第88話 【破格の存在】真の神馬ニルと老熊の屈服
佐々成宗たちを案内した訓練場では、ちょうど生駒家長と真田信綱の二人が木刀を交えて熱のこもった模擬戦を行っており、それを愛洲小七郎が傍らで鋭く指導していた。
「お、なんだかどっかで見覚えがある顔だと思ったら、生駒んとこの小倅じゃねえか。信長様、いつの間に生駒家まで与力にしてたんだ?」
「ああ、生駒家も少し前に与力に加わった。他には前田家と……知っての通り平手家もだな」
「ほう、その若さで俺たちも含めて四家も与力に従えてるたぁ、大したもんだ。……だが、噂の『二十四人衆』ってのも、この程度なら大したことねぇな」
「ははは、家長と信綱は最近加わったばかりですからね」
真田信綱なんて、まだ十歳の子どもだ。成宗が物足りなさそうに鼻を鳴らした直後――愛洲小七郎、諸岡一羽、林崎甚助、高坂昌信たちの本気の連動訓練が始まった。
一閃のもとに空気を引き裂く居合。目にも留まらぬ踏み込みと、敵の急所を完璧に穿つ神速の太刀筋。
目の前で繰り広げられる次元の違う演武と模擬戦に、佐々成宗は「……なっ!?」と絶句し、開いた口が塞がらなくなっていた。
「……おい信長様、あいつら全員、うちの比良城に引き抜けねぇか?」
「無理無理。うちの絶対不可欠な超主力戦力だぞ」
「そ、そりゃそうだよなぁ……」
このジジイ、無茶苦茶なことを言うな。
「おい、お前らッ! 今すぐ信長様に頭を下げて直臣にしてもらえッ! そしてあのお頭たちから剣術を叩き込んでもらうんだッ! ……いいよな、信長様ッ!?」
成宗が四人の息子たちの背中をドシドシと叩く。
「あ、ああ、勿論構わないぞ」
「やったぁぁぁッ!」
四人の息子たちは歓声をあげ、目を輝かせて小七郎たちの訓練の中へと飛び込んでいった。
「ところで信長様、前田んとこの小倅はどこで何をしてるんだ?」
「ん〜、日課のモンスター狩りに行ってるが……そろそろ戻る頃だな」
そんな会話を交わしていた、まさにその時――富田勢源隊が訓練場へ戻ってきた。
……空から。
八本の脚で滑空し、青空の空中を陸上と同じように疾走して降りてくる神馬スレイプニルハーフの群れ。
空中を駆け回る規格外の魔獣の姿に、佐々成宗は完全に石のように固まった。
「な、な、なんじゃああああああッ!? 馬が……馬が空を走っとるぞぉぉぉッ!?」
「あ、ああ。生駒家の守り神の血を引く、特別な神馬たちだよ」
「おいおいおいッ! 冗談だろッ!? こんな馬が揃ってたら、戦場で縦横無尽、やりたい放題じゃねぇかッ!」
成宗が目玉を飛び出させて叫ぶ中、生駒家から派遣された熟練の馬方たちが手際よくスレイプニルを引き取り、馬厩へと連れていく。それと引き換えに、狩りを終えた富田勢源たちがこちらへ歩いてきた。
「お客様ですか? 私は富田勢源と申します」
「あーッ! 佐々のクソジジイじゃねぇかッ!」
富田勢源隊に先んじて加わっていた前田勝安が、驚き混じりに声を張り上げた。
「うるせぇぞ、小倅ッ!」
成宗は容赦なく拳を振り下ろし、勝安の頭を激しく殴りつける。
「痛っ……! なにするんだよッ!」
「けっ、てめぇは那古野に来てもあんまり強くなってねぇようだな」
「まだ数週間しか経ってねぇんだから当たり前だろ……」
「フンッ」と吐き捨てた後、成宗はどこか物欲しそうな、それでいて怯えの混ざった目で俺を振り向いた。
「ところで信長様……おっかねぇが、信長様の『真の主乗馬』って奴も見てみてぇな。生駒の守り神の元祖なんだろ? 噂じゃ凄まじい怪物だって聞いているが……見せてくれても良いだろ?」
「は、はぁ……まあ、別に良いけどさ。……ニルうううううッ!」
俺が空に向かって大声で相棒の名を叫ぶと――。
「げっ!?」
「嘘だろ、上様が『ニル様』をお呼びになったぞッ!?」
訓練場にいた者点のうち、まだ日が浅い生駒家長や真田信綱たちが青ざめた顔で一斉に物陰へと隠れ始めた。
「ん? んん? お前ら一体何をやってんだ……?」
成宗が首をかしげて怪しむと、成宗の後ろにいた勝安が無言のまま、恐怖でガタガタと震える指で成宗の後ろの上空を指さした。
得体の知れない不穏な空気とプレッシャーを感じ取り、成宗が恐る恐る振り返る。
「うああぁぁぁぁぁぁッ!?」
ドズゥゥゥンッ……ッ!
訓練場の地面を大きく揺らし、巨大な黒銀の影――神馬スレイプニルの原種にして絶対的君主『ニル』の巨体が、成宗のすぐ横に着地した。
狩りを終えたばかりのニルからは、レベルアップによって膨れ上がった濃密で圧倒的な神聖魔力が漏れ出している。その次元の違う威圧感と密度の濃い殺気に押され、ヒグマの巨躯を誇る老将・佐々成宗が「ヒッ!?」と悲鳴をあげて地面に惨めに尻餅をついた。
まあ、恐怖のあまり腰を抜かしても、漏らさなかっただけ百戦錬磨の老将として評価してやろう。
(信長様、何か用事かな?)
ニルからの念話が脳内に直接響く。
(ああ、お客様がニルとぜひ会いたいと所望されてな)
(ほう、どちらの御仁かな?)
(お前の横で尻餅をついて震えてるジジイだ)
(あっっはっは! すまんすまん。信長様と狩りをして『レベル』というものが上がったから、まだ魔力操作が完璧じゃなくて漏れ出てしまうのだ)
豪快に笑ったニルが、ゆっくりと成宗の方へ巨躯を近づける。
成宗は尻餅をついたまま、必死に惨めな格好でズルズルと後退った。
「ま、まさか……世にこれほどの化け物が存在しようとは……っ!」
「し、信長様……っ! も、もう結構にございますッ! お戯れはお控えくだされぇッ!」
さっきまでのタメ口と不遜な態度は完全に消え失せ、完璧な敬語に変わっている。
(ニル、すまん。もう十分らしいから魔力を収めてくれ)
(承知した)
ニルは従順に頷くと、その場にどっりと優雅に寝そべった。
那古野城に集いし最凶の家臣団と、空を駆ける神馬の軍勢。比良城主・佐々成宗は、織田信長という男の真の恐ろしさと規格外の底力に、身体の底から心服せざるを得なかった。




