↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
17/18

第17話 婚姻届には、私が署名します

侯爵家へ行って初めて、私は身分の差を大きさで知った。

廊下だけで、うちの店が六つほど入る。

家を管理する人、来客を迎える人、領地との連絡を取りまとめる人。それぞれ仕事が違った。

何もわからないまま私が全部引き受ければ、すでに働いている人たちの仕事まで混ぜてしまう。


家の後見評議会との話し合いでは、反対の声もあった。

司法書記の娘では、貴族同士の付き合いを理解できないのではないか。

侯爵夫人が、町で客のお代を数えるのはどうか。

私は答えようとして、隣に座るセオドア様を見た。

彼は急がず、書面を出した。

婚姻相手を選ぶ権限は本人にあること。家の財産と、私の事業の財産を混ぜないこと。

相談した公証人が、必要な手続きを説明した。


家の名前を使う仕事に、何も考えず私の店を選べるわけではない。

客の秘密も、結婚すれば侯爵家のものにはならない。

それは、私が先に確かめておきたかったことだった。


「付き合いの作法は、学びます。ただ、わからないままお返事をして、後で違いましたということは、なるべく避けたいです」


私はそう話した。

評議会の一人が、毎月の晩餐を準備できるかと聞いた。

家令が、自分が担当すると答えた。今もそうしているからだ。

別の方が、親族の来訪をどうするか尋ねた。

私は予定を先に知らせてもらいたいと答えた。

それだけで、ずいぶん驚かれた。


一度の席で、皆が私を好きになったわけではない。

でも、次の話し合いで確かめることが決まった。

理解されないかもしれないから黙ることと、理解してもらうまで話すことの間に、回数があるのだった。


婚姻の届出は、初夏になった。

その前に、湖の町へは三人で出かけた。

マリア様は鳥の笛を買い、兄に渡した。

彼は吹いた。音は、鳥には聞こえなかった。

妹様が笑い、私も笑った。

本人も笑ったので、三人とも、もう一度吹いてほしいと思った。


王都へ戻り、結婚式の準備をした。

招待状は、私の店で引き受けなかった。

仕事にすると、期限まで机に向かってしまうからだ。

侯爵家で以前から頼んでいる筆耕の方に任せた。

私が書いたのは、姉と母への手紙だった。


お祝いに来てください。

泊まる部屋は、あります。

私が暮らす家を、見てもらいたいです。


母は体調を確かめて、姉夫婦と一緒に来てくれた。

玄関で顔を見たとき、私は走ってしまった。

長い裾が足に絡み、姉に止められる。

母が、あなたはいつも戸口へ急ぐのねと言って笑った。


届出を確認する小部屋には、公証人がいた。

机の上には、二人分の名前が並んでいる。

私は一文字ずつ読み、住所と、婚姻後の名の扱いを確かめた。

店の看板は、フェイン代筆室のまま。

書類上必要な名と、商売で使う名は、公証人と先に整理していた。


「内容を確認し、ご自身の意思で署名なさいますか」


私は、はいと答えた。

いつもは、他人の手がペンを取るのを見ている。

今日は私の手だった。

インクをつけ、名前を書いた。

父の形に似ている文字。それでも、父が選べなかった続きを、私が選んだ。


セオドア様も署名した。

公証人が確認し、紙をしまった。

私は手を見た。少しだけ、指にインクがついていた。

彼にもついている。

二人で見せ合って、小さく笑った。


式では、彼の誓いの言葉に、少し間が開いた。

誰も続きの文を言わなかった。

家令も、妹も、母も待っていた。

彼が最後まで話してから、私は返事をした。


夜、客が帰ったあと、彼が私へ言った。


「疲れましたか」

「はい。嬉しかったです。疲れました」


彼は頷いた。

私を失望させたという顔は、しなかった。


「明日は、眠りましょう」


私は、はいと答えた。

婚姻届を出しただけで、上手な妻になったわけではない。

でも、嬉しいことと疲れたことを同じ人に言える夜が、一つできた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。