第84話 太陽と届かない職場
キーンコーンカーンコーン……。
放課後を告げるチャイムが鳴り響くと同時に、俺は大きく息を吐き出して教卓に両手を突いた。
「よし、今日の連絡は以上だ。提出物忘れるなよ。さようなら」
「さようならー!」
わらわらと教室を出ていく生徒たちの背中を見送りながら、俺は自分のネクタイをぐっと引っ張って緩めた。
大学を卒業し、教員採用試験に一発で合格した。
だけど、配属されたのは地元の別の公立中学校。
職員室の座席表を見渡しても、当然そこに「松岡」の名前はない。
あの人が今、どこの学校で教鞭を執っているのかすら、連絡先を知らない俺には確かめる術がなかった。
さらに、現実は甘くなかった。
インターハイ三位という実績を買われて体育教師として採用されたものの、初めて持たされたクラスの担任業務は想像以上の激務だった。
毎日が書類と生徒対応の濁流。
おまけに、俺が配属された学校には水泳部がなく、回されたのは専門外であるテニス部の主顧問。
ラケットの握り方すら怪しい状態から、いきなり部活の全責任を背負わされることになった。
「高橋先生、ちょっといいかしら? 次の職員会議の資料なんだけど……」
「あ、はい! 今行きます!」
隣のクラスのベテラン教員に呼ばれ、俺は慌てて体育祭の行事案を抱えて立ち上がる。
あの日の成人式で聞いた「結婚の噂」が、今でも胸の奥に冷たい棘として刺さったままだ。
あの人が誰の妻になっていようが、もう関係ない。
俺の執念は、あの夜、夜の校舎で綺麗にフられたあの日から、何一つ折れてなどいなかった。
空回りしてばかりだった新学期が過ぎ、少しずつ、授業の進め方や生徒との距離感が掴めるようになってきた。
体育の授業で、今までどうしても綺麗に回れなかった生徒が、俺のアドバイスで初めて「開脚後転」を成功させて嬉しそうに笑ったとき、胸の奥がじんわりと温かくなった。
テニス部の練習でも、俺の現役時代の経験を元にしたトレーニングメニューを主顧問として必死に叩き込み、少しずつ形になり、生徒たちの動きが変わってきている。
俺は、確実に「教師」になりつつある。
放課後、誰もいない夕暮れのグラウンドを見下ろす。
この空のどこかで、あの人も今、同じように授業を終えて生徒たちのことを考えているのだろうか。
「……見ててください、先生。俺はもう、ただの頼りない教え子じゃない」
今はまだ、届かない職場。
だけど、いつか同じ「教師」としてあの人の前に立つその時へ向けて、俺は静かに牙を研ぎ続けていた。




