第50話 星と水の魔法
約束の日曜日。
俺たちがやってきたのは、街外れにある大型テーマパークのプールだった。
大会シーズンの張り詰めた空気から離れ、目に飛び込んでくるのは色鮮やかなパラソルと、楽しげな家族連れやカップルの姿。
「……あの、先輩。せっかくのオフのデートなのに、なんでまたプールなんですか?」
「ここならお前も遊べるし、練習もできるだろ。一石二鳥じゃないか」
「毎日嫌ってほど泳いでるじゃないですか! 先輩、本当に水泳バカですね」
文句を言いながらも、なぎさの瞳は楽しそうにきらきらと輝いていた。
呆れつつも隠せない彼女の嬉しそうな様子に、俺の心もどこか温かくなる。
「じゃあ着替えてきます!」と更衣室へ走っていった彼女を、俺はパラソルの下で待った。
けれど、戻ってきた彼女の姿を見た瞬間、さっきまでの日常的な空気は一瞬で消え去った。
「先輩、お待たせしました!」
背後からかけられた声に振り返り、俺は言葉を失った。
(……え?)
そこにいたのは、いつもの競泳水着でも、学校のジャージ姿でもない、なぎさだった。
白いフリルがあしらわれた、淡い黄色――まるで昼の光に溶ける、一番星の欠片を身にまとったようなセパレート水着。
練習で引き締まったウエストと、競泳用とは違う柔らかそうな肩のライン。
濡れていない髪が風になびき、いつもより少し大人びて見える。
「……どうしたんですか? そんなにジロジロ見て。変、ですか?」
「あ、いや……変じゃないけど。……似合ってるよ」
視線をどこに置けばいいのか分からず、俺は不自然に顔を背けた。
さっきまで「一石二鳥」だなんて理屈をこねていたはずなのに、今は全く別の生き物を見ているような、そんな暴力的なまでの「女の子」を感じて、心臓の音がうるさい。
「やった! 先輩をドキドキさせるために、叔母と一緒に選んだ甲斐がありました!」
なぎさは屈託なく笑って、俺の腕を掴んだ。
叔母――松岡先生と一緒に。その言葉に、一瞬だけ胸の奥がチクりとした。
あの温かい太陽のような先生は、どんな顔でこの水着をなぎさに勧めたんだろう。
「さあ、行きましょう! 今日は私、先輩を独り占めするって決めてるんですから!」
なぎさに引かれるまま、俺たちは波の出るプールへと向かった。
流れるプールで浮き輪に身を任せ、青い空を見上げる。
かつて松岡先生と行った大阪の地、佐伯先輩と行った広島の地。
それらの約束の場所が「勝負」と表裏一体だったのに対し、今、隣で笑っているなぎさとのこの場所は、どこまでも甘く、穏やかだった。
水面を見つめながら、俺はふと思った。
結局、俺自身がここを選んだのも、どこかで水の中にいるときが一番、素直に彼女と向き合える気がしたからなのかもしれない。
ふとした拍子に、プールの水飛沫がなぎさの肌を濡らす。
彼女が顔を拭い、髪をかき上げる仕草に、俺はまた視線を彷徨わせた。
「……なぎさ」
「なんですか? 先輩が名前で呼んでくれるなんて、珍しい」
不意に口を突いて出た名前に、彼女は少しだけ頬を染めて、でも嬉しそうに俺を見つめ返した。
松岡先生への消えない憧れという過去の太陽を胸の奥に閉じ込んだまま、俺は今、目の前の眩しい星の光に、少しずつ溶かされていくのを感じていた。




