第四話 係争中につき
朝になっても、抜き取られた二枚は戻らなかった。
テオドール・ブレンナーは、夜明けを待って検認記録簿を開き、失われたミュールバッハ二基の食い違いを、記憶と謄本から書き起こし直した。西の五号石、石は十二、謄本は二十。東の六号石、石は八、謄本は十四。数字は頭の中に、そっくり残っていた。数字を覚えているのは、テオのいくつかある取り柄の一つだった。取り柄が役に立つ日が、こんな苦い形で来るとは思わなかったが。
「二度手間だな」卓の向こうで、リーケが干し肉を裂いた。「盗ったやつは、あんたの頭までは盗れんかったわけだ」
「頭は、備品簿に載っていませんので」
「役所の口が、うつったな」
書き直しを終え、テオは念のため、その控えをもう一度、二枚に写した。一枚は荷の奥深く。もう一枚は、外套の裏に縫い込むように。盗まれたものは、置き場所が悪かったのだと、彼は考えることにした。悪かったのは置き場所か、それとも――そこから先は、まだ考えないことにした。
書き直しを終えたところへ、宿の主人が息を切らして駆け上がってきた。手に、油紙の包み。
「検認官さま。王都からの、御用の便が」
テオの指が止まった。王都から。ミュールバッハに着いて、まだ四日である。
包みを解く。中は、一枚の書面だった。折り目は正しく、料紙は上等で、様式に瑕疵はなかった。だが、テオの目は文面より先に、右下の封の跡に吸い寄せられた。
封蝋に捺された紋。一冊の綴じ本に、鍵が斜めに重なった紋である。
テオはその紋を、二度しか見たことがなかった。一度は研修の折、文書院最深部の閉ざされた扉の上に。もう一度は、教本の、院長の権に触れた頁の飾りとして。文書院でただ一人しか入れぬ書庫――原本庫の紋だった。
境界石の一件の照会に、なぜ、原本庫の紋が返ってくるのか。院長ただ一人しか入れぬ書庫の紋が、なぜ、辺境の下級記録官の手に。
文面は、三行だった。
北部路線 照会整理番号 北二二ノ三
右の件、係争中につき、
回答不能とす。
テオは、三行を三度読んだ。読むたびに、意味が薄くなった。
北二二ノ三。北部路線の、第二十二条により起こした、三号石の照会。七日ほど前、テオが自らポルツ村で封緘し、逓送に託して王都へ上らせた、あの一件である。三十歩と五十歩の、あの食い違い。整理番号は、テオが自分の手で書いた。忘れるはずもない。
「係争中」テオは声に出した。「係争中とは……何と、何が、係争しているのですか」
書面は答えなかった。書面は、いつだって、書かれたことしか言わない。
「そんな規程は、存在しません」テオの声が、自分でも意外なほど硬くなった。「大検認特別規程第二十二条。検認で不一致を認めたときは、中央はこれを検め、処理を回報する。回報の様式には、定めがあります。ですが――照会を『係争中につき回答不能』として突き返す条項は、この国のどの規程にも、ありません。私は、教本の目次まで諳んじられます。ありません」
「坊や」リーケが干し肉を置いた。「無い規程を持ち出してくるやつは、規程で戦う気が無いってことだ」
テオは書面を裏返した。裏は白紙だった。日付もない。発信者の署名もない。あるのは、原本庫の紋と、三行の断りだけ。誰が書いたとも知れぬ紙が、誰にも解けぬ紋で封じられて、返ってきていた。
「その判子」リーケが書面を覗き込んだ。「あんたの、その銀の判子より、偉いのか」
「私の検認官印は、境界石の再認証にだけ、王印に準じます」テオは原本庫の紋を、指の腹でそっと撫でた。「この紋は――たぶん、私の印が、一生かかっても捺せない場所のものです」
「へえ」リーケは、それきり興味を失ったふりをした。ふりをして、板戸の隙間から外を一度、検めた。ゆうべの尾行は、朝には消えていた。消えたことのほうが、テオには不気味だった。用が済んだから、消えたのだ。用は――この一枚が、届けることだったのかもしれない。
