第18話 太陽と冬の選択肢
十二月。三者面談を控えた進路指導室の前で、俺は一枚の書類を手に立ち止まっていた。
水泳の強豪校として知られる私立高校からの、スポーツ推薦の打診。
そこに行けば、最高の環境で水泳を続けられる。
将来の保証も、全国への最短距離も約束されたようなものだった。
「……高橋くん、どうしたの?」
不意に背後から声をかけられ、振り返ると松岡先生が立っていた。分厚いコートに身を包み、マフラーに顔を半分埋めている。
「先生。……推薦のこと、聞きました?」
「うん、鬼頭先生から。すごいじゃない、あんな有名な高校から声がかかるなんて。……やっぱり、あそこに行くことに決めたの?」
彼女の瞳には、純粋な祝福と、どこか寂しげな色が混ざっているように見えた。俺は視線を書類から外し、窓の外の寒々しい校庭へ向けた。
「……断ろうと思ってます」
「えっ……? どうして? あそこなら、もっと上の舞台を目指せるのに」
「あそこは、出来上がった場所ですから。……俺、自分の実力がどこまで通用するか、一般入試で挑戦してみたいんです。……それに、行きたい学校が見つかったので」
俺がカバンから取り出したのは、県内でも有数の進学校であり、水泳部も古豪として知られる公立高校のパンフレットだった。
それを見た瞬間、松岡先生が「あっ」と小さく声を上げ、目を見開いた。
「そこ……私の母校だよ? 高橋くん、知ってたの?」
「……え、そうなんですか? 全然知りませんでした」
とぼけてみせたけれど、心臓は少しだけ速く脈打った。
夏の終わり、先生が言っていた言葉を覚えていた。――『誰かと一緒に笑い合える存在になりたくて、先生になった』。
彼女がどんな場所で学び、どんな景色を見て、あの優しい価値観を育んだのか。それを知りたいと思ったのは、俺の独りよがりな執着だろうか。
「……嘘。絶対に知ってたでしょ」
先生が少しだけ頬を赤くして、俺を覗き込む。
「本当ですよ。ただ、そこなら勉強も水泳も、俺が一番『ジタバタ』できそうだと思っただけです」
「……そっか。あそこ、冬の練習はすごく厳しいよ? 温水プールなんてないから、近くの公共施設まで自転車で走らなきゃいけないし」
「望むところです」
俺はパンフレットをカバンに仕舞い、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「先生の母校なら、俺も同じ景色を見てみたい。……そう思ったら、もう迷いは消えました」
言葉の端に込めた想いが、彼女にどこまで伝わったかは分からない。
けれど、先生は大切そうにファイルを抱きしめ、その中にある金魚の栞にそっと触れてから、最高の笑顔を見せてくれた。
「……厳しいよ。私の後輩になるのは、全国大会より大変かもね」
「覚悟の上です」
冬の廊下、冷たい空気の中で、俺たちの新しい約束がまた一つ増えた。
先生が歩んできた轍を、今度は俺がなぞっていく。その先に、高校時代の彼女が見ていた景色が待っていると信じて。




