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センターエリア0へ

 ロキは、ハクキン地区にある自宅の執務室にこもっていた。

 頭を冷やして考えたかった。

 人払いをした部屋で一人、ロキはイスに座っていた。


 ロキは落ち着かなかった。ため息をつき、髪を束ねていたひもをほどいた。

 緩やかにうねる黒髪が、肩から胸に滑って広がった。


 息苦しいのでシャツは三つめまでボタンを外した。

 しばらく対外的な用をこなせる心境ではなかった。




 ロキの紫の瞳は、絶え間ないいらだちを映し出していた。

 はけ口を求めて、ロキは座ったまま執務机を強く蹴った。


 頑丈な造りの机ではあるが、同じところばかり革靴のかかとで蹴っていたらさすがに傷がつき、凹みができてしまった。




 そんなロキのもとに、来客の知らせがあった。

 緊急性があるのだと大騒ぎしているという。

 客は、ロキがよく知っている親戚だった。


 身支度の必要ない相手でもあり、騒ぎ続けられても面倒なので、ロキは会うことにした。




「失礼します!」


 通された男は軽く会釈をし、顎先までの黒髪を揺らした。

 ロキは不機嫌を隠さず、イスにふんぞり返って言った。



「ユウカリ。お前、本当に失礼。これでくだらない用件だったら、二度と国に帰れないよう追い出してしてやるわよ」



 ユウカリは、ロキの不機嫌に当てられ、わずかにひるんだ。




 何しろ相手は、幼い頃から比較されてきた優秀なロキである。

 常春の華直系跡継ぎ、その人なのである。




 しかし、ユウカリは退かなかった。

 気力を振り絞って、足を一歩踏み出した。


「ロキ。ミカエルの妹フロウを、あなたの花嫁候補として本家が預かっているというのは本当のことなのですか」


 ロキは冷たい目でユウカリを見た。


「お前には関係ない」


 ユウカリは果敢に食い下がった。


「フロウの父親が、フロウの所在に不審を抱いて、あなたの父ガロンに問い合わせをしました」


 頭首ガロンの返事を、ユウカリはビヨンドから聞いた。



 フロウはロキの花嫁候補筆頭である。

 ロキはフロウのことを気に入った。

 フロウのロキに対する感触も悪くはないようだ。


 このまま話が進むかもしれないので、もう少しフロウを預からせてほしい。

 兄ミカエルについては、関知していない。



 以上のような話だった。



 ユウカリは、爪を噛み始めたロキに問いかけた。


「ロキは、女性については、ちょっと、何て言うか、あれですよね。もしかして、兄の方、ミカエルを囲っているのではないですか?」

「バカじゃないの! さすがに常春の華らしさを少しも持たない末席ね! 用件はそれだけ? 目障り。消えろ」


 ロキは一方的に話を打ち切った。

 ユウカリも、それ以上は踏み込めなかった。



 本家には跡取りの縁談に浮き立つ雰囲気はない。

 ロキ本人も何やらピリピリしている。

 以上の状況把握だけが、ユウカリの成果だった。



 また来ますと小さく言って、ユウカリは去った。


 ロキは机の上にあったペンを閉まるドアに投げつけた。


「めんどくさい! 二度と来るな!」


 ロキはもう一度机を蹴った。







 ロキのいらだちは、宵闇の青グランドに、フロウを奪われたところから始まっている。

 ユウカリの用件は、まったくもって今は聞きたくないものだったのである。


 グランドを憎々しく思い、ロキは歯ぎしりした。

 グランドなど、まことの黒の直系にひねり潰されてしまえとまで思った。




 かつて常春の華ガロンと宵闇の青リグレンは手を組み、まことの黒ゴードンとダンテを討ち取った。



 シッコク地区で、まことの黒と宵闇の青は長い間、対立関係にあった。

 まことの黒ゴードンが荒れ狂い、対立は戦争となった。

 そしてある時、宵闇の青頭首が命を落とした。



 代替わりをして新たな頭首となった宵闇の青リグレンは、常春の華ガロンに助力を求めた。


 もともと、常春の華が宵闇の青に面倒事の処理を依頼しているという、表沙汰にできない裏の関係があった。

 とはいえ、シッコク地区での覇権争いに関しては、常春の華は傍観を決め込んでいた。



 常春の華ガロンは宵闇の青リグレンと会談した。

 リグレンは整然と、まことの黒のはらむ脅威を説明した。




 国中を戦争状態にしかねない勢力であること。

 一勢力でありながら他国と単独でやり取りもしており、独自の支配を広げる可能性をもっていること。

