第58話 雑賀孫一の苦悩と天下布武の覚悟
十ヶ郷の頭首である雑賀孫一から「差しで話がしたい」と持ちかけられた俺は、二人きりで人目につかない雑木林へとやってきていた。
木漏れ日が差し込む林の中、孫一は大きめの切り株にどっかりと腰掛けた。俺もその向かいにある切り株に静かに腰を下ろす。
目の前にいる雑賀孫一は、小柄ながらも岩のように強靭な肉体と屈強な骨組みを持つ『ドワーフ』の種族だ。
そもそも雑賀衆は、戦国の表舞台で傭兵として名を馳せる前は、高度な鍛冶や機械加工を担う技術者集団であった。ゆえに、自らの腕に絶対の誇りと自信を持ち、頑固だが一度交わした約束は死んでも守る実直なドワーフが多くを占めている。
ただし、海沿いの雑賀荘や十ヶ郷は強力な独自の船団(水軍)も所有しており、水軍の主力兵種には水中に適応した『魚人』の者たちも数多く混ざっていた。
「吉法師、二人きりでの話に応じてくれてありがとな。……俺は、さっきのお前さんの言葉と眼光に強く惹かれたんだ」
(ほう……! 年寄衆のあの腐り切った対応の後にこれは、かなり良い流れじゃないか)
俺は心の中でガッツポーズをしつつ、表面上は穏やかに深く頷いて先の言葉を促した。
「俺は生まれも育ちも傭兵だ。戦場で銃をぶっ放すのが身に染み付いちゃいるが……この村の大部分は本来、モノを作る職人や技術者の集まりなんだよ。いつまでも命を金で売る惨めな傭兵稼業を続けることが、この街や一族にとって良いことだとは到底思えねえ。……俺たちの孫や曾孫の世代のために、戦いのない平和な世の中が来てほしいと本気で願ってる。そして、その平和を本気で手繰り寄せようとする男がいるなら……俺は命を張って協力してもいいと思ってるんだ」
「おお……! ありがとう孫一、そう言ってくれて本当に心強いよ」
「……だがな、現実はそう甘くねえ。さっきの年寄衆を見て分かったろ? あいつらは自分じゃ一歩も戦場に立たねえくせに、若者が命を削って稼いできた莫大な報酬に目が眩んで、傭兵家業をやめる気なんてサラサラねえんだ。報酬を多く払う方へ平然となびくから、十ヶ郷の全員がお前の味方につくことは絶対にねえだろうな」
「うむ……事情はよく分かった。仕方ないこととはいえ、同じ一族の中で志が擦れ違うのは残念だし、悲しいことだな」
「ああ、まったくだ。年寄衆を説得できりゃ一番なんだが……あの硬直した頭をほぐすのは至難の業だ。まあ、やるだけのことはやってみるがな」
「金銭だけが問題なら、俺は敵対勢力の何倍もの報酬を提示できるんだがな……」
「ん……? 何倍もの報酬……?」
孫一が意外そうな顔で俺の顔を覗き込んできた。俺はふっと視線を切り替え、静かな、しかし確固たる意志を込めた問いを投げかけた。
「孫一……お前は、いまの『寺社仏閣』の在り方をどう思っている?」
「寺社仏閣……? それがどうしたってんだ。まさかお前――」
「俺は神仏を尊ぶ宗教そのものを否定するつもりはない。だが、近頃の大寺社や仏門の連中のやり口はどうだ? 裏では暴利を貪る高利貸しを営み、無知な民から財産を強奪し、人買いがごとき真似をし、自分たちの領地に勝手に関所を設けて高額な通行料を巻き上げる。あげくの果てには、幼い女を境内に連れ込んで酒池肉林の飽食に溺れている。……やってることは、山奥の野盗やならず者と何一つ変わらないじゃないか」
「……それは、まあ……否定はできねえが……」
