第59話 星と太陽の急接近
なぎさの家で、手作りケーキの甘さに胸を躍らせていた時だった。
不意に鳴り響いたインターホンの音が、穏やかな空気を切り裂いた。
「はーい!……あ、叔母さん! どうしたの?」
なぎさが玄関へ向かい、親しげな声を上げる。
その後に続いてリビングに現れた人物を見た瞬間、俺の心臓は、インターハイの決勝前よりも激しく脈打った。
「なぎさ、近くまで来たから様子を……あらあら、お客さん?」
そこに立っていたのは、中学時代の恩師であり、なぎさの叔母でもある松岡先生だった。
「……先生」
「えっ……高橋くん!? まあ、懐かしいわ。そんなに大人っぽくなって、びっくりしちゃった」
二年半ぶりの再会。
先生は当時と変わらず、どこかおっとりとした空気を纏っていた。
プールのベンチや引率する電車の中での居眠りをしてしまうような、ちょっと抜けたところのある先生だ。
だけど、誰よりも生徒想いだった。
全国を賭けたあのプレッシャーだらけの中学の県大会、ガチガチになっていた俺の隣で、先生は食べ物の話をして、俺の肩の力をふっと抜いてくれた。
ただ隣で「力を抜いて泳いでおいで」と笑ってくれるだけで、凍りついた俺の身体を一瞬で温めてくれた、あの「太陽」の輝きがそこにはあった。
あの時感じた、切なくて、でも温かい「初恋」の残り火が、先生の穏やかな声を聞いた瞬間に一気に燃え上がっていく。
「なぎさから聞いたわよ。インターハイ三位になったんですって? すごいわねぇ、頑張ったのね」
先生は目を細めて、教え子の成長を心から喜んでいる。
アドバイスなんて何一つない。
でも、その「お疲れ様」と言わんばかりの優しい眼差しに触れるだけで、俺は先生から多くのことを教えてもらっているような感覚になる。
「先生、あの……俺、ずっと先生に報告したかったんです。……先生の母校で、先生に認めてもらうために、必死で頑張りました。……俺、ずっと」
「先輩……?」
俺が熱を込めて語りかけた時、横からなぎさが不安そうに俺の袖を掴んだ。
なぎさは、俺が今まで彼女に見せたことのないような、余裕のない「少年の顔」をしていることに息を呑んだ。
まるで、大好きな叔母に大切な人を奪われてしまいそうな、夜空に震える一番星のような焦燥が、その瞳に宿りはじめていた。
「……ふふ、なぎさ、そんなに強く掴まなくても高橋くんは逃げないわよ?」
先生は二人の様子を見て、首を傾げた。
その無自覚な微笑みすら、かつての俺にとっては世界の全てだったことを思い出し、顔が熱くなる。
佐伯先輩から提示された、大学で共に高みを目指す「月」の未来。
なぎさが手作りケーキに込めてくれた、真っ直ぐに寄り添う「星」の今。
そして、松岡先生との再会によって色鮮やかによみがえった、眩しすぎる「太陽」の過去。
なぎさの家を包む甘い香りと、先生が醸し出す温かな空気。
三者三様の光に囲まれて、俺の心はこれまでにないほど激しく揺れ動いていた。