 ひいては、招かれざる他国の影響力を、ニア国に呼び込むことさえあり得ること。




 常春の華ガロンは、無視できない問題であると判断した。


 常春の華は宵闇の青に惜しみなく援助した。

 ガロンは他の権力者たちにも声をかけ、賛同を得た相手からの助力も差し向けた。


 それらに加え、まことの黒の桁外れの魔術に対抗できたのは、常春の華が影響力をもつ王立魔術学院の力があったことも大きい。



 まことの黒と宵闇の青における長きに渡る戦いは、常春の華の参戦により、大きく方向を変えた。

 こうして、ゴードンとダンテは命を落とし、まことの黒は敗れ去ったのである。





 しかし、その戦いによって、他にも多くの命がはかなくなった。

 宵闇の青リグレンもその一人だ。


 生き残った常春の華ガロンも深い傷を負った。


 ガロンは激しい頭痛の発作を抱えるようになった。

 どんな治療も魔術もそれ以上、ガロンを治すことはできなかった。


 以来、ガロンの指示助言を得ながら、年若いロキが実務的な動きをするようになった。





 まことの黒には勝利し、国家的危機は脱したのかもしれないが、常春の華に何が残ったというのか。

 まことの黒の一件については、常春の華にとって損失の方が大きかったとロキは考えていた。



 まことの黒の残党狩りに、生き残った宵闇の青が血眼になっている中、常春の華ロキは、この件とは距離をとろうとし始めていた。


 正直なところ、ロキは、まことの黒や宵闇の青との縁を切ってしまいたかった。


 物事は、暴力によって解決するものではない。

 ロキは、物事は交渉によって、有利な条件の下、矛を収めることが最善なのだという考え方の持ち主であった。




 しかし、宵闇の青との関係をすぐに切るには至らなかった。

 そうはいかないしがらみがあった。


 まことの黒以外の部分で依頼している面倒事の処理は、さまざまな利害が絡み、簡単に打ち捨てることができない状況になっていたのだ。


 常春の華は宵闇の青との縁を断ち切れない関係上、まことの黒の残党狩りに資金援助だけはせざるを得ず、それを続けていた。




 やがてそこに、『まことの黒ダンテの一人息子シェイドが生きている』という情報がもたらされた。




 宵闇の青はいきり立った。

 結果、常春の華への援助要請がそれはもう盛大に増えた。


 ロキは頭を痛めた。




 そして8年が経った今、とうとう、『シェイドがニア国に入国した』という事態になった。


 常春の華は、宵闇の青からの要請を受け、シェイド討伐に乗り出さない訳にはいかなくなった。


 常春の華と宵闇の青の温度差は、明白だった。



 宵闇の青は、一族の仇打ちに帰って来たに違いないシェイドを返り討ちにして、決着をつけようとしている。



 常春の華ロキの判断は違っていた。


 まことの黒はかつての勢力を失っている。

 今回の情報でも、徒党を組んでの入国ではなく、シェイドの単独行動に近い状況とのことである。協力者はいるとはいっても、たかが知れている上に、所在もはっきりしている。


 これまで調査したシェイドの情報においても、脅威を感じさせる内容はほとんどない。


 襲ってくる相手に対して、シェイドは相手を殺さないことが多い、むしろほとんどがそうだという話まであった。


 シェイドの戦い方については、穏便さが際立っている。


 ロキは、シェイドについて、交渉の余地がある相手なのではないかと考えていた。



 つまり、宵闇の青と常春の華は、考える方向性が違い過ぎて、まったく足並みがそろっていなかったのである。

 かつてゴードンとダンテを討ち取った時のような共闘体制には、なりようもなかった。






 そこに今度は怪文書が届いた。


『まことの黒シェイドが執着する女、ミドリ地区裏通りの古書店のフロウは、シェイドの弱点』


 怪文書は、宵闇の青と常春の華とに届いた。

 すぐに真偽を確かめるべく調査が入った。



 裏通りの古書店のフロウは、どこからどう調べても普通の女であり一般人であった。


 しかも、ロキの結婚相手として、最近、親戚から熱心に薦められている相手でもあった。


 ロキは訳が分からなくなった。



 宵闇の青は、とにかくシェイドを討ち取るべく気がせいている。

 ロキはフロウの身に危険が迫っていると感じた。

 間違いがあってはならないと、宵闇の青が手を出すより先にフロウを保護することにした。




 魔術に通じる目をもつロキは、フロウに魔術がかかっていることを見抜いた。

 フロウがシェイドについて、確かに知っているということも分かった。

