第43話 志賀城での密謀と忍の影
那古野城の一室における、俺、平手政秀、沢彦宗恩、快川紹喜、そして養徳院の五人による極密の協議は、さらに熱を帯びて続いていた。
「政秀、『楽市楽座』の試みを、志賀城の城下町で先行して試すことはできないだろうか?」
俺がそう提案すると、部屋の空気がフッと変わった。
「尾張全土で一斉に断行するとなれば摩擦も大きかろうが、志賀城下という一地域に限った試みであれば、寺社仏閣もそこまで激しく口を出してはこまい。既得権益を脅かされたと激怒し、公然と敵対するほどの事態にはならんはずだ。林秀貞の心配はあまりに大袈裟すぎる」
高僧であり世情に通じた快川紹喜がそう太鼓判を押してくれた。これで障壁はなくなった。
「分かりました、吉法師様。この政秀、志賀城の地にて必ずや『楽市楽座』を成功させてみせます!」
平手政秀の瞳に、不退転の決意の炎が宿る。
「よし、かたじけない。それともう一つ、那古野から志賀城へと至る主要な街道を徹底的に整備したいのだ。俺と家臣たちが街道周辺の危険なモンスターを定期的に討伐しているおかげで、行商人の往来は劇的に安全になった。そこに道幅の拡張や舗装などの街道整備を加えれば、流通の効率は跳ね上がり、志賀城下に集まる商人の数は数倍に跳ね上がるはずだ」
「うむ……素晴らしい着眼点だ。流通を制する者こそが経済を制する」
快川紹喜が感心したように頷き、沢彦宗恩とともに俺の顔をまじまじと見つめた。
「……吉法師様は、とても十歳のお子とは思えませんな」
「誠に。まるで百戦錬磨の知恵者が内部に入り込んでいるかのようだ」
二人の稀代の名僧が思わず声を揃えてハモり、呆れ混じりの感嘆を漏らした。
傍らに座る養徳院も、頼もしそうに微笑みながら俺を見つめている。
「くぅうっ……私が不甲斐ないばかりに……! 吉法師様がこれほどまでに英明で立派であられるというのに、よりによって『大うつけ者』などという屈辱的な汚名を着せられるとは……っ!」
情けなさそうに肩を震わせ、平手政秀がボロボロと涙を流し始めた。相変わらずこのじいやは情に厚く、俺のために本気で悔しがってくれる。
「泣かないでくれ、政秀。俺は気にしちゃいないさ。……さて、最後に最も重要な懸念事項だ。今後、俺たちの命を狙う暗殺の影に徹底的に警戒したい。特に俺と、そして志賀城で実権を握る政秀の二人は、確実に標的になる」
「えっ……? 吉法師様、土田御前様と吉法師様は実の母子であり、私どもも同じ織田の家臣でございますぞ? まさか……そこまでの陰惨な手に打って出るとお考えなのですか?」
政秀は信じられないといった様子で、どこか懐疑的な表情を浮かべた。
「政争において、最悪の事態を想定しておくことは絶対の義務だ」
俺が静かに諭すと、快川紹喜が重々しい声で言葉を重ねた。
「いや、政秀様。これは最悪の想定どころか、この戦国という乱世においては『ごくありふれた日常』でございますぞ。血を分けた肉親同士、親子兄弟が骨肉の争いを繰り広げ、暗殺の毒杯を盛るなど世の常。事前に完璧な対応策を用意しておくのは当然の嗜みでしょうな」
(流石は快川紹喜だ。乱世の現実というものを冷徹に理解している)
「俺の身の回りには強力な猛者たちが何人も護衛についている。だから、そのうちの一人を政秀の専属護衛として派遣する。……来い、佐助!」
「佐助、参上つかまつった」
何もない空間の影がスッと揺らめき、政秀のすぐ目の前に、片膝をついた姿で猿飛佐助が姿を現した。
「ひええぇぇぇっ!? な、なんだ貴様はっ!? いつの間に部屋の中へ潜入していたのだ!?」
腰を抜かさんばかりに驚愕する平手政秀。
