第89話 【絶対の服従】迷宮の至高酒と根来衆の降伏
腰を抜かした佐々成宗は、優雅に身を横たえる神馬ニルを恐る恐る遠回りして避けながら、冷や汗をダラダラと流して俺の元へ歩み寄ってきた。
「し、信長様……! 『二十四騎で今川軍二千を蹴散らした』って噂……あれ、ハッタリでもなんでもなく本当だったんじゃねえですか……!?」
「いやいや、だから大嘘だって。俺たちはただのきっかけだ」
「これだけの規格外の戦力が揃っていれば……二千どころか一万の軍勢だろうと一方的に踏み潰せるぞ……」
成宗が呆然と呟いていた、まさにその時――荒々しい足音と共に、モンスター狩りから戻ってきた新免無二隊が訓練場へと姿を現した。
無二は即座に成宗の放つ強い気配を察知すると、獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべて迫ってきた。
「おッ!? なんだか威勢の良い生きのいいジジイがいるじゃねえかッ! おいジジイ、俺と生身の真剣勝負をしねえかッ!? 生き死にのギリギリの境地ってのは最高に気持ちいいぞ! どうせお前も老い先短いんだ、ここで俺の糧になれ! ガハハハッ!」
相変わらず無二の奴は無茶苦茶だ。むき出しの殺気と圧倒的な威圧感を全身から撒き散らしている。
「いやいやいやッ!? 冗談じゃねぇ、俺は戦場以外のくだらねぇ斬り合いで死にたくねぇよッ!」
成宗は青ざめた顔で即座に拒絶した。案外ビビリなところがある老将だな。
だが無理もない。無二という男は存在そのものが「抜き身の刃」そのものなのだ。同じ剣豪でも、愛洲小七郎や富田勢源は普段、殺気を完璧に鞘へと収めている。それでも真剣で向き合えば恐ろしいが、無二は常時殺気を垂れ流しているようなものなのだから、初対面でビビるのも当然だった。
そこへ、大きな酒瓶を抱えた杉谷善住坊がヘラヘラと笑いながらやってきた。
「おーい、昌豊(内藤高坂昌信)! 今日の訓練はもう終わったかぁ? 飲むぞぉ! 汗をかいた後の一杯は五臓六腑に染み渡るほど美味ぇんだ!」
内藤昌豊が汗を拭いながら善住坊に応じる。
「おう、今日は野外の狩りだからもう飲めるぞ。善住坊、また珍しい酒を持って込んできたな?」
「ん? なんだかめちゃくちゃ良い匂いが漂ってやがるな……」
鼻をヒクヒクと動かした成宗は、恐怖を忘れて即座に身を乗り出した。実に立ち直りの早いジジイだ。
「おッ! このじいさん、なかなか酒が行ける口かい? まあ飲みなよ、飛ぶぞ?」
善住坊が小さな盃にトクトクと透明な液体を注ぎ、成宗に手渡す。
「なんじゃあぁぁぁぁぁぁこれぇぇぇぇぇッ!? うんまぁぁぁぁぁいッ!?」
一口含んだ瞬間、成宗の目が限界まで見開かれた。
美味いのは当たり前だ。それは最近、ダンジョン(迷宮)から採取した特殊なお米と魔力触媒を使ってようやく完成させた、未だ市場には一切出回っていない「迷宮産米焼酎」の特級試作品なのだから。
「おい政次ッ! 俺は今日限りで隠居して、この那古野城で暮らすぞッ! 比良城の城主はお前に任せたッ!」
成宗はいきなり滅茶苦茶なことを言い出した。
結局、その日は大量の迷宮酒を土産として持たせ、長男の政次たちに“優しく”城へ連れ帰ってお引き取りいただいた。
まったく、騒々しいジジイだったぜ。
――それから数日後のこと。
前田利久が険しい表情を浮かべて、俺の執務室へとやってきた。
「信長様、少々お耳に入れたき儀がございます。ここ最近、那古野城に滞在している『根来衆』から要求される食料の量が極端に跳ね上がっていると、厨房の係から報告を受けました。何か特別な理由でもお聞きでしょうか?」
「ん? 俺は何も聞いてないな。……ちょっと三の丸へ行ってみるか」
「ご同行いたします」
俺は利久を連れ、根来衆(傭兵鉄砲隊)の宿舎となっている三の丸へと向かった。
案の定、三の丸の広場では根来衆の連中と加藤清忠、杉谷善住坊、山本勘助、内藤昌豊たちが車座になって盛大に酒盛りを繰り広げていた。
そしてその輪の中心に、一際規格外の巨体を誇る男が大声をあげて酒を煽っているのが見えた。
「グアッハッハッハ! 良いねぇ良いねぇッ! やっぱり美味ぇわ、この酒は最高だぜッ!」
津田監物――ッ!
