第12話 太陽と青光の特急
八月中旬の朝。
東京駅のホームは、夏休みを謳歌する家族連れや旅行客で溢れかえっていた。
俺は、大きなエナメルバッグを肩にかけ、新幹線の乗車口に並んでいた。
隣には、少し眠そうに目をこすりながら、手荷物をぎゅっと抱えた松岡先生がいる。
「……高橋くん、私、車内で寝ちゃうかも」
「乗る前から宣言ですか? 先生、寝坊しなくてよかったですね」
「失礼だなぁ。これでも昨日は、大阪の美味しいものマップを夜遅くまでチェックしてたんだから」
そう言って笑う彼女の首からは、いつものファイルを収めたバッグが下げられ、そこには金魚の栞がしっかりとお供していた。
車内に入り、指定された席に座る。引率の教師と生徒という名目上、当然のように席は隣同士だった。
新幹線が静かに滑り出す。窓の外、ビル群がまたたく間に流れ去っていく。
最初の三十分ほどは、鬼頭先生から預かった大会のスケジュールを確認したり、大阪での移動経路を相談したりしていた。
けれど、冷房の効いた車内の心地よさと、揺れの一定のリズムが、彼女の意識を奪っていったらしい。
「……ん」
不意に、隣から小さな声がした。
見ると、松岡先生がこっくりこっくりと船を漕いでいる。そして、大きく一つ揺れた拍子に、彼女の頭がゆっくりと俺の右肩に落ちてきた。
(……っ!?)
心臓が、飛び出しそうくらい跳ねた。
右肩に、彼女の髪がふわりと触れる。微かに漂うのは、プールの塩素の匂いでも、調理室の油の匂いでもない。日向のような、柔らかいシャンプーの匂いだ。
普段は「先生」として俺の前に立っている彼女が、今はこんなに近くで、無防備に寝息を立てている。
動けない。いや、動きたくなかった。
肩に伝わってくる、彼女の体温と、一定の重み。それが酷く愛おしくて、俺は窓の外をじっと見つめたまま、全身を硬くした。
もし佐藤たちがここにいたら、間違いなく冷やかされるだろう。
「お前、先生のことが好きなのか?」
そう聞かれたら、今の俺はどう答えるんだろう。
窓ガラスに映る自分の顔は、驚くほど赤かった。
(……先生、寝過ぎです)
心の中でそう毒づいてみるけれど、口角が緩んでしまうのを止められない。
彼女が抱えているバッグの隙間から、金魚の栞がひょこっと顔を出している。まるで、「今の時間は二人だけの秘密だよ」と笑っているみたいだった。
新幹線は、熱を帯びた俺の想いも一緒に乗せて、西へとひた走る。
三時間後の大阪。
そこに着いた時、俺は今よりももっと、彼女の特別な存在になれているだろうか。
肩の重みを感じながら、俺は目を閉じて、静かに呼吸を整えた。
全国大会前の、嵐の前の静けさのような。けれど、人生で一番甘い三時間が始まっていた。




