第二十話
エリスは急いでレオンの元へ向かっていた。
王都の医療施設へ向かう馬車の中でさえ、落ち着いていられなかった。
「もっと急いでください!」
「これ以上は危険です!」
御者の声が返ってくる。
そんなことは分かっている。
けれど。
「……レオン」
エリスは胸元を握りしめた。
嫌な予感がする。
ただ怪我をしただけではない。
父から聞いた。
「通常の治癒魔法では傷が塞がらない」
身体の中へ、異常な魔力が入り込んでいる。
もしそれが本当なら。
「……急がないと」
エリスは唇を噛んだ。
自分だけが持つ……特別な治癒魔法。
それだけは、誰にも知られてはいけなかった。
幼い頃から父に言われ続けてきた。
その力は、決して人前で使ってはいけない。
自然の理を捻じ曲げる力。奇跡。
傷を治すだけではない。
使い方によっては、人の生死すら左右できる。
だからずっと隠してきた。
誰にも知られないように。
けれど。
「……レオンだけは」
エリスは目を閉じる。
「絶対に失いたくない」
その言葉だけは、迷わなかった。
「エリス様!」
医療施設へ到着すると、入口にいた騎士が駆け寄ってきた。
「レオンは……レオンはどこですか!?」
「治療室です!」
「案内してください!」
「はい!」
エリスは騎士の後を追った。
廊下を走る。
そして、治療室の前へ着いた。
扉の向こうから、慌ただしい声が聞こえる。
「魔力がまた広がっています!」
「治癒魔法を止めるな!」
「これ以上は危険です!」
「くそ……!」
エリスの足が止まった。
胸が締めつけられる。
「……レオン」
そのとき。
「エリス様……」
隊長が治療室から出てきた。
「レオンは……?」
エリスが尋ねる。
隊長は一瞬、答えに迷った。
「意識はあります」
「……!」
それだけで、エリスの胸に少しだけ安堵が生まれた。
「ですが、かなり危険な状態です」
「中へ入れますか?」
「治療中ですが……」
隊長は扉を見る。
「レオン様が、エリス様に会いたいと言っていました」
「……」
エリスの目が潤んだ。
「お願いします」
隊長が扉を開ける。
「エリス様がお見えになりました」
治療室の中にいた全員が振り返った。
「エリス……?」
ベッドの上から、小さな声が聞こえた。
エリスは駆け寄った。
「レオン!」
レオンは目を開けていた。
顔色は悪い。
額には汗が浮かび、呼吸も浅い。
それでも。
「……来てくれたんだ」
微かに笑った。
「どうして……」
エリスの声が震える。
「こんな……」
「ごめん」
レオンは苦笑した。
「ちょっと、格好悪いところを見せたな」
「そんなこと……」
エリスは首を振った。
「そんなこと言ってる場合じゃありません!」
「……うん」
「どうして無茶したのよ!」
「無茶はしてない」
「しているわ!」
「……はい」
レオンが素直に頷く。
その様子に、ほんの少しだけいつもの空気が戻った。
けれど。
「……エリス」
レオンが苦しそうに息を吐く。
「来てくれて……よかった」
「……」
「帰ってきたら、また話そうと思ってた」
「何を……?」
「本の続き」
エリスの目から涙が一粒こぼれた。
「そんなの……」
声が震える。
「そんなの、元気になったらいくらでも話せるわ。今はそれどころじゃ無いじゃない」
「……そうだな」
「だから……」
エリスはレオンの手を握った。
「ちゃんと元気にならなきゃ」
レオンは弱々しく握り返す。
「努力する」
「努力する、じゃありません」
エリスは涙を拭った。
「絶対にです」
そのとき。
「エリス様」
治癒魔法士が声をかけた。
「申し訳ありませんが、少し離れていただけますか」
「……治療は?」
「続けています」
治癒魔法士がレオンを見る。
「ですが、傷に残っている魔力が治癒魔法を阻害しています」
「取り除けないのですか?」
「難しいです」
「……」
「このままでは、魔力がさらに身体の内部へ侵食する可能性があります」
エリスはレオンを見た。
その瞬間。
決めた。
「……私に、治療させてください」
「え?」
治癒魔法士が目を見開く。
「エリス様?」
「私なら……」
エリスは言葉を止めた。
他人に治癒魔法のことを話してはいけない。
でも。
「私なら、治せるかもしれません」
「ですが、エリス様は治癒魔法を――」
「ただの治癒魔法ではありません」
室内が静まり返る。
エリスはレオンを見る。
レオンも申し訳なさげに彼女を見ていた。
「……エリス、あれは君の負担が大きすぎる」
「レオン……少しだけ、目を閉じていてください」
「……分かった。すまない……」
レオンが目を閉じる。
エリスは、その手を強く握った。
「絶対に、離さないでください」
「……ああ」
エリスは目を閉じる。
胸の奥にある力へ意識を集中させる。
これまで一度も、人前では使ったことのない力。
私だけの治癒魔法。
身体の中に流れる相手の生命そのものへ干渉する魔法。
けれど、今は迷っている暇などない。
「……お願い」
エリスの身体から、淡い光が溢れ始めた。
「これは……?」
治癒魔法士が息を呑む。
光は、レオンの身体を包み込んでいく。
そして。
「……っ」
レオンの背中にある傷へ、ゆっくりと集まった。
傷口に絡みついていた異常な魔力が、淡い光に触れた瞬間。
「――!」
黒い煙のようなものが、傷口から弾き出された。
「魔力が……!」
「外へ出ている!?」
治癒魔法士たちが驚く。
エリスは必死に集中していた。
けれど。
「……うっ」
身体がふらつく。
「エリス!」
レオンが目を開ける。
「大丈夫……」
「でも……」
「大丈夫だから」
エリスは笑おうとした。
「あなたを助けるって、決めたの」
光がさらに強くなる。
傷口が、少しずつ塞がっていく。
血が止まり、裂けていた皮膚が繋がっていく。
そして。
「……傷が……」
治癒魔法士が呆然と呟いた。
「塞がっている……」
誰も言葉を発しなかった。
エリスは最後の力を振り絞る。
「お願い……」
光が消えていく。
「もう……私から……」
エリスの身体から力が抜けた。
「エリス!」
レオンが身体を起こそうとする。
「レオン様!今は動かないでください!」
治癒魔法士が慌てて止める。
エリスはその場に倒れそうになった。
「エリス!」
レオンの手が伸びる。
その手を、エリスは握った。
「……よかった」
弱々しく笑う。
「間に合って……」
そして。
「レオンが……生きてて……」
そのまま、エリスの意識が途切れた。
「エリス!」
レオンが叫ぶ。
治癒魔法士たちが慌ててエリスを支える。
「エリス様!」
「意識がありません!」
「脈は!?」
「あります!」
室内が再び騒然となる。
その中で、レオンは握ったままのエリスの手を離さなかった。
「……ありがとう」
誰にも聞こえないほど小さな声で。
「俺を助けてくれて……ありがとう」
そしてレオンは、眠るエリスを見つめた。
エリスはこの日初めて、自分の秘密よりも大切な人を選んだ。
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