第41話 星と面影のプロローグ
桜の花びらが、まだ水の張られたばかりの屋外プールに頼りなく浮かんでいた。
中学時代とは違う、高校の青い水底に慣れてから、もう二年が経つ。
「……よし、今日はここまで。各自、ストレッチを怠るなよ」
俺の声に、部員たちが一斉に返事をする。
佐伯先輩が引退し、最上級生の部長として部を引っ張るようになって初めての春。
頼れる背中がいなくなったプールサイドは、想像以上に広く、そして静かだった。
そんな静寂を切り裂くように、更衣室の方から弾んだ足音が近づいてくる。
「失礼します! あの、高橋先輩!!」
現れたのは、真新しいジャージに身を包んだ新入生だった。
その顔を見た瞬間、俺の心臓が、冷たい水に飛び込んだ時のように大きく跳ねた。
(……え?)
大きく澄んだ瞳、少し上がった口角。
夜空にぽつんと浮かぶ星のように、どこかマイペースで掴みどころのない空気を纏いながらも、その奥に強い光を宿した表情。
それは、中学時代、「金魚の栞」を手渡した、あの憧れの人――松岡先生に、驚くほど似ていた。
「君、は……?」
「一年の浅野なぎさです! ずっと、先輩のファンでした!」
「ファン……?」
「はい! 去年の大会で、先輩が泳いでいる姿を見て、一目惚れしたんです。先輩の泳ぎのファンとして、今日からここで泳がせてください!」
屈託のない笑顔で迫るなぎさの瞳は、夜空でひときわ強く瞬く星のように、まっすぐな光を俺に投げかけてくる。
名字は「浅野」だ。松岡先生ではない。
だが、彼女が放つ不思議な眩しさに触れるたび、中学時代に、自分を温かく照らし、包み込んでくれた太陽のような先生の笑顔が、どうしても脳裏をよぎってしまう。
あの日、背伸びをして京都で栞を選んでいた自分。
そして今、星のような鋭い煌めきで、自分に「ファンだ」と告げる少女。
「……泳ぎの、ファン、か」
「そうです! だから、私を一番近くで指導してくださいね、先輩?」
彼女の瞳の奥に、かつて焦がれた「太陽」の面影と、目の前でちりちりと輝く「星」のリアルな熱量が混ざり合う。
俺にとって最後の夏が、予期せぬ嵐を伴って、今、幕を開けた。




