第8話 侯爵様の言葉が、出てくるまで
待ち合わせの場所は、植物園の門だった。
私が指定した。侯爵様が馬車を寄越すと言ったので、自分で行けるところにしたかった。
彼はすでに門の柱の横に立っていた。
花の名前が書かれた板を見ている。
「お待たせしました」
「私が、早く来ました」
懐中時計をしまう手が、少しぎこちなかった。
昨日まで、私の店では一時間も平気で座っていた人だ。
でも、仕事のない日の彼は、座る椅子まで自分で決めなくてはいけない。
それは私も同じだった。
園内には、早咲きの白い花があった。
名前の板を一緒に読む。名前は覚えにくく、私には小さな星のように見えた。
彼は「妹は、音符に見えると言います」と教えてくれた。
同じ花を見ても、持っているものが違う。
温室の近くの茶屋で、二人分のお茶を頼んだ。
私が払うつもりで財布を出すと、彼は困った顔をした。
「お誘いしたのは、私なので」
「場所を決めたのは、私です」
店員は、私たちの間で伝票を持ったまま待っている。
セオドア様が、ゆっくり言った。
「次は、お願いできますか」
私は財布をしまった。
次、という言葉のほうが、お代より気になった。
給仕がお茶を持ってきたとき、隣の席から男性が声をかけた。
領地の税について、いつ返答するのかという。
顔見知りなのだろう。親しい態度なのに、侯爵様を見る目は険しい。
「こちらから二度もお伺いを立てております。今、ひと言いただければ」
セオドア様の口が動いた。
でも、声が出なかった。
彼は指を膝に置き、もう一度、息を吸った。
男性が、さらに早口で続ける。
「相変わらず、沈黙でお済ませになる」
私はお茶の皿に、匙を静かに置いた。
「今は、私が時間をいただいています」
声が強すぎたかもしれない。
男性は私の顔を見て、連れの女性へ視線を移し、席に戻った。
私は侯爵様を見る。
彼は頬を硬くしたまま、小さく頭を下げた。
「申し訳、ありません」
「あの方が何をおっしゃりたいかは、わかりませんでした」
私は花の板に書かれた、長い名前を思い出した。
「私にもわかるように、話していただければ大丈夫です」
彼はしばらく、お茶の水面を見ていた。
「税の減免の判断を、待ってもらっています。被害の大きさが、まだ揃わないので」
少しずつ、説明が出た。
話をしないから、判断もしていないと見られる。考えていることを、会議ではその速さで話せない。
幼い頃から、強く緊張すると言葉がつかえることがあったという。
父君は、人前では黙っていたほうが威厳に見えると教えた。
無言で人を従わせる、冷徹な侯爵。
彼はその顔を続けてきた。
「文章なら、書けるのです。でも、それも、立派に書かないといけないと思って」
私は紙を出しそうになった。
ここでも仕事を始めれば、彼のことを知る代わりに、役に立てる。
手を鞄から離した。
「私は、答えるのを急がなくてよい日なら、話すのも好きです」
彼はようやく、私を見た。
「今日も、ですか」
「はい。でも、花の名前は覚えられません」
彼が笑った。
歯が少しだけ見えた。噂に聞く冷たさより、その顔のほうがずっと近かった。
帰り道、彼は私がなぜ王都に来たのか尋ねた。
父が亡くなり、姉の家へ行くより、父の机を使いたかったこと。
父が書いた手紙は遠くへ行くのに、私は村から出たこともなかったこと。
立派な理由に整えず、思い出す順に話した。
門を出るとき、彼が聞いた。
「また、あなたと来てもよいでしょうか」
私は頷いたあと、声にした。
「はい。私も、また来たいです」
帰ってからも、花の名前は思い出せなかった。
彼が私の返事を聞いたときの顔は、思い出せた。




