第18話 返事を書くのは、あなたです
一年後、フェイン代筆室には、椅子が四つあった。
一つはセオドアのために買った、少し大きなものだ。
だからといって、彼だけが座るわけではない。足の悪い方や、赤ちゃんを抱いた方にも使ってもらっている。
棚は増やせなかった。部屋の広さは変わらない。
でも、半日だけ手伝う筆耕を一人雇ったので、私は毎週、水曜日に休めるようになった。
店に来る方は、相変わらずさまざまだった。
姪への送金の案内。仕事を辞める知らせ。喧嘩した兄への返事。
侯爵夫人へ頼むなら、お代が上がるのかと聞かれたこともある。
料金表を示すと、相手は安心して椅子に座った。
ずっと同じお代でいるつもりはない。紙の値が上がれば、見積もりも変える。
でも、家の名前で値段をつけることはしなかった。
ソフィさんは、父親の商売に戻った三十金貨のうち、少しを自分の勉強に使っているという。
組合の夜の講座へ通うことになり、最初の申込書だけ清書を頼まれた。
次は自分で書くと言っていた。
マリアは音楽院の課程を進めている。
一度、試験に落ちて、夏の休みに同じ曲を練習した。
それを知らせる手紙には、慰めは要りません、涼しい部屋を一つ貸してくださいとあった。
私は空いている部屋を伝えた。
彼女は、三日だけ泊まって、次の試験に合格した。
院に関わる返金の手続きは、それぞれの記録を調べて終わった。
皆が同じ金額を戻せたわけではない。実際に使われた支度の費用は、証拠を確かめて差し引かれた。
それでも、清算の内容を知らせずに署名だけ求めるやり方は、組合の仲介規約から外された。
ナディアさんが仕事で来たとき、そう教えてくれた。
私の店の注意書きは、字が小さくなりすぎないよう、二枚に分けた。
その日、帽子の飾りを握った女性が来た。
私より少し若い。
恋文を頼みたいのですが、と、小さく言った。
私は戸の注意書きを示した。
「お気持ちを私が作ることは、お引き受けしていません。ご自身で書かれた文を、読みやすくすることでしたら」
彼女は、折った紙を出した。
相手に、こちらへ戻ってきてほしいとある。
その下に、あなたが望むなら何でもやめます、と書かれていた。
私は、そこを指さす前に聞いた。
「戻ってこられたら、何を一緒にしたいですか」
彼女は考えた。
川沿いを歩きたい。犬を見てもらいたい。自分が作るようになった料理を食べてほしい。
私は、一つずつ紙に書いた。
何でもやめるという文は、残しますかと聞いた。
彼女はしばらく見てから、首を振った。
「この料理、やめたくありません」
私は頷いた。
下書きを読み直してもらい、清書した。
返事が来るかどうかは、私にはわからない。
相手が戻ってこないこともある。その場合にも、彼女の料理は残る。
そういう手紙を、彼女が選んだのだ。
夕方、セオドアが来た。
今日は仕事が長引いたらしい。
彼は大きい椅子に座り、窓の外を少し見ていた。
私は清書の最後の行を確認して、紙を棚に戻した。
「帰る準備は、あと五分です」
「待っています」
私は机を拭いた。
彼は今日の会議について、疲れたとだけ言った。
相手の秘密に関わる話もある。私は続きを聞かなかった。
「明日は、お休みですね」
「はい。あなたも、予定を空けられましたか」
彼は頷いた。
湖より近い、川沿いを歩くことにしている。
そのあと、私は姉へ手紙を書き、彼は鳥の笛を置く棚を直したいらしい。
全部が同じ用事ではなかった。
家に帰ると、机の上に一枚の紙があった。
私は初めて見たふりをしなかった。手紙の箱から、彼が出したのだろう。
あなたと結婚したいと思っています。
一年前の、あの二行目。
「また、読んでいたのですか」
彼は頷いた。
「あなたの返事も」
私は箱を開けた。
あのときの私の文字は、今より少し固かった。
好きです、と書いたあと、続きの行まで間が空いている。
書きながら、ずいぶん待ったのだ。
セオドアが私の隣に立った。
「今、同じ手紙を書いたら」
私は考えた。
謹んでお受けいたします、では、やはりなかった。
「明日も、一緒にお茶を飲みたいです、と書きます」
彼はしばらく、その言葉を聞いていた。
やがて、口元を緩めた。
「私も、そう書きます」
私は箱の蓋を閉じた。
最初の手紙には、最初の私たちの返事を残しておけばよい。
明日の希望は、明日の声で伝えられる。
セオドアが、お茶を淹れようかと聞いた。
私は、少し薄くしてくださいと答えた。
彼は頷いた。
窓の外では、王都の灯りが一つずつ増えていた。
手紙を書く仕事をしていても、書かなくてよい夜がある。
私は椅子に座り、戻ってくる彼の足音を聞いていた。
完




