第43話 星と水面のストローク
放課後のプールサイド。西日に照らされた水面が、金色の鱗のように輝いている。
「浅野、二個メ(200M個人メドレー)のタイムを測るぞ」
俺は努めて冷静に、ストップウォッチを握りしめた。
佐伯先輩が卒業し、自分がこの部を背負う立場になった。まずはこの新入生の力を正確に測らなければならない。
「はーい! 先輩の特等席で泳げるなんて、最高ですね!」
なぎさは相変わらずの調子でゴーグルを装着する。
だが、スタート台に立った瞬間、彼女の纏う空気が一変した。
――ピーッ!
笛の音と同時に、なぎさはしなやかな跳躍を見せた。
バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ……。
その泳ぎは荒削りだが、まるで水そのものを支配しようとするような、強気で真っ直ぐなフォームだ。
(……速い。それに、迷いがない)
最後の最後まで、彼女の泳ぎは止まらない。
夜空を切り裂く流れ星のような勢いのまま、ゴール板を叩いたなぎさが、水面から顔を出した。
「……どうでした? 私、先輩に追いつけそうですか?」
「……ああ。いい泳ぎだ。でも、平泳ぎから自由形へのターンは変な癖があるな」
「わっ、さすが先輩。よく見てますね! 実は、うちの叔母に相談したこともあるんですけど……」
なぎさはプールの縁に腕をかけ、可笑しそうに肩をすくめた。
「『とりあえず、おいしいもの食べれば、速くなるんじゃないかな』って、笑顔で言われちゃって。あのアドバイスがずっと忘れられなくて!」
「……あはは、なんだそれ。素人みたいなアドバイスだな」
思わず吹き出した俺の胸に、かつて的外れな、けれど底抜けに温かい励ましをくれた松岡先生の姿が、一瞬だけ重なった。
あのひだまりのような、すべてを包み込んでくれる太陽の温もり。
(……やっぱり似てるな。笑顔の作り方とか、独特の空気感とか)
「先輩。私がファンになったのは、去年の大会で、先輩がそれまでの何かを振り切るみたいに、自分自身の限界を超えて泳いだ瞬間を見たからです」
「やっぱり、この部活に来て良かったです」
なぎさは、暗闇でちりちりと強く瞬く星のような瞳で、俺を見上げた。
「先輩の指導、すごく的確で、ちゃんと私を見ててくれる。一人でがむしゃらに泳いでいた時より、このプールにいる今の方が、ずっと心が軽くなるんです。だから、私をこの場所でもっと強くしてくださいね、先輩」
なぎさが水飛沫を跳ね上げると、俺の頬に冷たい水滴が飛んだ。
温かい太陽の面影を持つ少女が、先生にはなかった「競泳」への鋭い情熱――星の煌めきを持って迫ってくる。
その不思議な感覚に戸惑いながらも、俺は先輩として、彼女から目を離せなくなっていた。