そして、ケラーの便りが、頭の隅で重なった。返書が五日で来た。まるで、こっちが何を訊くか、先に決まっていたみたいだった――。ポルツから王都まで、官道十二日。往きだけで十二日。テオの問いを乗せた帙が、まだ王都の門も見ぬうちに、答えのほうが、もう北辺のこの村まで戻ってきていた。
問いは、まだ着いていない。それなのに、答えは、もうここにある。
*
その男は、昼過ぎに、単騎で村に入ってきた。
旅装は官のもので、しかし埃の被り方が、長く道にあった者のそれだった。馬を下り、役場の前でテオを見つけると、疲れた目で、ゆっくりと会釈をした。
「巡回検認官、ブレンナー殿でいらっしゃいますな」男は懐から一枚を出した。「修正官の、ライムント・シュタインヴェークと申します。文書院、修正官局から、巡回支援に参りました」
差し出された辞書きには、見慣れぬ局印が一つ。修正官局之印、とある。院長直属の部局だと、テオは研修で名だけは習っていた。各地の記録の食い違いを、目立たぬように「均す」のが職掌の――だが、実物に会うのは初めてだった。名の知れぬ職というのは、たいてい、会いたくない用事で会う。
それにしても、早い。テオは思った。ミュールバッハの二基の食い違いは、まだ、どこへも報告していない。封緘した帙は、いまも荷の中にある。逓送にすら、託していない。それなのに、食い違いを均しに来たという修正官局の男が、もう、この村の役場に立っている。誰も報告していないものを、この男は、どこで知ったのか。まるで、テオがどこで何を見つけるかを、誰かが先に知っていて、手筈を整えていたかのように。昨夜の部屋荒らしと、街道の尾行と、この男の到着とが、同じ一枚の地図の上で、静かに手をつないでいるように思えた。
考えすぎだ、と思おうとした。思おうとして、思えなかった。今朝の三行の断りが、テオにそれを許さなかった。
「巡回支援、と申されますと」
「なに、大したことはいたしません」ライムントは埃を払いながら、疲れた敬語で言った。「近頃、北辺の検認で、細かな不一致がいくつか出ておるようでしてな。そういうものを、後ろから、そっと片づけて回るのが、私の役目でしてな。検認官殿のお手を、わずらわせぬように」
「私は、不一致を、片づけていません」テオは言った。「封緘して、照会しています。片づけるのは、中央の判断を待ってからです」
「ええ、ええ。それでよろしいのです」ライムントは、逆らわなかった。逆らわないのに、話が前に進まなかった。「ただ、その、中央の判断というものが、来る頃には、また新しい不一致が出ておる。いたちごっこ、というやつでしてな。だから、私のような者が、いるのです」
テオは、朝の三行の断りを思った。中央の判断は、来なかった。来たのは、係争中につき回答不能、の一枚だけだった。それを、この男は知っているのだろうか。知っていて、いたちごっこと呼んでいるのだろうか。
リーケが、役場の柱に肩を預けて、その男を上から下まで一度で検分していた。ポルツの主計室で、テオを検分したときと同じ目だった。やがて彼女は、誰にともなく呟いた。
「――支援官の飯は、どっちの帳簿だ」
「は」ライムントが瞬きをした。
「あんたの道中の飯代だ。修正官局から出るのか。それとも、検認官附の、こっちの旅費に相乗りする気か。相乗りなら、仮払願を書き直さにゃならん。頭数が増えたぶんの、飼葉と宿賃と食費の枠を、但書つきで取り直す」
「い、いえ。私のぶんは、局の……別の口から」
「なら、いい」リーケは興味を失ったように柱から離れた。だが、テオには分かった。彼女は男の懐と、腰と、荷の重心を、その一問一答の間に、全部測り終えている。経費の話は、リーケがいちばん自然に、相手の内側へ入り込む口実だった。書類に無関心なはずの女が、勘定の話になると相手の骨格まで見透かすのを、テオはこの数日で見飽きるほど見ていた。
その晩、テオは検認日誌を開いて、筆を止めた。