「しかも連中は広大な『荘園』を囲い込んで天文学的な財力を蓄え、大量の僧兵という凄まじい武力を抱え込んでいる。それを背景に朝廷や幕府の将軍にまで平然と威圧を加え、権力を欲しいままにしているから誰も咎められない。土地があり、私兵を持ち、絶大な経済力がある……これのどこが大名と違うんだ? 本願寺に至っては一向一揆を煽り立て、加賀一国を丸ごと武力で奪い取って『民の国』ならぬ『寺の国』の大名へと成り上がった」
「…………っ」
孫一は口を真一文字に結び、無言で深く考え込み始めた。俺はさらに言葉を重ねる。
「もし、そうした大寺社や本願寺が俺の掲げる『天下布武』――戦なき泰平の世の構築を妨げる障壁となるなら、俺は一切の容赦なく彼らと全面戦争を繰り広げる覚悟だ。それがたとえ、天下に数百万の門徒を擁する本願寺の一向宗であろうとな。その時……孫一、お前は一向宗の門徒である同胞や仲間たちと刃を交えることになる。その覚悟はできているか?」
「ち、ちょっと待てッ! 本願寺が必ずお前の敵に回ると決まったわけじゃねえだろ!?」
孫一が思わず立ち上がり、焦りを含んだ声を上げた。
「いや、本願寺は雑賀の年寄衆とまったく同じさ。自分たちは安全な奥の院から一歩も出ず、哀れな民や門徒からの布施と寄進の金に目が眩んでいる。自分たちの権益や財産が脅かされると察知すれば、必ずや牙を剥いて暴れ出すだろうね。そして、戦い方を知らない哀れな知識のない老人や女性、子供たちに『進めば極楽、退けば地獄』と吹き込んで一向一揆を起こさせ、地獄の死の行進を強制するんだ」
「………………っ!」
「それに……本願寺が、あの絶対の要衝である『石山』を黙って俺に明け渡すはずがないからね。だから、戦いにならない道なんて最初から存在しないんだよ」
「い、石山本願寺から……あの絶対不可侵の『石山』を力づくで奪い取るつもりなのか……!?」
孫一の額から冷や汗が流れ落ちる。
「おいおい、俺が掲げているのは『天下布武』だぞ? 水軍を率いるドワーフの孫一なら、あの場所の価値が誰よりも理解できるはずだ。石山は陸路と水路が交差する物流の絶対的中心地であり、天下を治めるための心臓部だ。天下統一のために石山を掌握しないなんて選択肢はあり得ない」
「そ、そうだ……な……。確かにあの石山を手に入れれば、単なる経済の拠点にとどまらず、天下最強の軍威を誇る絶対的な軍事要塞になる……。だが……俺の親父や祖父、それに一族親戚には熱心な一向宗の門徒があまりにも多すぎるんだ。いまここで即答なんて絶対にできねえ……っ! 俺に……俺に考えさせてくれ……っ!」
孫一は頭を抱え、葛藤に身を苛まれながら必死に絞り出すように言った。俺は切り株から立ち上がると、彼の肩をポンと優しく叩いた。
「ああ、じっくり考えてくれ。俺たちの旅はまだまだ続く。決断を下す時間なら、たっぷりあるからね」
そう告げると、俺は夕闇が迫る雑木林を抜け、帰蝶やゆずたちが待つ場所へと静かに戻っていくのだった。
◇◇
当時の石山(現在の大阪城周辺)は、まさに天下無双の天然の要塞であり、軍事・経済における最重要拠点であった。
第一に『三方の守り』。北・東・西の三方が湿地帯や水辺に囲まれているため、敵の大軍が容易に近づくことすらできない構造となっていた。
第二に『限定された侵入路』。陸路からの攻め口は実質的に南側の「天王寺口」しか存在せず、守備側は兵力と火力をその一点に集中させて防衛することができたのである。
第三に『水上交通と補給』。淀川の河口という抜群の立地に位置するため、敵に包囲されたとしても海や川を通じた水路から物資や援軍の補給を常に行うことが可能であった。
そして第四に『経済・軍事の要衝』。屈指の商業都市である「堺」に近く、京都や西国へ目を光らせる押さえとしても、極めて重要な意味を持つ場所だったのである。




