第7話:野獣パパの公開鞭打ち贖罪劇〜神速の電撃戦で反乱軍を各個撃破せよ〜
世論が完全に敵に回ったら、どうやって逆転するか? ――答えは「己の背中を肉片が吹き飛ぶまで鞭打たせる」である。
失態をやらかした現代の政治家の丸刈り謝罪どころではない。
父ヘンリー二世という男は、文字通り血みどろの自作自演パフォーマンスで世論を一撃でひっくり返してしまう、本物の怪物であった。
――時は西暦一一七四年、夏。
ヨーロッパの覇権を握るアンジュー帝国を、未曾有の大反乱が襲っていた。
首謀者は、イングランド王ヘンリー二世の実の息子たち――長男の若王ヘンリー、次男リチャード、三男ジェフリーの三兄弟。
すべてを牛耳る「暴君親父」に反旗を翻した息子たちの背後には、母アリエノール・ダキテーヌが張り巡らせた恐るべき包囲網があった。
「あのはした金しか寄越さぬケチな親父め! 四方から攻め立てれば、いかに怪物じみた父上とて手も足も出まい!」
パリのルーヴル宮殿で若王が勝ち誇れば、舅であり母の元夫でもあるフランス王ルイ七世も上機嫌にワイン杯を掲げた。
「そうだとも! アリエノールとそなたたちが立ち上がった今こそ、あの横暴なるアンリに神の鉄槌を下す時だ!」
北からはスコットランド王が攻め込み、東からはフランドル伯軍が殺到。南のアキテーヌではリチャードとジェフリーが諸侯を率いて蜂起していた。
さらにヘンリー二世には致命的な傷があった。三年前に起きたトマス・ベケット暗殺事件の余波で、教会と民衆を完全に敵に回していたのだ。
誰もが完全なるチェックメイトを確信した。ポワチエ宮殿で密書を検分するアリエノールも、唇に艶やかな笑みを浮かべていた。
「ふふ、完璧な布陣ですわ。アンリ……四面楚歌の味はいかがかしら?」
だが――彼らは見誤っていた。相手はあの「若き野獣」なのだ。
***
西暦一一七四年七月、イングランド、カンタベリー大聖堂。
四面楚歌のヘンリー二世が取った行動は、軍議でも弁明でもなかった。
嵐の海を渡って大聖堂へ直行すると、靴を脱ぎ捨て、粗末な麻の巡礼衣を纏い、裸足で尖った石畳を踏みしめて進んだのだ。足裏から滲む鮮血が、冷たい石道を赤く染める。
大聖堂を埋め尽くす群衆の前で、王はかつて惨殺された友――トマス・ベケットの墓前に両膝を突いた。
「我が友、聖トマスよ……! 我が軽率なる言葉が汝の血を流させた! その罪を贖うため、我が肉体に神の罰を乞う!」
ヘンリー二世は麻の衣を力任せに引き裂いた。
無数の戦傷が刻まれた裸の背中を晒し、大理石の床に額を擦りつける。
「打てッ! 聖職者たちよ、この罪深き王の背を血が吹き飛ぶまで鞭打てッ!」
ビシィッ! バシィッ!
一振りごとに鮮血が飛び散る。集まった八十名の修道士から、計二百回以上もの過酷な鞭打ちが、国王の生身に容赦なく叩き込まれた。
ヘンリー二世は血の海の中で歯を食いしばり、夜を徹して断食の祈りを捧げ続けた。翌朝も血まみれで平伏する王の姿に、民衆と聖職者は涙を流して震え上がった。
「王陛下は真に罪を悔い改められたのだ……!」
「神よ、この敬虔なる王をお赦しください!」
前代未聞の公開贖罪パフォーマンス!
己の肉体を血みどろの生贄として差し出す狂気の演出により、ヘンリー二世は一夜にして世論と教会の支持を逆転させたのだ。
そして奇跡はまさにその日に起きた。
贖罪を終えた王のもとへ、血相を変えた早馬が駆け込んできたのだ。
「――大勝利! 濃霧のアニックにて別動隊がスコットランド王ウィリアム一世を急襲、生け捕りにいたしましたッ!」
聖堂内は大歓声に包まれた。
「奇跡だ!」
「聖ベケット様が王の贖罪を受け入れられたのだ!」
熱狂の渦の中、血まみれの背に甲冑を纏ったヘンリー二世は獰猛に吼えた。
「――神が我が味方に付いたぞ。反逆者どもを根絶やしにせよッ!」
背後の憂いを断った老練な野獣は、銀貨を惜しみなく注ぎ込んだ数千のブラバント傭兵隊を率い、神速の電撃戦を開始した。
常人の軍隊が三日かける距離をわずか一日で踏破し、豪雨の濁流を鎧のまま泳ぎ渡る。
敵が恐慌に陥る中、ヘンリー二世はヴェルヌイユを包囲していたルイ七世と若王の連合軍へ、背後から雷鳴のごとく突入した。
「ひ、ひぃぃっ!? もう来たのかァァッ!?」
ルイ七世は泡を吹いて逃走し、若王もパリへ逃げ戻った。
東のフランドル伯軍を粉砕した王は、返す刀で南のポワトゥーへ南下。
次男リチャードの武勇すら神速の傭兵隊の前には通じず、拠点を各個撃破されて森へ敗走した。
兵站や移動速度の物理法則を力づくでへし折る「脳筋の神速移動」。敵軍の斥候が「王は空を飛んでいるのか」と本気で恐怖したのも無理はない。
こうして、息子たちの反乱軍はわずか数週間で各個撃破され、跡形もなく崩壊した。
そして今――すべてを平定した老練な野獣の獰猛な牙は、本拠地ポワチエで包囲網を操っていた妻――僕の母アリエノールの喉元へと、まっすぐに向けられていたのである!




