第7話 太陽と試験対策
六月下旬。
期末テストの一週間前になり、部活動は休止期間に入った。
いつもなら「泳げない時間」に焦りを感じるはずなのに、今の俺は、別の理由で落ち着かない。
京都で買った、あの小さな栞のせいで、カバンの中がずっと重い気がしていた。
(どうやって渡すんだよ、これ……)
修学旅行からもう一週間以上経っている。
俺は迷った末、教科書とノートを握りしめて、北校舎の端にある家庭科準備室へ向かった。
「……失礼します。松岡先生、ちょっと質問いいですか」
ドアを開けると、松岡先生は机いっぱいに広げられた生徒のノートと格闘していた。
一人ひとりのコメントを丁寧に書き込んでいるのか、眼鏡の端を指で押さえながら集中している。
「あ、高橋くん! どうしたの? 自習室じゃなくてこっちに来るなんて」
「……中3の範囲の、保育について。子供の遊びの意義とか、記述のまとめ方がいまいち分からなくて」
「ああ、そこね。確かに言葉にするのは難しいかも」
彼女はペンを置き、一生懸命に解説をしてくれた。
その時、彼女がチェックしていたノートの山から、目印にしていた付箋がパラリと床に落ちた。
「ああっ、また……。このファイル、いつもどこまでチェックしたか分からなくなっちゃうんだよね。何かいい目印があればいいんだけど」
苦笑いしながら付箋を拾い上げる彼女。
――今だ。これ以上のきっかけはない。
「……これ。よかったら使ってください」
俺はノートの間に挟んでおいた、薄い包みを取り出した。
「えっ……?」
「これ、京都のお土産です。……先生、学年違うから行ってないし。これならファイルに挟んでも邪魔にならないかなと思って。……ほら、金魚、水泳部っぽいし」
差し出したのは、金魚の刺繍が入ったちりめん細工の栞だ。
心臓が耳元でうるさく鳴っている。自分でも驚くほど理屈っぽい言い訳を並べてしまった。
「お土産……? 私に? わあ、すごい綺麗……!」
松岡先生はパッと顔を輝かせて、栞を袋から丁寧に取り出した。まじまじと見つめる彼女の指先が、小さな金魚の刺繍の凹凸をそっとなぞる。
「高橋くん、ありがとう。嬉しいな。……そうか、金魚、水泳部だね。私にぴったり」
「……先生、ファイルとかノートとかいつもバタバタ探してるから。それ挟んでおけば、少しはマシになるかと思って」
ぶっきらぼうに言って背を向けたが、背後で「大切にするね。これがあれば仕事も頑張れそう」とはしゃぐ彼女の声が聞こえた。
準備室を出て、誰もいない廊下を足早に歩く。
認めたくなかった。
テストの点数よりも、全中のタイムよりも、今はあの先生の笑顔を思い出すだけで、呼吸が浅くなってしまう自分を。
六月の湿った風が、廊下の窓から吹き込み、俺の火照った頬をなでていった。




