第57話 雑賀の闇と若き孫一との出会い
将来的に強大な鉄砲隊を編成したかった俺にとって、津田監物から預かった根来衆の兵五十人は実にありがたい存在だった。
尾張へ戻ったら、杉谷善住坊を大将に据えて尾張の兵たちと一緒に徹底的に鍛え上げてもらうつもりだ。だが、さすがにこの猛者五十人を連れてそのまま雑賀へ乗り込むわけにはいかない。俺は監物に感謝を伝え、五十人の根来兵には一足先に尾張の志賀城へ向かってもらうことにした。
さて、いよいよ本命の雑賀衆へと向かうわけだが……どう攻めたものか。
(この先の雑賀情勢について、饗談を召喚して内部情報を教えてもらうのが一番確実なんだが……いま召喚したら、また女同士のややこしい修羅場や面倒なことに拍車がかかりそうだな……)
俺が一人で頭を抱えていると、不意に左腕を抱きしめていた帰蝶がクスッと微笑んだ。まるで俺の心の声を残らず読み取ったかのようなタイミングだ。
「吉法師様、饗談ちゃんを召喚しても大丈夫ですわよ?」
「え……? 大丈夫なのか?」
「ええ。ゆずちゃんにも饗談ちゃんの事情はちゃんと説明してありますものねー?」
帰蝶は「ねー」と甘い声で同調を求め、ゆずの方へ視線を送った。
「うん! 僕も饗談さんのことは何とも思ってないよ。吉法師様が彼女に特別な好意を寄せているわけじゃないんだろ? 一方的に饗談さんが吉法師様のことを大好きなだけなんだよね!」
「あ、ああ……まあ、事実としてはそうなんだが……本当に気にしてないのか?」
「勿論、良いに決まってるじゃない!」
「僕だって全然平気だよ!」
二人が笑顔で揃って頷いてくれた。女子たちの謎の結束に少し圧倒されつつも、俺は安堵の溜息をついた。
「そっか、助かるよ。じゃあさっそく饗談を呼んで、雑賀衆の裏事情を教えてもらうとしよう」
俺が意識を集中して魔力を練り上げると、空間がゆらりと歪み、俺の目の前の少し高くなった位置に饗談の二人が姿を現した。半透明で浮遊する、誰もが視認できる怪異の姿だ。
「きゃぁぁっ!?」
直前まで平気を装っていたゆずが、いざ本物の霊体を目の当たりにすると「ひっ」と悲鳴を上げて俺の右腰にしがみついてきた。すると当然のように、反対側にいた帰蝶も「あーっ!」と対抗意識を燃やし、俺の左腕にぎゅっと強く抱きついてくる。結局両手に華の挟み撃ち状態である。
「饗談、すまないが雑賀衆の詳しい内部事情を教えてほしいんだ」
俺が切り出すと、空中を漂う饗談は不満たらたらといった様子で両頬を膨らませた。
「なにごとじゃ! 我が目を離しておる隙に、また新しき女が増えておるではないかーっ! この浮気者めが!」
「ふ、浮気じゃないよ! 僕の名前はゆずだ。よろしくね、饗談さん!」
ゆずが俺にしがみついたまま、身を乗り出して挨拶する。饗談は半透明の眉をひそめ、ゆずをじっくりと凝視した。
「ぬん……? 『僕』じゃと……? なんじゃ、男か。わらわは饗談じゃ」
「僕は女だぁーっ!!」
ゆずが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「はっはっは! 胸がまったく平坦じゃから、てっきり男か女装子かと思ったぞ?」
「し、失礼なっ! ちゃんと胸はあるやい! 饗談さんこそ、幽霊のくせに胸なんてないじゃないかーっ!」
「なにいっ! 無礼な! 生きている頃のわらわの方が、今の主のおっぱいより遥かに大きかったのじゃ!」
「僕の方が大きいもんっ!」
(……また始まったよ。なんでうちの陣営の女子たちは、顔を合わせるたびに胸の大きさでマウントを取り合うんだ……?)