「忍者だよ。今日から佐助を政秀の影護衛につける。佐助、平手政秀の身に万が一のことがないよう、完璧に護衛せよ」
「御意」
佐助は短く一言だけ答えると、次の瞬間には存在感そのものを消し去るように、気配ごと掻き消えてしまった。
「いやはや……私もこれまでの生涯で数々の忍びを見てまいりましたが、これほどまでに気配を殺し切る見事な忍は見たことがございません。凄まじい技量だ……これで政秀様の身の安全も万全でございますな」
快川紹喜が目を丸くし、心底感心したように溜息を漏らした。
「うふふ、小柄でとても愛くるしいお顔立ちの子でしたわね」
養徳院が頬に手を当てて楽しそうに言うので、俺は苦笑しながら訂正した。
「見た目は子供っぽいですけど、ただの子供じゃないですよ。小人族の血を引くハーフなんです。暗殺術も隠密術も超一流ですよ」
「ところで吉法師様、少し意地悪な質問をしても宜しいかしら?」
養徳院が急に悪戯っぽい笑みを浮かべ、身を乗り出してきた。
「帰蝶ちゃんと直子さん……吉法師様は最終的に、どちらを正室にお迎えになられるおつもりなのかしら?」
「えっ!? ……養徳院様、話を聞いていたと思いますけど、直子は元々アラクネという蜘蛛のモンスターですよ?」
「うふふ、でも直子さんから直々に伺いましたわよ? 人化の法を得た今の身体なら、夜伽もお仕えできますし、吉法師様のお子を産むことも十分に可能だと」
(直子のやつ、養徳院様に一体どんなディープな報告をしてるんだ……!?)
俺は照れくささを隠すために、ゴホンと大きく咳払いをした。
「う、うーん……まあ、今の段階では、政略上の観点からも帰蝶を正室候補として一番に考えてはいますけど……将来の政情がどう転ぶかはまだ分かりませんからね」
「へぇ〜……『今のところ』は、ねぇ? うふふ、なるほどねぇ」
「俺もすぐにどうこうしようとは思っていませんよ。俺たちの年齢もまだ幼いですし、いずれ父上から政略結婚を命じられる可能性だって十分にありますから」
(なにしろ、史実での信長の正室は『マムシの娘』こと斎藤道三の娘・濃姫だからな……)
「まあ、建前としてはそうですわね。けれど、信秀様に指図される前に、ご自分で既成事実を作って決め打ってしまうという手もありますのよ?」
「……織田家を背負う者として、己の私的な欲望よりも織田家の隆盛と天下の安寧を優先させるべきでしょう」
「言葉ではそう仰いますけれど……ふふっ、男の子としての欲望がちゃんとおありになることが分かって、育ての母としては安心いたしましたわ。これで帰蝶ちゃんも一安心ですわね。……あ〜あ、でも寂しくなりますわ。今後は帰蝶ちゃんも直子さんも、志賀城の方へ移ってしまうのでしょう?」
「帰蝶は志賀城の屋敷に滞在してもらいますが、直子はダンジョン最下層の地下工場に詰めてもらいます。機織り現場の最高責任者ですから、しばらくは地上でゆっくり会うこともできませんよ」
「直子さんの事情は分かりましたわ。では、帰蝶ちゃんには私が志賀城へ頻繁に遊びに行って、お話し相手になってあげれば良いのですね」
「ま、まあ……そういうことになりますね……」
(養徳院様、帰蝶や直子と仲良くなりすぎだろ……。さっきの会話も、もしかして帰蝶が裏で根回しした試しの揺さぶりなのか……?)
天下布武という果てしない野望を成し遂げるだけでも脳みそがパンクしそうなのに、周囲の魅力的な女子たちの関係にまで思考を回す余裕なんて、今の俺にはとてもじゃないがない。
(……まあ、でも、帰蝶のあの無自覚で小悪魔的な色っぽさは、男として嫌いじゃないんだけどな)
俺は心の中でひそかにそんな独白を呟きつつ、志賀城を拠点とした次なる大反撃の作戦へと意識を向けるのだった。




