第50話 結界の森と忍び寄る影
極秘お忍び旅の出発を控え、志賀城の一室に俺、帰蝶、池田恒興、杉谷善住坊、そして果心居士の五人が集まっていた。
姿は見えないものの、どこかの影から気配を消して追従している密偵・霧隠才蔵も、俺がひと声かければいつでも即座に現れるはずだ。
「饗談、北伊勢の錬金術師一族『坂氏』について教えてくれ」
俺は周囲の国々の情勢調査を命じるついでに、北伊勢に隠れ住む坂氏の探索を饗談に任せていたのだ。
俺の呼びかけに応じ、すーっと壁をすり抜けて姿を現した幽霊の饗談だったが、俺の隣でぴったりと寄り添っている帰蝶の姿を見るや否や、大きな溜息をついた。
「はぁ……久しぶりの登場かと思えば、なんという扱いの酷さじゃ。胸を躍らせて現れたというのに、吉法師様は女といちゃつきながら我を呼ぶとは、あんまりな打ち首ものではないか」
「なんですって? 邪魔をするなら消し去りますわよ」
帰蝶は俺の腕をさらに強くギュッと抱き締め、半透明で浮かぶ饗談を射殺さんばかりの鋭い冷眼で見つめた。
「まあまあ、饗談はヒロイン枠じゃないんだから嫉妬するなって。諦めな」
「むぎゃーっ! 我だって実体さえあればヒロインになりたいのじゃぁーっ!」
「くだらないこと言ってないで、早く調べたことを話しなさいよ」
帰蝶が冷たく言い放つと、部屋にいる恒興や善住坊、果心居士までもが「……」と呆れ返ったジト目で饗談を見つめた。
「うっ……分かったのじゃ、話せば良いのだろう話せば!」
饗談は露骨に嫌そうな顔を作りつつも、幽霊特有の浮遊感で宙に浮かびながら報告を始めた。
「坂氏はな、北伊勢に君臨する『北勢四十八家』と呼ばれる豪族のリストにも入っておらぬほど、小規模な豪族……というか、隠れ里の民のような者たちじゃ。山奥の深緑の僻地で、外界と関わりを絶ってひっそりと暮らしておる」
「なるほどな。その里には全体で何人くらいの人間が住んでいるんだ?」
「うっ……そ、それは……分からんのじゃ……」
痛いところを突かれたという顔で、饗談が目を泳がせる。
「はぁ……。まあいい、里の大体の場所は突き止められたんだろ?」
「ううむ……大体の『このあたりの山林』という位置までは分かっておるのじゃ」
「つまり、里の中までは潜入調査できなかったってことか?」
「うううっ、そうなのじゃ……っ! あそこには恐ろしいほど強力で古代の呪術めいた『結界』が張り巡らされておってな! 生者はおろか、ゴーストである我の霊体すら弾き返されて中に入れなかったのじゃぁぁ……!」
饗談が目からポロポロと半透明の涙を流して悔しがる。その姿は不憫だが、どこか愛くるしい。
「相手の防衛術が一枚上だっただけだろ。気にするな、よくやってくれたよ」
俺が優しく頭を撫でる仕草をしながら慰めると、饗談は感動で目を輝かせた。
「吉法師様ぁぁぁん! 優しいのじゃぁぁ!」
涙目で俺に飛び付こうとした饗談だったが、それより速く横から帰蝶が割り込み、俺の胸に強く抱きついて防御陣形を張った。
「吉法師様、本当にお優しくって素敵……」
帰蝶は俺の胸に顔を埋めると、うっとりとした表情で俺の胸元を愛おしそうに撫でまわし始めた。
(うっ……ちょっと帰蝶、胸を弄るのはやめろって……! 首筋に息を吹きかけるな……! スプリットタン(二股の舌)の先でチョロチョロクネクネとなで回されるとゾクゾクするだろ……あぁっ、耳の穴まで舌が這って……って、こんな状況で何をやられてるんだ俺は!?)
恒興たちは「また始まったよ」と言わんばかりの白けた生暖かい目線で、帰蝶のやりたい放題な悪ふざけを見つめている。
俺は必死で正気を保ち、帰蝶の肩を掴んで体をそっと離すと、コホンと咳払いをして饗談に向き直った。
「ゴホン! まあ、大体の場所が分かっていれば十分だ。果心居士、地図を出してくれ」
胸をツンツンと突きながら恨めしそうな涙目でこちらを見る饗談を横目に、果心居士が懐から取り出した北伊勢周辺の古地図を広げた。
「この山塊の、この谷間あたりじゃな」
饗談が地図の一点を指さす。地図を覗き込んだ果心居士は、白い髭を優しく撫でながら破顔した。
「ほっほっほ、この地脈の目印があるならば、目と鼻の先まで転移術で一気に飛ぶことができますぞ」
「それは助かる! よし、全員突入準備だ。行くぞ!」
果心居士の放つ空間転移魔法の光が収まると、俺たちは一瞬にして北伊勢の山中に広がる、陽の光すら届かない薄暗く湿り気のある密林の中に立っていた。
「……うへぁ、嫌な空気っすね。なんだか気味が悪い場所っす」
池田恒興は周囲の異様な気配を瞬時に察知すると、腰の刀の柄に手を伸ばし、重厚な金属音とともに慎重に刀を抜いた。かつての軽薄さは消え、完璧な戦闘態勢へと移行している。
(うん、恒興もレベル上げを経て、立派な一戦当千の武士に成長したなぁ)
「みんな、気をつけろ。気配を消して潜んでいる何かがいる」
俺が声を潜めて全員に警告を発する。
「おう、上等だ。ぞろぞろと湧き出てきやがったな」
杉谷善住坊は不敵な笑みを浮かべ、肩に担いでいた超大型の特注火縄銃を両手で構えた。
善住坊の銃身はドワーフたちの手によって限界まで極厚に鍛え上げられており、弾を撃ち尽くした後は強靭な鈍器や鉄棒として直接殴りつけられる特注構造になっている。サイクロプスの腕力で叩き伏せられれば、普通のモンスターなら骨ごと木端微塵だ。
一方で、帰蝶は俺の傍らからすっと距離を取り、無言のまま極めて低い姿勢をとった。その両手には研ぎ澄まされた二本の投擲ナイフが握られており、刃先には怪しく光る紫色の液体が塗布されている。
(完全な致死性の劇毒だな……。後で肉を食べるかもしれないモンスターには投げないでくれよと、密かに祈るしかない)
「ほっほっほ、何やら怪しげな気配ですが、恐れるほどの相手ではありませぬな」
果心居士は宝珠のついた杖を静かに構え、余裕の笑みを崩さない。
俺は左手で腰の刀の鯉口をカチリと切り、右手で柄を優しく包み込むように握ると、膝を軽く曲げて半身の体勢をとった。林崎甚助から直接叩き込まれた、いつでも一瞬で首を飛ばせる『居合い』の構えだ。
ズズズ……ズズッ……ズズズズズ……。
暗闇に包まれた樹海と鬱蒼とした草むらの奥から、気味の悪い複数の這い摺るような足音が、確実に俺たちを囲い込むように近づいてきていた。




