第十二話
目を開けると、白い天井が見えた。
「……ここは?」
「エリスさん!目が覚めたんですね!」
すぐそばにいた治療師が声を上げた。
「まだ起き上がってはいけません!」
「……ここは、どこですか?」
「ここはアルヴェリア学園の医務室です」
その言葉を聞いた瞬間、私は一気に目を覚ました。
「はっ!レオンは!?レオンは無事ですか!?」
「落ち着いてください」
「レオンはどうなったんですか!?」
治療師は少し困ったような顔をした。
「生きています。意識もあります。ただ出血していたようなので念の為、安静にしています」
「……!」
胸を撫で下ろす。
「よかった……」
「ただ、少し妙なことが起きています」
「妙なこと?」
「レオン様は、かなりの出血があったはずなんです。血だらけで、服にも刺されたような痕がありましたから」
私は息を呑んだ。
あのときの光景が蘇る。
背中に刺さった刃物。
倒れていくレオン。
そして――私が使った生命魔法。
「そうなんです。あの時背中を刺されて「ですが」」
治療師は言葉をかぶせて首を傾げた。
「傷がありません」
「……え?」
「背中に刃物が刺さったと聞いています。救出されたときには衣服にも大量の血が付いていたそうです」
「……」
「ところが、傷口がどこにもないんです」
「……ない?」
「はい。傷跡すらありません」
私は何も言えなかった。
当然だ。
私が生命魔法を使ったのだから。
「どうして……」
治療師自身も困惑しているようだった。
「私にも分かりません。治癒魔法を受けたのかとも考えましたが出血の量を見る限り、治癒魔法にそこまでの効力は無いはずなんです」
「……そうですか」
「レオン様本人も、目を覚ましたときから傷がないことに驚いていました」
私は胸の奥で小さく息を吐いた。
どうやらあの瞬間は、誰にも見られてはいない。
「会ってもいいですか?」
「ええ。ただし、エリスさんもかなり魔力を消耗しています。長時間は避けてください。なんなら魔力が減っている分あなたが一番重症ですよ?」
「……はい。でも大丈夫です、動けます」
私はゆっくりと立ち上がった。
身体が重い。
けれど、動けないほどではない。
一度に大量の魔力を使ったせいだろう。
少し休めば、きっと戻る。
このときの私は、そう思っていた。
「エリス!」
部屋に入ると、レオンがこちらを見た。
「レオン……」
私は駆け寄った。
「大丈夫?」
「ああ。驚くくらい元気だ」
レオンは腕を動かしてみせる。
「背中は?」
「何ともない」
「本当に?」
「本当だ」
レオンは苦笑した。
「先生たちの方が困ってたくらいだ。なんせ過去の古傷まで全部消えていたんだからな」
「……」
「あの時、後ろから刺されたのは覚えてる」
レオンは少し考えるように黙った。
「すごく痛かった」
「うん……」
「それで、倒れた」
私は黙って聞いていた。
「そのあと、暖かい光に包まれたような気がする」
「……」
「でも、夢だったのかもしれない」
私は何も言えなかった。
「ただ」
レオンは私を見る。
「俺を助けてくれたのは、エリス……なんだろ?」
「……どうして?」
「なんとなく。勘……かな?」
レオンは笑った。
「俺を呼んでる声はちゃんと聞こえてたよ」
「……」
「とにかく、エリスが無事で良かった」
レオンは私の手を取った。
「ありがとう。俺を助けてくれて」
「……うん」
私は小さく頷いた。
「どういたしまして」
「本当にありがとう」
もう一度、レオンが言った。
私は少しだけ笑った。
「じゃあ……これで、おあいこね」
「おあいこ?」
「私を助けに来てくれたでしょう?」
「……ああ」
「だから、おあいこ。レオンも助けてくれてありがとう」
「そうだな」
レオンは笑った。
そして。
「でも、もう一人で無茶するなよ」
「レオンもね」
「……分かった分かった」
「絶対に守らない人の返事だよ、それ」
「ははっ」
久しぶりにいつものように笑えた気がした。
その後、クラリスやディーンも顔を見せに来てくれた。
二人とも私たちが無事だったことを喜んでくれた。
そして事件の犯人についても、少しずつ分かってきた。
私たちを狙っていたのは、レオンに一方的な想いを寄せていた令嬢だった。
私とレオンが付き合ったことで、私に怖い思いをさせれば別れると思ったらしい。
けれど、まさか人を雇って私を誘拐するところまで発展するとは思っていなかった。
まして、レオンが刺されることなど。
もちろん許されることではない。
すでに学園長へ報告され、退学の手続きも進められている。
