第45話 マムシの娘の商才と新たな利権
志賀城の一角にある日当たりの良い応接の間にて、俺たちは平手政秀が「この男ならば間違いなく信頼できます」と太鼓判を押した商人と面会していた。
今回の面会には、志賀城に滞在中の帰蝶が「吉法師様の商談の場を、ぜひこの目で見学させていただきたいのですわ」と強く希望したため、同席を許可した。俺、帰蝶、そして平手政秀の三名で商人を出迎える。
「尾張は熱田の港を拠点としております、伊藤屋の惣十郎と申します。天下に高名な吉法師様、ならびに可憐な帰蝶様にお目にかかることができ、まさに身に余る光栄にございます」
深々と頭を下げた伊藤屋惣十郎は、引き締まった細身の体躯に誠実そうな眼差しを宿した、いかにも切れ者といった風貌の男だった。
(ふむ、人間は見た目で判断しちゃいけないとは言うけれど、腹の出た太った商人よりも、こういう引き締まった男の方が悪徳商人っぽくなくて好感が持てるな。第一印象は合格だ)
「織田吉法師だ。固い挨拶は抜きにして、気楽に話してくれ。よろしく頼むよ」
「帰蝶と申します。惣十郎様、どうぞ良きご縁となりますように」
帰蝶が品良く微笑み、美しいお辞儀を披露する。
「さて、早速だが本題に入ろう。伊藤屋に買い取ってもらいたい特産品が幾つかあるのだ。まず一つ目はこの品だ」
俺は合図を出し、秘蔵の陶器の壺に入った黄金色の液体をテーブルの中央へと静かに差し出した。
伊藤屋惣十郎は身を乗り出し、壺の蓋を開けて中の液体をじっくりと覗き込む。
「むむっ……これは……蜂蜜でございますか? しかし、何という澄み切った色合いと輝き……まさに特上品にございますな」
「能書きよりも、実際に味を確かめてみるが良い」
俺は清潔な銀のスプーンで黄金色の蜂蜜をたっぷりと掬い上げ、惣十郎の小皿へと渡した。
惣十郎は恭しくスプーンを取り、舌の上に少量を含ませる。次の瞬間、彼の目が弾かれたように見開かれた。
「お、おおおっ……!? こ、これは……未だかつて味わったことの無い、濃厚かつ極上の甘み……! 喉を通った後に広がる芳醇な花の香りと深み……! 吉法師様、これは間違いなく至高の逸品でございます! 是非とも我が伊藤屋に買い取らせてください!」
「うむ。この蜂蜜を入れるための規格を揃えた専用の小壺を大量に用意してくれ。その壺に蜂蜜を充填した状態で、定期的に納品しよう」
「おお! 専用の壺でございますか! ちなみに、初回のお取引ではどの程度の数量をご用意していただけますでしょうか?」
「取り敢えず、明日にでも百壺だ」
「ひ、百壺ぉっ!?」
惣十郎はあまりの数量に素で驚愕の声
「当家にはこの極上蜂蜜を継続して採取できる特別な独自のルートがあってな。今後も定期的に大量納品が可能だ。……どうだ? その条件で、一壺あたりいくらで買い取ってくれる?」
「うーむ……なるほど、定期大量納品となれば……このくらいの値で如何でしょうか」
惣十郎は懐から手際よく算盤を取り出すと、パチパチと素早い手つきで珠を弾き、弾き出した数値を俺たちに見せた。
(ほう、既存の最高級蜂蜜の相場を考えれば、かなり破格の良心的な提示額じゃないか。さすがは政秀が選んだ商人だ)
俺が納得して頷こうとした、まさにその時だった。
カチャリ。
繊細で心地よい音が響く。帰蝶が可憐な手つきで惣十郎の算盤に手を伸ばし、自ら珠を弾いたのだ。
「惣十郎様……このあたりの値で買い取っていただけませんかしら?」
帰蝶が提示した数値は、惣十郎の提示額よりもさらに三割以上も高い、強気の高値だった。
「えっ……!? む、むむむ……っ! 帰蝶様、さすがにそのお値段では、我が伊藤屋の利幅が削られすぎてしまい……」