俺はこめかみを押さえ、限界を迎えた声を張り上げた。
「はぁぁ……っ! 饗談! くだらない不毛な争いはもういいから、さっさと雑賀衆の解説をしろーっ!」
俺の怒声に一瞬跳ね上がった饗談は、うらめしそうな目つきで俺を睨みつけつつも、渋々といった様子で浮遊しながら解説を始めた。
「……ちぇっ、相変わらず冷たい男じゃ。……ええい、よいか! 雑賀衆とは紀伊国北西部を拠点とする天下無双の傭兵集団じゃ。地域としては、海側の『雑賀荘』と『十ヶ郷』、陸側の『中郷』『南郷』『宮郷』の五つの地域から構成されておる。世に言う『雑賀五組』じゃな」
饗談は指を折り曲げながら説明を続ける。
「その中でも特に強い力を持っておるのが、海側の雑賀荘を仕切る『土橋氏』と、十ヶ郷をまとめる雑賀党『鈴木氏』じゃ。雑賀荘は地理的にも根来と近く、深い蜜月関係にある。それと、主が懸念しておった本願寺一向宗との繋がりじゃが……海側の雑賀荘と十ヶ郷に圧倒的に一向宗の門徒が多い。年寄連中はどっぷり門徒じゃな。ただし、雑賀荘の頭領である土橋守重は浄土宗じゃし、鈴木氏の若き頭首・雑賀孫一は、一向宗に特に深く帰依しているわけではないようじゃぞ」
「なるほど……非常に分かりやすいよ。ありがとう饗談、助かった」
「ふんっ! 感謝するならもっと優しくしてほしいものじゃ!」
饗談はぷいっと横を向くと、影の中へと姿を消した。
「よし、まずは強力な勢力である海側の雑賀荘と十ヶ郷を直接訪ねてみることにしよう」
俺が方針を固めると、隣で大銃を抱えていた杉谷善住坊が「ふん」と鼻を鳴らした。
「吉法師様、雑賀荘を訪ねるのは時間の無駄だと思うぜ」
「ん? なんでだ、善住坊?」
「根来におった頃、あいつらとは何度も共同で戦ったことがあるからよく知ってるんだが……あいつらは徹底した拝金主義の傭兵だ。理想や志なんて一微塵も通じねえ。まあ、百聞は一見に如かずだ。行ってみれば分かるさ」
善住坊の予言は、あまりにも正確に的中することとなった。
――雑賀荘・土橋館。
「おうおう、滝川一益が何度か足を運んできたから話は聞いてるぜ。俺が雑賀荘の大将、土橋守重だ。何でも尾張の坊ちゃんは、戦いのない平和な世の中を作りたいんだと? ハッ! 夢を見るのは勝手だがな、俺たちは金で動く傭兵だ。大金さえ積んでくれりゃあ、相手が誰だろうと殺してやるさ」
取り付く島もない圧倒的な拝金主義。熱意や未来のビジョンなど一切響かない態度に、俺は心の中でそっと溜息をついた。
(ダメだこりゃ……話し合いで味方につけるのは不可能だな。しばらくは放置して静観するのが吉か)
――続いて訪れた十ヶ郷・年寄衆の会合所。
ここでは数人の老齢の年寄衆が俺たちを出迎えたが、こちらも絶望的な状況だった。
「ほっほっほ、滝川殿から話は聞いておるぞい。若い者が壮大な夢を抱くのは否定せんが、人間の力で平和など実現できるはずがなかろう。ただただ御仏の御心にすがり、極楽浄土を願うより他に道はないのじゃ。ほら、お主のために祈ってやろう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
数珠をジャラジャラと鳴らし、ひたすら念仏を唱え始める老衆。
(はぁ……何なんだこいつらは。これで本当に戦国時代最強と謳われる傭兵集団の指導者層なのか……?)
「まあ、そうは言ってもワシらも命懸けじゃからの。十分な黄金を積んでくれれば、いつでも銃隊を出して戦ってやるぞい?」
口を開けば結局は金。俺たちは深々と溜息をつき、重い足取りで屋敷を後にした。
屋敷を出てしばらく歩いた時だった。
先ほどまで年寄衆の傍らで、一切口を開かずに無言で俺たちを観察していた一人の若者が、静かに後ろから近づいてきた。
背中に巨大な筒を背負い、鋭い鷹のような眼光をした褐色の青年だ。
「――おい、織田の吉法師」
俺が振り返ると、その青年は不敵な笑みを口元に浮かべ、真っ直ぐに俺の目を見つめて言った。
「俺は雑賀孫一だ。吉法師……腐れ老害どものお座敷遊びは終わりだ。俺と『サシ』で話をしようや」