根来衆の絶対的頭領であり、全高3メートルを超す単眼の巨人族の豪傑・津田監物が、そこに鎮座していたのだ。
「おい、津田のオヤジッ! なんでお前がこんなところにいるんだッ!?」
「おッ、信長じゃねぇか! こんな美味ぇ酒がある場所に俺が来ねぇわけがねぇだろ! この酒はいつから売り出すんだ? 俺がいくらでも買い叩いてやるぜッ!」
「そのうち市で販売する予定だが……お前たちの紀州の根来でも酒は造っているだろうが」
「うちの酒なんざ、この神の酒には逆立ちしたって敵わねぇよ! それに根来の奴ら、うちの配下のくせにこの酒の製法を俺に一切教えねぇんだ!」
「そりゃそうだろ、俺が厳重に口止めしてるんだからな」
秘密を漏らしたらどうなるか、直子と蟲モンスターの軍勢を使って徹底的に脅してあるのだ。口が裂けても喋るはずがない。
「この強烈なアルコール分と、酒造りの時期でもねぇのに大量に仕込める秘密は、喉から手が出るほど知りてぇ! 金ならいくらでも積むから製法を教えてくれねぇか?」
「ダメダメ! 門外不出の国家機密だ、絶対に教えるわけがないだろ!」
「チッ、やっぱりダメか。……くそっ、あの最強の新型ライフル鉄砲の製法も盗めなかったしなぁ」
「あ゛ぁん!? お前、鉄砲の製法まで盗もうとしてたのかッ!?」
「そりゃあんな化け物みたいな性能の鉄砲を見せつけられたら、製法を盗もうとするのが裏社会の普通だろ?」
「ちっ……油断も隙もあったもんじゃねぇな、この親父!」
「がはは! だが完全に失敗したよ! あの鉄砲はゆず殿の特殊な錬金魔術と精密加工がねぇと作れねぇし、ゆず殿をどれだけ甘い言葉で籠絡しようとしても一切乗ってこねぇ。その上、銃の数は一丁単位で厳重に管理されてて横流しもできねぇ……」
「おいおいおいッ! ゆずを籠絡しようとまでしたのか!? 本当に油断も隙もねぇなッ!」
「ハハハ! もうお手上げだ! あの鉄砲とこの美味ぇ酒があれば、誰だって天下を取れる。……よし決めた! 今日から根来衆は全員、お前……いや、信長様の完全な配下になってやるよ! 好きなように使い倒してくれ!」
「は……?」
「それとな、那古野城に詰める根来衆の数を、従来の五十人から一気に【百人】に増やしておいたからな!」
「はあぁぁぁッ!? 勝手に増やすなッ!」
「しょうがねぇだろ! こんな美味ぇ酒と最高の装備があるんだ、紀州の連中が『俺も那古野に行かせろ』って大暴動を起こしたんだよ! これでも死ぬ気で厳選した精鋭だけを連れてきたんだぜ?」
ガハハと笑う巨人を前に、俺と利久は顔を見合わせるしかなかった。
まさか、至高の酒と圧倒的な軍縮管理によって、戦国最強の傭兵集団「根来衆」までが勝手に軍門に下るとは……。那古野城の勢力拡大は、俺の想像を遥かに超える速度で加速していた。