 フロウの閉じ込められている記憶に、謎を解く鍵があるとロキは理解した。


 とりあえず、何かあった時に罪を被せようと思い、フロウには宵闇の青を名乗っておいた。

 しかし、万が一結婚相手になった時のために、やむを得ない事情で常春の華を名乗れなかったが、本名は告げたのだとフロウに言い訳できるよう、ロキの名は偽らなかった。




 時間をかけて少しずつフロウの記憶をひも解いていくのだとロキは思っていた。

 それを、しびれを切らした宵闇の青グランドが、フロウを連れ去ってしまったのである。



 そして、現在に至る。





 グランドめ。自ら交渉の余地をつぶす愚行をおかしやがって。


 ロキのいらだちは止まらなかった。

 再び戦争状態に巻き込まれることなど考えたくもなかった。





 シェイドの動向も、刻々と報告が上がってきている。

 それも、ロキを落ち着かなくさせていた。



『シッコク地区、シェイドが滞在している屋敷にグランドの使いの人形が訪れ、中に通された』

『それからすぐに、シェイドが屋敷を飛び出して行った』

『街中に、シェイドを賞金首とするポスターが貼られている』


 シッコク地区には、センターエリア0を中心とし東西南北を貫く十字の大通りがある。


『シェイド、シッコク地区の南大通りからまっすぐに北上中』

『宵闇の青の刺客人形を叩き潰し、賞金首を狩りに来る住民を地に沈めて進んでいる』

『すさまじく速くて強い。さながら美しい獣のようだ』


 最後の一言は、報告者が思わず述べた感想なのだが、ロキはそれを聞いておののいた。


 まことの黒シェイドは、人ではなく獣になってしまったのか。

 美しいはともかく、獣はまずい。

 人の言葉で果たして交渉可能なのか。


 シェイドが交渉の席についてくれないとしたら、常春の華はどう動くとよいのか。


 ロキは長い髪を両手でグシャグシャとかき混ぜて、いら立ちを散らそうとした。





 実を言うと、まだ、大きな懸念材料がある。


 王立魔術学院の異変である。


 王立魔術学院には、魔術を遮る部屋がある。ロキはフロウをそこに閉じ込めていた。

 しかし、グランドがそこからフロウを連れ去ってしまった。


 とはいえ、どうやらフロウは学院敷地内から連れ出されてはいないようなのだ。

 ならば探せるはずなのだが、学院自体がおかしな事態に陥ってしまった。



 薄曇りの暗さが発生したと判断された。



 学院に調査に行ったものは誰一人帰ってこなかった。

 具体的に何が起こっているのかは、誰にも分からなかった。


 やっと学院を封鎖した。

 しかし、そこまでで、それ以上の対処には手を焼いていた。


 学院内には優秀な魔術師たちがたくさんいる。

 ロキは、その魔術師たちが最善の手を打ってくれていると信じたかった。

 



 薄曇りの暗さは、規模の小さなものであれば、異変が爆発的に増大し出尽くして収束するのを待つ手もある。

 しかし、魔術学院の中で生じ、今も膨れ上がっているそれは、どうも簡単なものではないようなのだ。未曽有の事態を引き起こしかねない危機的状況である。


 地域住民の不安をいたずらに煽ることがないよう、今のところ情報は伏せられている。




 フロウに手を出したせいなのか。

 まことの黒に逆らうと、薄曇りの暗さまでをも操り、報復してくるのか。

 それとも、まったく関係なく、たまたま発生した事態だというのか。




 ロキは目を閉じた。


 フロウだ。

 フロウが見つかれば、シェイドとの交渉の余地はまだあるはずだ。


 ロキは眉根を寄せながら、次の手を考え続けたのだった。












 シェイドは、目の前の人形の顔面に、黒い力を乗せた拳を叩き込んだ。

 人形が次の動作に移る前に、黒い炎が人形のすべてを焼き尽くした。


 辺りが静かになった。


 シェイドが顔を上げると、まっすぐ伸びる大通りは、人形の破片とうずくまる人間、自動車やバイク等の残骸であふれ返っていた。


 噴煙を上げる部品のプスプスという音や、小さなうめき声だけがそこにあった。




 シェイドは大通りの端に到着したのだった。

 シェイドは振り向いた。センターエリア0だ。


 広場の先には、高い壁に囲まれた宵闇の青の支配する地がある。

 壁の中には、サイゴの塔がそびえ立っていた。


 中に続く大きな門があった。


 シェイドは迷うことなく、その門に向かって歩き始めた。

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