第36話 月と祝砲と夜空の思い
決勝の電光掲示板に、佐伯先輩のタイムが刻まれた瞬間、俺は拳を強く握りしめた。
予選で足りなかった「コンマ七秒」を大幅に塗り替える、文句なしの全国大会出場決定。
二人揃って広島行きの切符を掴んだ興奮冷めやらぬまま、俺たちは帰路についていた。
地元の駅を降りると、遠くから腹に響くような重低音が伝わってきた。
夜空を彩る大輪の花。
……あの日と同じ、地元の花火大会だ。
一年前の今日。
全国大会への道を断たれ、ボロボロの心でこの駅に降りた俺たちの耳に、この音はひどく残酷に響いた。
楽しげな浴衣姿の群衆の中で、俺と先輩だけが、自分たちの無力さを噛み締めていた。
あの時、俺は一生この花火を嫌いになるだろうとさえ思っていた。
「……高橋くん、少しだけ、見ていかない?」
先輩が、かつて二人で肩を落として歩いた駅前の高台へ俺を誘った。
去年は逃げるように去ったこの場所で、今年は足を止める。
「……去年は、あんなに惨めだったのにね」
先輩が、夜空を見上げたままポツリと呟いた。
打ち上がる花火の光に照らされて、その瞳が熱っぽく潤んでいるのが分かった。
「今日の決勝の前に、君の広島焼きの話をしてくれた時。……私、一年前のあの日を思い出してた。でも、そんな気分が一気に晴れて景色が広がった感じになって。君が、私を広島へ連れて行ってくれたんだって」
先輩がこちらを振り向き、俺のジャージの裾を、あの時よりもずっと強い力で握りしめた。
次々に弾ける花火の鮮やかな光の中でも、彼女の佇まいは夜空に浮かぶ月のようにどこか静かで、冷たいほどに美しい。
けれど、俺のジャージの裾を握りしめたその指先だけは、確かに熱を帯びていた。
「君は、私をどんどん新しい世界に連れていってくれる。……最初はただの生意気な後輩だと思ってたのに。いつの間にか、君のいない部活なんて考えられなくなっちゃった」
「……先輩?」
「高橋くん。私、君が好き。……もう、ただの先輩と後輩の関係には、我慢できそうにないの」
ずっと遠くで輝いていたはずの「月」が今、強い引力で、まっすぐに俺だけを求めて揺れている。
轟音と共に、一際大きな黄金色の花火が夜空に広がった。
一年越しのリベンジを果たした高揚感と、突然の告白。
松岡先生。
去年、惨めな思いをしながら見ていた花火を、今年は隣で「好きだ」と言ってくれる人と見ています。
俺が先生のやり方を真似して先輩を励ました結果、物語は、俺の想像もしていなかった方向へ動き始めてしまいました。
花火の光の中で震える先輩の手を前にして、俺の心はまだ、中学校のプールに置き去りにされたまま、激しく戸惑っていた。




