「それ、私がこの前レオンに言った台詞じゃない?」
「……それもそうだな」
二人は顔を見合わせる。
そして。
「ふふっ」
「ははっ」
自然と笑い声がこぼれた。
こうしていると、あの出来事が少しだけ遠いものに感じられる。
けれどエリスの中には、まだはっきりと残っていた。
レオンについていた『魔物の残滓』に触れたときに感じた、あの奇妙な力。
自分の魔法と、どこか似ていた。
あれはいったい何だったのだろう。
「……エリス?」
「え?」
「どうした?ボーっとしてたぞ?」
「ううん」
エリスは首を横に振った。
「少し考え事をしていただけ」
「遺跡のこと?」
「……うん」
レオンは少し黙った。
「俺も気になってる」
「そうよね」
「でも、今は隊長たちに任せるしかない」
「ええ」
レオンは窓の外を見る。
「それに」
「?」
「俺たちが勝手に動いたら、また怒られるだろうし」
「……たぶん、いえ、間違いなくそうでしょうね」
「父上とか隊長とか」
「全員から怒られるわね」
「だよな」
レオンが苦笑する。
エリスも笑った。
すると、レオンが少しだけ真面目な顔になった。
「でも、エリス」
「何?」
「もし何か分かったら、ちゃんと教えてくれ」
「……分かったわ」
「一人で抱え込むなよ」
「うん」
エリスは頷いた。
以前の自分なら、きっと一人で何とかしようとしていた。
自分の力のことだから。
誰かを巻き込むのが怖かったから。
けれど今は少なくとも、レオンには話していいと思える。
「ありがとう」
「何が?」
「……何でもない」
「?」
レオンは不思議そうな顔をした。
そのとき、扉が軽く叩かれた。
「失礼します」
入ってきたのは、昨日の治癒魔法士だった。
「お二人とも、お元気そうですね」
「はい」
「俺はそろそろ退院できそうか?」
「駄目です」
「即答……」
レオンが肩を落とす。
「ですが、明日には問題ないでしょう」
「本当か?」
レオンの顔が明るくなった。
「やった」
「ただし」
「……まだあるのか?」
「学院へ戻られても、しばらくは激しい運動は禁止です」
「へえへえ、分かりましたよー」
「エリス様もです」
「私も?」
「当然です」
エリスは少し困ったように笑った。
「分かりました」
「お二人ともかなり無理をされていますから」
治癒魔法士は二人を見た。
「身体が治ったからといって、すぐに元通りとは限りません」
「はい」
エリスは素直に頷いた。
「それと」
治癒魔法士はエリスを見る。
「エリス様に、お渡ししたいものがあります」
「私に?」
「はい」
治癒魔法士は、小さな封筒を取り出した。
それは少し古びたものだった。
「昨日の治療記録を整理していたところ、古い資料の中に気になる記述がありました」
「古い資料?」
「はい」
エリスは封筒を受け取った。
「内容については、私も詳しくは分かりません。ただ……」
治癒魔法士は少し言葉を選んだ。
「昨日、エリス様が使われた魔法を見て、念のため確認しておこうと思ったのです」
エリスの胸が、少しだけ高鳴った。
「何が書いてあるんですか?」
「それは、ご自身でご確認ください」
「……はい」
「古い記録ですので、内容が正確かどうかも分かりません」
治癒魔法士は付け加えた。
「ただ、何かの手掛かりになる可能性はあります」
「分かりました」
「では、私はこれで」
治癒魔法士は一礼すると、部屋を出ていった。
静かに扉が閉まる。
「エリス」
「うん」
「見てみよう」
「……そうね」
エリスは封筒を見つめた。
なぜだろう。
ただの古い記録だというのに、手に取った瞬間から妙な緊張を感じていた。
ゆっくりと封を開けると、中に入っていたのは一枚の紙だった。
ところどころ文字が掠れている。
紙そのものも黄ばんでいて、かなり古いものらしい。
「……読めるか?」
「少しだけ」
エリスは紙に目を通した。
そこには、古い文字でこう記されていた。
『生命を司る力』
「……」
エリスの手が止まった。
「どうした?」
「これ……」
レオンが隣から覗き込む。
「生命を司る力?」
「ええ」
エリスは続きを読んだ。
『傷を癒すだけではない。失われた生命力を補い、身体に残る異常な魔力を排除する』
「……」
エリスは息を呑んだ。
