第15話 太陽と夏の終止符
電光掲示板を見上げた。
そこには、俺のこれまでの努力の全てをぶつけたタイムが刻まれていた。
自己ベスト。けれど、決勝へと続く文字は、俺の欄には付かなかった。
「……終わったな」
プールから上がり、大きく一息つく。悔しさがないわけじゃない。でも、不思議なほど心は凪いでいた。
指先まで使い切った感覚。肺が焼けるような熱さ。この瞬間のために積み上げてきた日々が、今、確かな手応えとして俺の中に残っている。
観客席を見上げると、いつものように最前列で身を乗り出している松岡先生が見えた。
彼女は俺の結果を確認すると、一瞬だけ寂しそうな顔をしたが、すぐに顔を上げて、真っ赤な顔で大きく両手を振ってくれた。
――お疲れ様。
声は聞こえなくても、彼女の口の動きで分かった。
シャワーを浴び、着替えを済ませて観客席へ戻ると、そこにはプログラムを抱えた彼女が待っていた。
窓から八月の西日が、彼女の背中を黄金色に縁取っている。
「高橋くん……!」
彼女が小走りで駆け寄ってくる。俺の顔を見るなり、今にも泣き出しそうなのは、泳いだ俺じゃなく彼女の方だった。
「ごめんね、私、もっと気の利いた応援ができればよかったんだけど……。でも、すごかったよ。今までで一番、かっこいい泳ぎだった」
「……何言ってるんすか。予選落ちですよ。目標は決勝だったのに」
俺はわざとぶっきらぼうに言った。けれど、自分の声が少しだけ震えていることに気づく。
「でも、全力を出し切った顔してたよ。……いい顔だった」
彼女はそう言って、優しく微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、俺の中で張り詰めていた「選手」としての糸が、ぷつりと切れた。
これで、俺の中学の水泳は終わったんだ。
「……先生。俺、やりきりました。後悔はないです」
「うん。……知ってるよ。ずっと見てきたもん」
彼女が抱えたプログラム。その端で、金魚の栞が風に吹かれてひらひらと揺れている。
俺が贈ったあの小さな栞が、この過酷な夏の間、ずっと彼女と俺を繋いでおいてくれた。
「さあ、高橋くん! 引退試合もお疲れ様でしたっていうことで……約束、覚えてる?」
彼女は涙を拭って、いつもの明るい声に戻った。
「もちろんです。先生、財布の準備はいいですか? 大阪で一番高いお好み焼き、探しますからね」
「えっ、一番高いのはちょっと……! あ、でも、今日くらいはいいかな。……よし、行こう! お腹、ペコペコでしょ?」
沈みかける太陽を背に、俺たちは歩き出した。明日からは、もう朝練も、塩素の匂いに包まれる放課後もない。
けれど、俺の隣で「どこが美味しいかな」とスマホを覗き込んでいるこの人との時間は、まだ終わらない。
俺の夏は、この一掻きで終わったけれど。新しい季節が、すぐそこまで来ているのを感じていた。