もう、学園へ来ることもないそうだ。
「……もう、安心していいんだよね」
私はレオンに尋ねた。
「ああ」
レオンは頷いた。
「何かあったらすぐ言うんだぞ」
「……うん」
その言葉が、嬉しかった。
私はレオンの隣に座った。
そして今度こそ、いつもの日常に戻れるような気がした。
――同じ頃。
王立アルヴァリア魔法学園、学園長室。
「まったく……」
学園長は深いため息をついた。
「まさか捕まっちゃうとはねー。びっくりしちゃった」
向かいの椅子に座っているミレイアが、悪びれもせず笑う。
普段の学園で見せている、物静かな少女の姿とはまるで違った。
「だから無理はするなと言ったじゃろ」
「だって、目の前でエリスが連れていかれそうになってたんだもん」
「だからといって、一人で突っ込む奴がおるか」
「いやー、あんなに人数いるとは思わなくてさ。ワンチャンいけると思ったんだけどねー」
「後からミレイアも捕まっていると聞いて、肝が冷えたわい」
「ごめーん」
ミレイアは軽い調子で謝った。
「……本当に反省しておるのか?」
「してるしてる」
「その顔では信用できんのう」
「でも、エリスは助かったんでしょ?」
「……ああ」
「なら結果オーライ、ってことで!」
「まったく……」
学園長は頷いた。
「レオンが単独で乗り込み、エリスを救出したんじゃ」
「よかったよかった」
ミレイアは胸を撫で下ろした。
「私が捕まってる間、どうなってるか全然分からなかったからさ」
「お前は抵抗しすぎて眠らされたそうじゃな」
「うん」
「怪我は?」
「全然」
ミレイアは両手を広げた。
「アハハー、ピンピンしてるよ。だって寝てただけだし」
「それならよい」
「でもさ」
ミレイアの表情が少し変わった。
「犯人、本当にあの令嬢だけなの?」
「……」
学園長は黙った。
「本人がレオンに勝手に想いを寄せていたこと」
「うむ」
「エリスとレオンを別れさせたかったこと」
「そうじゃ」
「それは分かってる」
ミレイアは腕を組んだ。
「でも、一人の生徒が人を雇って、誘拐する場所まで用意して、あそこまで大掛かりなことをできるかな?」
「……お前も同じことを考えておったか」
「うん。ってか誰だってそう思うでしょ」
ミレイアは頷いた。
「まぁ本当にたまたま、上手くことが進んだだけかもしれないけどねー」
「何か根拠はあるか?」
「ないよ。だから、不確定なことはエリスにもレオンにも言わない」
「そうじゃな」
「今は、あの二人を安心させる方が先でしょ」
学園長は頷いた。
「その通りじゃ」
「犯人については、私ももう少し調べてみる」
「無理はするな」
「分かってるって」
「本当に分かっておるのか?」
「今度はちゃんと大人しく調べるよ」
「……それならよい」
学園長は椅子に深く腰を下ろした。
ミレイアと学園長は、遠い親戚にあたる。
だからこそ学園長は以前から、ミレイアに一つの頼みをしていた。
――エリスを見守ってほしい。
エリスが持つ、特別な力。
それを知られることが、彼女にとって危険になる可能性がある。
だからミレイアには、エリスを監視するのではなく、ただ見守ってもらっていた。
嫌がらせが始まってからは、その証拠を集めていた。
そして今回、エリスが連れ去られるところを見つけた。
本来なら教師へ知らせるべきだった。
けれど気づいたときには、身体が動いていた。
そしてあっさり捕まった。
ちなみに荒事には全く自信がない。
「……まあ、今回は私も悪かったね」
ミレイアが苦笑する。
「見守るだけのつもりだったのに」
「お前は昔から、妙なところで行動が早いからのう」
「学園ではちゃんと大人しくしてるでしょ?」
「猫をかぶっておるだけじゃろう」
「バレてた?」
「親戚じゃからな」
二人は顔を見合わせる。
そして。
「とりあえず」
ミレイアが立ち上がった。
「エリスには、何も言わない」
「うむ」
「レオンにも」
「うむ」
「私が捕まってたことも、本人たちにはわざわざ言わなくていいよ」
「……分かった」
ミレイアは扉へ向かう。
「じゃ、私は引き続き調べるね」
「くれぐれも無茶はするなよ」
「はーい」
扉が閉まる。
学園長は一人、静かに呟いた。
「……本当に、頼むから無茶だけはするなよ」
こうして。
事件は一応の決着を迎えた。
けれど、ミレイアが感じた小さな違和感だけは、まだ誰にも知られることなく残っていた。
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