それは自分がレオンに使った力とほとんど同じだった。
「……私の魔法と同じ?」
レオンも紙を見る。
「本当だ」
「でも……」
エリスは戸惑った。
「どうしてこんな記録があるの?」
「分からない」
レオンも首を傾げる。
「もっと昔の話なのかもしれない」
エリスはさらに下へ視線を移した。
そこには、いくつかの記述が残されていた。
『その力を持つ者は極めて少ない。確認された例は、いずれも王国の歴史から姿を消している』
「……姿を消している?」
エリスが呟く。
「どういう意味だ?」
「分からない……」
さらに読み進める。
しかし、その先は文字が掠れていて読めなかった。
「ここから先は、ほとんど読めないわ」
「何か書いてあるのは分かる?」
「少しだけ」
エリスは紙を傾ける。
「……『古代遺跡』」
「!」
レオンの表情が変わった。
「昨日、隊長が言っていた遺跡じゃないか?」
「……たぶん」
エリスは続きを探す。
そして。
「……あった」
紙の下のほうに、かろうじて読める文章が残っていた。
『その力は、かつて王都より北にある古代遺跡にて確認された』
「……」
二人は顔を見合わせた。
偶然なのだろうか。
自分の魔法。
昨日の魔物。
そして、古い遺跡。
すべてが繋がっているように思えた。
「でも……」
エリスは首を横に振る。
「どうして私の魔法が、その遺跡に?」
「分からない」
レオンも答えを出せない。
「ただ」
「?」
「少なくとも、エリスの力と遺跡には何か関係があるかもしれない」
「……そうね」
エリスは紙を見つめる。
そのとき紙の一番下に、まだ文字があることに気づいた。
「……待って」
「どうした?」
「ここ、見て」
エリスが指を差す。
そこには、掠れた文字で一つの言葉だけが残されていた。
『継承者』
「……継承者?」
レオンが呟く。
エリスは、その言葉を見つめた。
胸の奥が、嫌なほど大きく鳴っている。
「継承者って……」
「もし俺たちの予想が合っているなら、エリスのことじゃないか?」
「……」
エリスは答えられなかった。
自分が、この力をどこから得たのか。
それは今まで、一度も考えたことがなかった。
物心ついた頃には、この力があった。
父からも。
母からも。
詳しく聞いたことはない。
ただ
「普通の魔法とは違う」
「人には知られないほうがいい」
そう教えられてきただけだった。
「私の力って……」
エリスは小さく呟いた。
「ずっと昔から存在していたのかもしれない」
「……そうかもしれないな」
レオンは答えた。
「でも、まだ分からない」
「うん」
「だからこそ、勝手に決めつけるのはやめよう」
「……そうね」
レオンは紙を見る。
「これ、隊長に見せたほうがいい」
「ええ」
エリスは頷いた。けれど、紙から目を離すことができなかった。
そこに書かれていた、たった一つの言葉。
『継承者』
もし、この言葉が自分を指しているのだとしたら。
自分の力には、知らない過去がある。
そして、その過去には……あの遺跡が関わっている。
「……レオン」
「ん?」
「少し怖いわ」
エリスは正直に言った。
「自分のことなのに、何も知らないみたいで」
レオンは少し黙った。
そして。
「じゃあ、一緒に知っていこう」
「……え?」
「エリス一人で調べる必要はないだろ?」
レオンは笑った。
「俺も気になるし」
「でも……」
「それに」
レオンは少しだけ照れたように続けた。
「約束しただろ?」
「約束?」
「エリスのことを、少しずつ教えてくれるって」
「あ……」
「だから、俺も少しずつ知っていきたい」
エリスは、しばらくレオンを見つめた。
そして。
「……うん」
小さく笑った。
「一緒に知っていこうね」
「決まりだな」
二人はもう一度、古い記録へ目を落とした。
そこに記されているのは、わずかな情報だけ。
それでも今まで何も分からなかったエリスの力に、初めて残された手掛かりだった。
その日の午後。
二人は隊長へこの記録を見せ、そこで聞かされることになる。
王国が長い間、誰にも語ってこなかった古代遺跡についての、もう一つの記録を。
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