巡回支援官の来着を、どの欄に記せばよいのか。検認日誌の様式に、修正官の同行を書く欄は無かった。「同行者」の欄は護衛官のためのもので、リーケの名がすでにある。「立会人」は村方の者を記す欄だ。修正官は、検認官の下でもなく、上でもなく、附属でもない。様式のどこにも、居場所が無かった。
「備考に書けばいいだろう」帳面を覗き込んで、リーケが言った。
「備考は、私見を記す欄ではありません。この旅の初めに、学びました」テオは、いつか検認日誌に「護衛官、有能」と書いて、翌朝あわてて訂正印を捺した夜を思い出した。「事実だけを、正しい欄に。……ですが、正しい欄が、無いのです」
「様式に無い者が来た、ってことだな」
「様式に、無い者が」テオは、その一行を書きつけようとして、やめた。様式に無い、という言葉ほど、テオを落ち着かなくさせるものはなかった。台帳に載らない者が、台帳を均しに来ている。その居心地の悪さを、テオは結局、日誌の欄外に、ごく小さな字で書いた。本日、修正官局より巡回支援官一名来着。様式上の位置づけ、要照会。――照会の宛先が、もう何も答えないことは、書かなかった。
*
修正官の仕事ぶりを、テオはその午後、はからずも見ることになった。
役場に、村の女が一人、青い顔でやってきた。竈の火入れ税――北の村では、冬に竈を焚く家に、領主へ薪を納める古い定めがある――その台帳の写しと、この家の納めた控えとが、食い違っているのだという。台帳では二年ぶん未納、家の控えでは納め済み。差し押さえが来る、と女は震えていた。
「お見せなさい」ライムントは、疲れた顔のまま、二冊を並べた。指を這わせ、しばらく検め、それから、静かに言った。「なるほど。台帳のほうが、写し損じですな。前の書記が、頁を一枚、飛ばして繰った。二年ぶん、ずれておる」
「では、うちは」
「納めておられる。ご案じなさるな」ライムントは訂正筆を執った。「台帳の、この二行を、こう均します。ずれを、詰める。これで、台帳と、お宅の控えが、合う。差し押さえは、来ません」
女は、涙ぐんで、何度も頭を下げて帰っていった。役場に、明るい空気が戻った。村長までが、ほっとした顔をしていた。
見事な手際だった。テオは、それを認めないわけにはいかなかった。あの女は、救われた。写し損じで二年ぶんの薪を取り立てられるところを、疲れた修正官の訂正筆一本が、救った。これが「均す」ということか。これが、二十年、北辺を静かに保ってきた手か。
だが、とテオの中の何かが、片隅で小さく軋んだ。
ライムントは、家の控えを検めなかった。女の控えが正しいと、どうして分かったのか。台帳の側が写し損じだと、なぜ言い切れたのか。彼は、二冊のうち、動かしやすいほうを動かした。合わせた。合っているかを検めたのではなく、合うように、直した。結果として、正しかったのかもしれない。あの女は、たぶん、本当に納めていた。だが「たぶん」を、記録は語らない。記録は、直された、とだけ語る。
テオは、自分の背筋に立った寒気を、うまく言葉にできなかった。あの女は救われた。それは、いい。だが、もし台帳のほうが正しく、家の控えのほうが誤っていたら――ライムントの訂正筆は、納めていない薪を、納めたことにしてしまう。彼は家の控えを検めなかった。検めずに、動かした。動かされた記録は、二度と、真偽を問われない。均された不一致は、最初から無かったことになる。無かったことにされた食い違いが、この北辺に、いったい、いくつ眠っているのだろう。数えようとして、テオは、数える手がかりが一つも無いことに気づいた。均された記録は、均されたという跡さえ、残さないのだ。
石は、十二と刻まれていた。彼は言った。石は、彫り直せます、と。
同じ手だ、とテオは思った。優しい顔をした、同じ手だ。
*
その晩、ライムントは、テオの検認記録簿を「拝見したい」と言った。
「拝見だけです」疲れた笑みだった。「支援の書式を整えるのに、番号だけ、控えさせていただければ」
テオは記録簿を開いて見せた。閉ざしはしなかった。閉ざす理由が、まだ様式の上に無かったからだ。ライムントは指を舐めて頁を繰り――その指が、「不一致」の欄の上で、止まった。
