まっすぐに走る
シェイドは、シッコク地区の外れにあるキングの屋敷の壁を飛び越えて走り出した。
シッコク地区では、背の高い外壁を備えた家がほとんどである。
無機質な灰色の壁に囲まれた狭い道を、シェイドは疾走した。
大通りに出るか裏道を行くか、シェイドは迷いながら進んでいた。
シッコク地区の地図は、頭に叩きこんである。
しかし、当然ながら地形的高低差、建造物の特徴、工事現場など、地図では把握できない状況がさまざまにあった。
「見ろよ!あいつ!」
「賞金首だ!」
そして勿論、地図に載っていない筆頭は人間である。
常時、武器を持ち歩いているのが、シッコク地区の住民である。
彼らはシェイドを認識すると、たちまちシェイドの敵になった。
二人の若者が、ナイフ片手にシェイドを襲った。
シェイドは一人目をしゃがんでかわした後、顎にアッパーカットを入れて昏倒させた。
続く二人目は、腹に膝を見舞って沈めた。
常人離れしたスピードで走るシェイドを認識し、足止めできる住民は、腕におぼえのある闇の世界の人間である。
そうはいっても、シェイドにはまったく及ばないのだが。
そんな相手の命を間違って奪わないために、シェイドはある程度丁寧に対処せざるを得なかった。
急ぎたいのに急げない、忌々しい気持ちでシェイドは再び走り出した。
平坦だと思っていた道は、階段で上へ上へと続いていた。
一段飛ばしで駆け上がると、今度はどこかの屋敷の敷地内から、銃が連射されてきた。
弾を避けなから階段を上り、見張り台の上で銃を構える相手を見つけ、呪文を唱えた。相手の銃に衝撃波を当て、弾き飛ばした。
邪魔ばかり入ることに、シェイドはたび重なるいら立ちをおぼえた。
シッコク地区の中心地センターエリア0は、そんな状況のせいで、無駄に遠かった。
シェイドのイライラは、どこまで押さえきれるのか。
万が一、フロウの命が失われるようなことになれば、シェイドの自制心など木っ端微塵になることは間違いない。
シェイドは悪鬼と化し、どこもかしこも焼け野原となるだろう。
もしそうなれば、まことの黒に向けられる怒りと憎しみは倍増するに違いない。
シェイドが大勢を道連れに死した後、その後を生きるミカゲに重い遺恨を背負わせるだろう。
シェイドが我を忘れて爆発することは、子孫に深い葛藤を引き継ぐ愚行であるといえる。
シェイドは、そこまで分かっていながら己を止められる気がしなかった。
身に覚えのない恨みつらみを受ける苦しみを知るはずのシェイドが、それを連鎖する担い手となる。
こうなってみると分かるのだが、きっと過去の誰もがそうしたくてしてきた訳ではないのであろう。やむを得ずのことなのだろうとシェイドには思えた。
ゴードンが直接的な引き金を引いたのだから、ゴードンが直系の歴史における愚者なのだと断じることは容易い。
しかし、シェイドは、そうならざるを得ない進路をとってきたまことの黒全体としての有様や、闘争を煽りたてた世の中の有様を思わずにはいられなかった。
シェイドが頭の中の地図をたどり、つき当たりの壁を右に曲がった時だった。
宵闇の青グランドの使い、と名乗った人形とよく似た男が、ギコギコと動きながら、そこら中の壁に張り紙をしていた。
正装ではなくトレーナーにチノパンという簡素な服装ではあったが、骨と皮だけの風貌は間違いようもなかった。
その男、いや人形は、肩掛け鞄に入った大量の紙を、ベタベタとところ構わず張っていた。
それはなんと、賞金首シェイドの写真入りポスターであった。
ちなみに賞金は破格の金額であった。
シェイドの中で、何かがブチッと切れた。
有無を言わさずシェイドは飛びかかり、人形を脳天から殴った。
黒い力が上乗せされた拳は、人形をまっぷたつに貫き壊した。
人形が割れた中から、わらわらとおかしなものたちが飛び出してきた。
叩き壊すと余計なものが増える仕組みに、シェイドはまたしてもイライラした。
ポスターごと黒い炎で焼き払った。
周囲の壁がずいぶん溶け落ちた。
力の制御が悪くなっていることを目の当たりにした。
シェイドは舌打ちをして走り出した。
そもそもシェイドは、フロウと再会してからずっと、まともな精神状態ではないのである。
長い間、恋い焦がれたフロウ。
その姿を見た時には、体中に電撃が走った。
柔らかく艶やかな栗色の長い髪。
アーモンド形の瞳は優しい光を宿している。
シンプルな水色のワンピースに包まれた体は、小柄でも伸びやかで形がよい。
滑らかな肌は、内側から輝くようなみずみずしさを感じさせる。
記憶にあるよりも美しいフロウに、シェイドは衝撃を受けた。
次には、フロウの魂の波動を感じた。
変わらない色で、変わらないリズムを刻んでいた。
懐かしさでシェイドの胸はいっぱいになった。
それから、フロウに絡みついている魔術が見えた。
シェイドの胸に生じたのは、激しい怒りだった。
あれは悪いものではない。
フロウを守るように施されている。
そこまで瞬間的に読み取りながら、シェイドはその魔術を千切り取ってしまいたくなった。
自分以外の誰かに守られているなど、考えたくもなかった。
この辺りで、シェイドの精神状態はすでにだいぶ怪しい。
しかし、まだ次があった。
シェイドは歩を進め、フロウの前に立った。
シェイドは健気なことに、成長した自分に気づいてもらえるよう、メルトの時と同じ服装をしてきていた。
白いシャツ、黒いズボン、黒いブーツというシンプルな出で立ちである。
ちなみに、記憶を封じられているフロウにとっては意味を成さないと分かった今もなお、シェイドはその服装を貫き通している。
とにかく、そうしてフロウの前に立ったシェイドが何より動揺したのは、シェイドを見るフロウの眼差しに対してなのであった。
シェイドをまったく求めないその瞳に、シェイドは何よりも深く傷つけられた。
あれほど欲しいとシェイドを呼んでいた目が、何も語りかけてこない。
あまつさえ、シェイドの目の前でフロウはミカゲを求めた。
シェイドはフロウに腹を立てた。
奪って縛りつけて迫って問いつめてなじって責め立てて追いつめて泣かせて抱いて抱いて抱きつぶして口づけて。
フロウにそうしてやりたかった。
そうすればよかった。
すぐそこにいたのに。
その後、シェイドは後悔した。
海のように深く、炎のように激しく後悔した。
何に遠慮したのか。何をためらったのか。何に怖じ気づいたのか。
どうしてなのか、こんなことになった。
フロウが敵の手に落ちるなど。
今度、フロウに会ったら、決して迷わない。
どれほど愛しているか思い知らせてやる。
シェイドは子どもの頃、自分は危ないと自覚することが度々あった。
今も変わらず自覚している。
よく分かっているが自制はきかない。
シェイドは、センターエリア0、サイゴの塔を目指し、大通りをまっすぐ行くことに決めた。




