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淀んだ川のほとりで

 フロウは濁った水晶に囲まれた中に、1人座っていた。

 目の前を淀んだ川が流れていた。

 枯れ木が一本あった。

 枯れ木にも関わらず、手のひら大の木の実が、まばらになっていた。

 それは涙の雫のような形をした水色の木の実であった。



 フロウはなぜ自分がここにいるのかも、いつからいるのかも分かりはしなかった。

 やることもないので、地から突き出た水晶にもたれかかって目を閉じていることが多かった。


 疲れていた。

 飢えと渇きに耐え切れなくなった時は、木の実を食べた。

 少しだけ体が軽くなった。


 枯れ木に新たな実はならないようであった。

 つまり、この木にある実がなくなれば、もはや口にするものは何もないということだ。


 それは死を意味する。



 実がなくなったらどうしよう、とは思う。

 しかし、実際にはまだある。

 このままの状況に居続けるならば、いつしか終わりが来る。

 それは分かっている。


 しかし、どうすることもできなかった。

 フロウは、とても疲れていた。

 どこかを目指す危険をおかす気にもなれなかった。



 フロウは水晶にもたれかかり、緩慢に木の実をかじりながら、淀んだ川の流れをただただ見ていた。







 その時も、木の実の芯までしゃぶるようになめつくしながら、フロウは濁った川を見ていた。


 その川に、思いもよらない変化が起こった。


 どろりと重い流れであった川が、突如として流れを速くしたのである。



 この状況にはすっかり飽いていたが、フロウは変化を望みはしなかった。

 変わることは恐ろしいことであった。

 予測できない、自分の手に余ることが押し寄せて来る。

 そんなイメージしか持てなかった。



 川は水量を増し、リスの尾のような形の大波を巻き起こし、ドドドウと流れた。


 不思議なことに、川の流れは、あふれて辺りを荒らすような悪さはしなかった。


 フロウは恐れた。

 川の水が襲っては来なくとも、何か良からぬことが起こるに違いない、と。




 そして、次の変化があった。

 川の流れに押し流されて、何か、がやって来た。




 それは、渦巻く波のてっぺんから、枯れ木の下にポイッと投げ出された。





「いってえ!」





 投げ出されて来たそれは、男だった。

 水晶の地面に体を打ち付けた男は、乱暴な口調で悪態をついた。

 フロウはあまりのことにギョッとして、尻込みをした。



 フロウに背を向けた状態の男は、間近にいるフロウに気付いてはいなかった。

 黒髪の男は腰をさすりながら、顔を上げた。


「うん?」


 男が枯れ木を見上げた。

 男は興味を持ったのか、もそもそと立ち上がった。

 そして、男は何気なく木の実に手を伸ばした。



 フロウはおののいた。



 その木の実は、フロウの糧のすべてである。

 フロウにはその実以外、他に何もなかった。


 フロウは恐慌状態に陥った。

 他の感情がすべて吹き飛んだ。





「それは私のものよ!」





 フロウ自身、何かを考える前に体が動いていた。

 振り返った男を突き飛ばし、再び尻餅をつかせた。

 フロウの目には、木の実しか映ってはいなかった。





「これも! これも! こっちも!」





 フロウは必死に木の実をもぎ取った。

 涙の雫のような水色の木の実は、枯れ木の枝からフロウの腕の中に囲いこまれた。

 実が腕からこぼれ落ちた。

 フロウは、ワンピースの長いスカートの膝辺りを鷲づかみにしてたわませて、そこに木の実を放り入れた。



 ただでも数の少なかった木の実は、どんどん枯れ木から姿を消していった。




 フロウがいくつめかの木の実をスカートの中に収めた時だった。

 突然、もぎ取った木の実たちが、ぐじゅぐじゅと形を変え始めた。



 木の実は次から次へと茶色く変色し、黒くなり、腐り果て、溶け落ちてしまった。



「そんな…どうして…」



 フロウは絶句した。

 フロウの白かったワンピースのスカート部分に、黒と茶色がまばらに色づいた。

 それはあっという間にワンピース全体に広がった。