「ミュールバッハ、西の五号石」ライムントは低く読んだ。「石が十二、謄本が二十。……検認官殿。これはね、昼間のと、同じことなのですよ」
彼は懐から、細い訂正筆を取り出した。
「石の十二を、二十に。あるいは謄本の二十を、十二に。どちらでもよい。片方を、もう片方へ均す。すると、石と謄本が一致する。不一致は、無かったことになる。照会も、要らなくなる。あの御婦人が救われたように、この村も、静かなままでいられる」
「あの御婦人の家の控えを、あなたは検めませんでした」テオは言った。「どちらが正しいかを検めずに、動かしやすいほうを動かした。私は、それを、検認とは呼びません」
「呼ばずとも、村は静かになる」
「静かになるのと、正しいのは、別のことです」テオは記録簿を、そっと自分の手元へ引いた。「大検認特別規程、第九条第二項。検認中の記録への接触及び訂正は、当該記録を作成した検認官の立会いと、副署を要する。――この記録は、いま検認中です。訂正には、私の副署が要ります。そして私は、副署しません」
「私には、局の指図があります」ライムントは、動じなかった。「修正官局は、訂正の申請に基づき、各地の記録を均す権を、院長から直に受けておる。申請に基づく訂正は、検認の途中であっても」
「どなたの、申請ですか」
ほんの一拍、ライムントの疲れた目が、止まった。
「……それは、申請の様式に、書いてあります」
「様式を、拝見できますか」
「様式は、局のものです。検認官殿にお見せする筋のものでは」
「では、こういうことになります」テオは指を折った。「あなたには申請に基づく訂正の権があり、私には検認中の記録を守る副署の権がある。二つの権が、同じ一枚の紙の上で、ぶつかっている。どちらが優先するかは、規程には書いていない。書いていない以上、この記録は――係争中です」
言ってしまってから、テオは、自分の使った言葉に、ぞっとした。係争中。今朝、原本庫の紋が、この同じ言葉で、テオの照会を突き返したばかりだった。同じ言葉が、上からと、下からと、同じ一件を挟んで、同時に立ち上がっている。まるで、この「係争中」という言葉のほうが、テオの照会より先に、この一件のために用意されていたかのように。
「訂正指示書は」ライムントが、ふと言った。「もう、書かれておるのですよ、検認官殿。あなたが副署なさろうと、なさるまいと」
テオは、その言葉の意味を、そのときは、まだ十分に量れなかった。量れていたら、もっと早く、あの荷の油紙を検めていただろう。
「あんたら」
柱のそばで、リーケが、心底うんざりした声を出した。
「さっきから、紙で紙を、殴り合ってるだけじゃないか。血の一滴も出ん喧嘩だ。見ちゃおれん」
「書類の喧嘩に、血は出ません」テオは真顔で答えた。「血が出たら、それはもう、書類ではありません」
ライムントが、この夜はじめて、小さく笑った。疲れた、けれど、どこか本物の笑いだった。
「……面白い検認官殿だ」彼は訂正筆をしまった。「今夜は、これまでにいたしましょう。私も、疲れておりますのでな」
その「疲れ」が、道中のものだけを指しているのではないことに、テオは、うっすらと気づいた。だが、それが何の疲れかまでは、疲れた男の顔のどこにも、書かれていなかった。
*
夜更け、リーケが七号に飼葉をやりながら、思い出したように言った。
「あの辺境伯とやらの家印は、どのくらい利くんだ」
ミュールバッハに入る前、街道で交わした話の続きだった。リーケは、忘れているようで、勘定に関わることは一つも忘れない。
「家印は、認め印とは、少し違います」テオは飼葉桶の縁に腰かけた。「私たちが甕に捺す認め印は、捺した本人だけのものです。本人が死ねば、誰にも解けなくなる。ですが、家印は――家督とともに、次の当主へ受け継がれます。父の家印を、子が継ぐ」
「なら、便利だな。死んでも印が生きてるなら」
