第73話 星と水神様
九月中旬、文化祭の余韻も冷めやらぬ中、抜けるような青空と、舞い上がる土埃の匂いに包まれて体育祭が開催された。
プログラムの目玉は、各部がプライドをかけて走る「部活動対抗リレー」。
陸上部やサッカー部が脚光を浴びる中、俺たち水泳部にとって、この時間はいつもなら一種の公開処刑に近かった。
けれど、今年の水泳部はひと味違っていた。
新入生が予想以上に増えたおかげで、層の厚さは例年以上。
走力のあるメンバーが揃ったチームは、下馬評を覆す勢いを見せていた。
「先輩、 見ててくださいね。私が絶対に一番でゴールテープ切りますから!」
女子の部、アンカーを務めるなぎさは、招集場所へ向かう前に俺の目を見て力強く宣言した。
レースが始まると、水泳部は序盤の遅れを新入生たちが懸命に繋ぎ、なぎさにバトンが渡った時点では三位。
しかし、そこからが圧巻だった。
「なぎさ、行け!!」
俺の声に呼応するように、彼女は猛烈なスパートをかけた。
前を走る二人を直線で一気に抜き去り、きらきらと星が流れるような鮮やかな走りでトップへ。
そのまま満面の笑みでゴールに飛び込んだ。
女子水泳部、劇的な逆転優勝。
なぎさは駆け寄る女子部員たちにもみくちゃにされながら、誇らしげに俺へ向かってVサインを作った。
「……次は俺の番か」
男子の部。
同じくアンカーの俺がバトンを受け取った時、状況はなぎさの時と同じく三位だった。
前を走る「陸」の猛者たちとの距離は決して近くない。
けれど、ここまでのメンバーが繋いでくれた最高のバトンが、俺の手の中で熱を持っていた。
「先輩! ぶっちぎっちゃってください!!」
誰よりも大きななぎさの声が、グラウンドに響き渡る。
その瞬間、身体に熱いものが走ると同時に、俺の意識がカチリと切り替わった。
競泳で鍛え抜かれた体幹を意識し、砂を蹴る力を推進力へと変えていく。
かつての俺なら、あと一歩が届かなかったかもしれない。
けれど、今の俺の背中には、あいつの真っ直ぐな声が、視線が、確かに届いている。
最後の直線。
独走していた陸上部の背中を捉え、俺はゴールの白線のその先へと、身体ごと飛び込んだ。
会場が、この日一番の激しい歓声に包まれる。
「やった……アベック優勝だ!」
部室の前に戻ると、興奮した部員たちが俺たちを囲んだ。
「すげえよ二人とも! 逆転に次ぐ逆転じゃん!」
「今年の水泳部は最強だな。女子は星の女神、男子は陸に上がった『水神様』降臨だ!」
「……おい、頼むからその痛い名前で呼ぶのはやめてくれ」
本気で顔が熱くなるのを感じて、俺が片手で顔を覆っていると、なぎさがトコトコと隣に並んで、楽しそうに俺の腕をギュッと掴んだ。
いつものように伝わってくる、近すぎる彼女の体温。
「いいじゃないですか、水神様(笑)。……ねえ、偉大なる水神様? 頑張ったファンのためにお願い、聞いてくれますか?」
「……水神様言うな。何だよ」
「今日の打ち上げ、絶対隣に座ってくださいね! あと……帰りに、みんなには内緒で私の好きなチョコパフェおごってください!」
「……おい。お願いが二つになってるぞ」
俺が呆れたように指摘すると、なぎさは悪びれもせず、断られるなんて微塵も思っていないようなきらきらとした瞳で上目遣いをしてきた。
俺は降参だというように息をつくと、彼女の頭にそっと手を置いた。
「……もう二度と『水神様』って呼ばないなら、考えてやる」
「えへへ、約束です! じゃあ、みんなの前では今までどおり『先輩』って呼びますね。だけど……ふたりっきりの時は、何て呼んでほしいですか?」
なぎさは俺の腕にさらに力を込め、幸せそうに目を細めた。
……ふたりっきり。
その言葉に、一瞬で顔が熱くなるのが分かった。
絶対に真っ赤になっている。
俺はなぎさに見られないよう、慌ててフイッと顔を背けた。
賑やかな喧騒の中、二人の距離は秋の深まりとともに、より一層近づいていく。
グラウンドを照らす夕暮れの光の中で、俺たちの新しい水面が、心地よく波打っていた。




