第10話 太陽と歓喜の飛沫
顔を上げ、電光掲示板を見上げた。
最上段に並ぶ俺の名前。その横には、ずっと追い求めていた全中標準記録を上回るタイムが、鮮やかに刻まれていた。
「……ッ、しゃあ!!」
水面を激しく叩き、大きく咆哮した。全身から心地よい力が抜け、それと同時に凄まじい達成感が一気に押し寄せてくる。
屋内プールの高い天井に、仲間たちの歓声が反響していた。
「高橋! やったな! マジでやりやがった!」
プールから上がると、興奮した部員たちが次々と駆け寄ってきて、濡れた俺の肩を叩く。
おめでとう、信じてたぞ――。
揉みくちゃにされながら、俺の視線は無意識に、はるか上方の応援席を探していた。
(先生……)
本当は、今すぐに駆け寄りたい。誰よりも先に「やりました」と伝えたかった。
でも、ここは大会会場だ。ただの生徒である俺が、大勢の目が光る中で、若い女の先生の元へ走るわけにはいかない。
沸き立つ応援席の最前列、身を乗り出すようにしている彼女の姿を見つけた。
松岡先生は大声を出すこともなく、ただ両手で大切そうに栞を握りしめ、真っ赤な目でこちらを見つめていた。
溢れそうになる涙を必死に堪えるように、何度も、何度も小さく頷いている。俺が贈ったあの金魚の栞が、彼女の震える指の横で小さく揺れていた。
俺は仲間たちに囲まれたまま、彼女にだけ伝わるように小さく口角を上げた。
(約束……果たしましたよ)
声には出さなかった。でも、彼女は俺の視線に気づくと、パッと顔を輝かせた。
そして、口パクでゆっくりと、いたずらっぽくこう言ったのがわかった。
『……お・ご・り・ね』
その瞬間、さっきまで体に残っていた緊張が、嘘のように溶けていった。
全国大会出場。
手に入れた切符は、俺一人の力じゃない。
あの調理室の匂い、修学旅行で買った栞、そして木陰で交わしたあの不格好な指切り。
周りの喧騒が遠くに感じるほど、俺たちの間にだけ流れる静かな時間が、今は何よりも誇らしかった。
「高橋! 何ボーっとしてる、早く着替えて表彰式の準備だ!」
鬼頭先生の野太い声に急かされ、俺は我に返った。もう一度だけ応援席を振り返り、力強く足を踏み出す。
八月の大阪。
そこで泳ぎ終わったあと、俺は彼女に何を伝えるんだろう。まだ、自分の気持ちを言葉にする勇気はないけれど。
でも、この夏が終わる頃には、今よりも少しだけ、胸を張って彼女の隣に立てる自分でありたい。
俺の夏は、ここから本当のクライマックスへと向かっていく。