「便利ですが、重いのです」テオは飼葉を一掴み、七号の口元へ運んだ。七号は、案の定、テオの手からは食わなかった。「家印を継ぐということは、その印がこれまでに捺してきたもの、すべての責任を、一緒に継ぐということです。曾祖父が家印で結んだ約束も、祖父が家印で認めた証文も。中に、もし、間違ったものが混じっていても――」
「継いだやつが、被る」
「そういう決まりです。家印は、権も、責も、家督とともに承継する。だから古い家ほど、古い印を、恐れるのです。自分が捺したのではない、はるか昔の一捺しの責を、いつか自分が問われるかもしれない。印は、便利な道具ではありません。印は、責任を、時間を越えて縛る鎖です。誰が縛られているかを、いつでも指し示せる鎖です」
リーケは、しばらく黙って七号の鬣を梳いていた。
「――あんた、たまに、いいことを言うな」
「恐縮です」
「褒めてない。いいことを言う顔で、恐ろしいことを言うやつが、いちばん質が悪い」
ポルツの主計室で聞いた台詞の、裏返しだった。テオは少し笑った。それから、笑いを収めて、暗い山際のほうを見た。
照会は、係争中につき、回答不能。答えは、問いより先に、この村にあった。抜かれたのは、食い違いの控えだけ。そして今、記録を「均し」に来た男が、役場に泊まっている。
王都の中央は、もう、あてにできない。テオは、そう認めるほかなかった。中央の謄本が外れ、中央の照会が答えず、中央の紋が「係争中」と言う。ならば、正しさは、どこに残っているのか。
――床下だ。
ポルツの、あの石で囲われた穴倉の、油紙にくるまれた三通目。規程が二通までと定めた、規定外の、一冊余分な控え。中央の誰も、その存在を知らない。知らないものは、均せない。抜けない。
テオは決めた。ポルツへ、戻る。北境の三号石の食い違いを、村の控えと、もう一度、正面から突き合わせる。それは検認官の職権の内だった。不一致は、まだ解けていない。解けるまで証憑を厚くするのは、テオの職分だ。係争中につき回答不能、で職分は消えない。
翌朝、その旨をライムントに告げると、彼は少しも驚かなかった。
「では、私もご一緒しましょう」ライムントは、疲れた目で微笑んだ。「巡回支援ですから。検認官殿の、行かれるところへ」
断る様式が、無かった。
こうして、一行は三人になった。検認官と、その護衛と、記録を均しに来た修正官。様式に無い者を荷駄の列に加えて、来た道を、ポルツへ引き返す。テオの検認日誌の同行者の欄は、とうとう、埋めようがなくなった。
「あの男から、目を離すな」出立の支度をしながら、リーケが低く言った。「あたしが荷を積む。あんたは、あの男の手元だけ見てろ。特に、訂正筆を持つほうの手だ」
「護衛が、護衛対象に、指図をなさるのですか」
「護衛が、護衛対象を使うんだ。人手が足りん。文句は、帰任後に、書面で受け付ける」
「書面で、受け付けていただけるなら」テオは、少しだけ、頬をゆるめた。こんなときでも、書面と聞くと、身体のどこかが、ほっとするのだった。
*
出立の朝、七号に行李を積むのは、テオの役目だった。
ライムントの荷は、思いのほか多かった。修正官の携行具は、検認官のそれと似て非なるもので、訂正筆の束、封蝋、そして書類の綴りが、幾重にも油紙にくるまれていた。彼が馬に荷を括る間、その一綴りの端が、風にめくれた。
テオの目が、そこを通り過ぎ――戻った。
めくれた油紙の下、書類の一枚に、表題が見えた。訂正指示書、とあった。修正官局之印。その脇に、細い字で、整理番号が書き込まれている。
北二二ノ三。
テオの、あの照会と、寸分たがわぬ番号だった。ポルツ村北境、川手の三号石。テオが封緘し、王都へ上らせ、そして「係争中につき回答不能」と突き返された、あの一件。
その照会に、答えは無いはずだった。係争中で、回答不能のはずだった。
風が、めくれた油紙を、もとどおりに伏せた。ライムントは何も気づかず、荷の紐を結び終えて、気だるげに、今朝の空を見上げていた。
問いには、答えない。なのに、その答えは、とうに書き上がっていた。