 ワンピースの前も後ろも、汚れ腐ったような黒茶に染まった。

 フロウは茫然とした。



 フロウはハッとして振り返った。

 男がいた。

 背が高く、整った顔立ちをした黒髪の男だ。

 そのシャツの白さが、ズボンの黒とのコントラストでひと際まぶしく、非常に憎たらしく見えた。



 男はオッドアイであった。

 片側は黒く、片側は薄く緑がかっていた。


 男は呆れたような顔でフロウを見ていた。

 フロウは瞬間的に怒りに駆られた。



「あなたのせいよ! あなたが木の実を取ろうとするから! こんなに! こんなになくなってしまったじゃない!」



 フロウは会ったばかりの男を責め立てた。

 フロウの中には、大切な木の実がなくなってしまったという、混乱と怒りしかなかった。


 呆れていた男の顔が、あからさまに軽蔑の表情を浮かべた。



「さもしい女」



 フロウは殴りつけられたような衝撃をおぼえた。

 ひるんだフロウに追い打ちをかけるように、男は言った。


「こんな場所で、ただただ命をつなぐことに固執している。みっともない。見るに堪えない」


 男は腕組みをして、見下すように言った。

 フロウから血の気が引いた。

 悔しくてたまらなかった。

 フロウの口が動いた。


「お腹が減るんだもの」


 言ってしまえばフロウの言葉は止まらなかった。


「そうよ。お腹が減って喉が渇くから、こっちは命がけよ! 安全な温かい場所で、ぬくぬくしてるあなたとは違う! 丸々してる子ブタのようなあなたには、一生分からない!」



 男はムッとして言い返した。



「あんたの言ってること、全然、ピンとこない。的外れだろう。大体、俺のどこが子ブタだ」

「こんな荒れた地で、肌艶もよくて、とても健康そうね。そのシャツもずいぶんとおきれいですこと。豊かさをひけらかしてるようにしか見えないけど」

「そうやって、くだらない嫌味を言う力があるなら、あんたも十分、元気いっぱい健康な子ブタだろうが」



 フロウの頭は沸騰していた。

 なんて男だと思いながら、言い返す言葉がうまく出てこなかった。

 その不愉快が胸に溜まった。



「どっか行って。2度と来ないで」


 

 フロウの精一杯の捨て台詞だった。

 フロウはいつも腰かけている川のほとりの水晶に顔を向け、男を視界から外した。



 男が怒りに足を踏み鳴らしながら、立ち去る気配があった。

 少ししてからフロウは振り返った。

 もう、男はいなかった。


 突き出た水晶の山の中、どこをどう越えて行ったのかも分からなかった。

 フロウには、どこにも行けないような気がしていた水晶の囲いの中であったのだが。


 しかし、それももう、どうでもよかった。

 フロウは疲れきっていた。

 フロウは崩れ落ちるように座り込んだ。



 目の前には、いつもと変わらない淀んだ川の流れがあった。










 男は、淀んだ川に沿って歩いていた。

 不快で仕方がなかった。

 あの女に己を否定されるほど、はらわたが煮えくり返るような怒りが沸き上がってきた。



 自分が誰なのか、なぜここにいるのか、どこを目指しているのか。

 男には何も分からなかった。



 何か大切なものを、誰かに手渡しに来たような気がする。



 すべてが漠然としていた。

 何枚もの薄いベールを重ねた下に、真相が隠されているようであった。

 めくってもめくっても、あるはずのその気配にたどり着かなかった。





 あの女が目的地ではないのか。

 一瞬、そうと思ったが、違うのか。



 どうしようもなく腹が立つ。

 どうしてだろう。

 それだけではない。

 落ち着かない。胸が騒ぐ。



 悲しみにも似ている。



 何を、誰を、目指せばいいのか。

 自分が迎え入れられる場は、どこなのか。

 

 男は途方にくれた。






 男が踏みしめた水晶が砕けた。

 濁った色が散った。


 男は足を止めて、砕けた水晶を見た。

 形も保てない。

 その危うい脆さに顔を曇らせた。






 男はふいに思った。

 世界が終わりに近づいている、と。

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