第52話 星と重なる三度の夏
インターハイの会場は、独特の緊張感に包まれていた。
プールの水面に反射する強烈なライト、反響する歓声、そして鼻を突く塩素の匂い。
三年生の俺にとって、このレースがどんな結果に終わろうとも、これで引退だ。
「――先輩、最高のレースを期待しています」
招集所へ向かう直前、隣に立ったなぎさが、真っ直ぐな視線を俺に向けてきた。
中学時代に全国の舞台を経験している彼女の瞳には、会場の空気にのまれるような怯えは一切ない。
ただ、俺の最後の雄姿をその目に焼き付けようとする、静かで熱い闘志だけが宿っていた。
「ああ。……行ってくる」
スタート台に向かって歩き出す一歩一歩が、これまでの水泳人生を遡るような感覚を俺に与えた。
俺がこの「全国」という舞台に挑戦するのは、これが三度目だ。
【第一の記憶:中学3年生、全国中学】
一度目は、中学3年生の夏。
隣には、顧問の松岡先生がいた。
「全国決めたら、私、美味しいものおごっちゃう」
先生のその言葉に背中を押され、俺は無我夢中で水を掻いていた。
あの時は、全国に出場することが目的だった。
予選落ちでも俺の中ではやりきっていた。
あの時、金魚の栞を贈った思い出と共に、太陽のように温かく、前を照らしてくれた先生が見せてくれた景色が、すべての始まりだった。
【第二の記憶:高校2年生、インターハイ】
二度目は、去年の夏。
隣には、凛とした立ち姿の佐伯先輩がいた。
「広島でお好み焼きね。二人でインターハイ出場のお祝いしようね」
そう誓い合い、二人で必死に掴み取った大舞台だった。
結果は二人とも予選敗退。
けれど、全力を出し切った後の疲労感は、不思議と心地よかった。
夜空に浮かぶ月のように静かに、だけどお互いを確かに照らし合いながら、全力を尽くした証を分かち合ったあの夏。
【そして今:高校3年生、最後の夏】
そして、三度目の今日。
俺の後ろには、いつも俺のことを応援し続けてくれている後輩のなぎさがいる。
(先生、先輩……見ててください。三度目の正直です)
かつて太陽のような先生に教わり、月のような先輩と夢を追いかけ、そして今、星のようななぎさに見送られて、俺はスタート台に立っている。
そして、彼女達との思い出が、今の俺の力強い推進力となっている。
――今回は、絶対に予選落ちなんかで終わらせない。今、過去の自分を超えるために。
「Take your marks...」
静寂が支配する会場に、電子音が鳴り響く。
俺は、自分の中に生き続けるすべての記憶と、まだ見ぬ決勝の景色を掴み取るための執念をすべて手のひらに込め、水の中へと飛び込んだ。