惣十郎は汗をぬぐいながら困惑の表情を浮かべる。だが、帰蝶の追求は止まらない。
「惣十郎様、お言葉ですが、この蜂蜜は既存のどんな最高級品よりも遥かに上の価値を持つ『至高の逸品』ですわ。要は売り方次第ではございませんの? 例えば、京や堺の富裕層が集まる高級料亭や公家の方々を対象に、特別な秘薬・珍味として売り出してみてはいかがかしら? 伊藤屋ほどの格式ある大店なら、そういった最高級料亭や上層部への強いコネクションがおありでしょう? この本物の味を知れば、喉から手が出るほど欲しがり、お金など幾らでも出す風流人はごまんとおりますわ。……ね?」
帰蝶は小悪魔的な笑みを浮かべ、言葉巧みに商人としての野心をくすぐってみせた。
「……なるほど! 目から鱗が落ちる思いにございます! 分かりました、その買い取り価格でお受けいたしましょう! 専用の壺は、取り急ぎ明日までに三十個ご用意いたします。残りは大急ぎで手配し、後日お持ちいたします!」
(ほほう……! 帰蝶のやつ、十一歳にしてこれほど高度な価格交渉とブランディング戦略をやってのけるとは……!)
「うむ、蜂蜜の件はそれで良い。では次に、これを見てくれ」
俺はテーブルの上に、直子たちが地下工場で織り上げた真っ白な新布を広げてみせた。
惣十郎は布を手にとると、引っ張ったり、表面を擦ったり、裏地を詳細に検分し始めた。
「ほほう……! これはこれは……見たことも手触りしたこともない不思議な生地ですね。極めて硬質でありながら、驚くほど軽い……!」
「この布に使われている糸は、大の大人一人を宙に吊り下げても絶対に切れない凄まじい耐久性を誇る。出来上がった生地は軽くて極めて頑丈だ。鎧の下に着込むインナーとしても優秀だし、そのまま上着や作業服に加工しても抜群の性能を発揮する。……ただし、この布は防具や軍需物資として転用される危険性がある。ゆえに販売先の制限を設けることが取引の絶対条件だ。売り先は織田家の領内、もしくは信頼できる一般町人に限定させてもらう」
「販売先の制限……となると、商人としては随分と販路が狭められてしまいますな」
惣十郎が少し難しそうな顔で唸る。
すると、再び帰蝶が鈴を転がすような可愛らしい声で会話に割り込んできた。
「ちょっと待って差し上げて、吉法師様。お洋服以外にも、この丈夫な布には無限の使い道がございますわ。例えば、荒天に耐える船の帆や、野営用の頑丈な幕陣、あるいは旅人が使うバッグや頑丈な靴などの革製品の代わりにしてみてはいかがかしら? そういった普段使いの製品として加工した状態であれば、他国へ輸出して売り捌いても何ら問題はありませんでしょう? ね、吉法師様?」
帰蝶は首をちょこんと傾げ、潤んだ瞳で上目遣いに俺を見つめながら、甘えるように微笑みかけてきた。
(うっ……! 相変わらずあざと可愛すぎる……! いつもの殺傷能力抜群のおねだりポーズだ!)
「そ、そうだな……! 純粋な軍用品としてそのまま他国へ流出するのでなければ、製品化したバッグや靴として他国に売る分には全く問題ないな!」
「なるほど……! 日常品としての加工販売であれば、他国への輸出も含めて膨大な販路が広がりますな!」
惣十郎も帰蝶の画期的なアイデアに膝を打ち、深く納得して頷いた。
「という訳で……惣十郎様、このお品物の単価と加工後の利益配分について、じっくりお話し合いをいたしましょうかしら?」
帰蝶の主導のもと、そこから怒涛の価格交渉がスタートした。
利益率の計算から流通ルートの確保に至るまで、帰蝶は惣十郎を相手に一切の引けを取らず、むしろ優位に交渉を進めていく。
俺と平手政秀は、口を挟む隙すらなく、ただただ圧倒されながら、頼もしすぎる帰蝶の商才を笑顔で見守るのだった。




