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あがき

 ロキはこれ以上の話の進展はないと読みとった。



 シェイドは一定の仲間を引き連れて新天地へと旅立ち、二度とニア国には戻らない。

 ニア国に残るまことの黒には、戦いを勝ち抜く士気も力もなくなる。

 常春の華や宵闇の青が深追いしなければ、まことの黒は害を及ぼさない。



 ロキは十分だと判断した。

 何よりもまことの黒の直系が、ニア国からいなくなることが大きかった。


 ロキは、シェイドのこれまた破壊力の高い笑顔の残像を打ち消すように、咳払いをひとつしてから対話を再開した。


「ごっほん。ええ。理解したわ。まことの黒シェイド。今の話の内容で、契約を交わしましょう」

「契約?」

「そう。古来からのしきたりにのっとり、お互いの魔術にかけて契約を交わす。もし、誓いが破られた時には、精霊の災いが及ぶ」

「精霊の契約書か! 実在するのか」

「本物よ。常春の華でさえ、1枚しか所持していない。代々受け継がれてきたけれど、ここで使わせてもらう。丁度、この塔に保管されている」


 ロキが小さく呪文を唱えると、その手のひらの上に一枚の古びた紙が現れた。

 この世のものではない文字が、その紙の上方に数行刻まれていた。見たこともない文字であるにも関わらず、ロキにもシェイドにもその内容がなぜか理解できてしまうのであった。


「これが精霊の契約書よ」


 精霊の契約書には、複数の緻密な呪文が織り込まれていた。


「一目瞭然とはこのことか。本物だな」


 シェイドが感嘆の声をあげた。


 ロキとシェイドは互いに誓いを述べた。

 精霊の契約書に、この世のものではない文字が浮き上がるようにして、書き足されていった。




 それは、戦いを終わりにするという誓いであった。




 契約が結ばれ、精霊の契約書は宙に消えた。


「俺が旅立つ時には、あんたにも知らせよう」

「そうして」


 ロキはすべてをし終えた安堵をおぼえながら、石板に映るシェイドに手を振った。


「ロキ」

「え、何よ急に」


 シェイドが初めてロキの名を呼んだ。

 ロキは不用意に動揺した。


 シェイドは少しだけくだけた雰囲気で言った。


「俺をテロリスト扱いしただろ」

「え」


 ロキはギクリとして肩をこわばらせた。

 シェイドは笑った。


「フロウを傷つけなかったから許してやる」

「あ、あら。それはどうも」


 ロキはドギマギしながらひきつった笑顔を見せた。シェイドはフロウの中に入り込んだ時に、その記憶を共有したのである。


 じゃあな、と一言、いたずらな笑顔を残し、シェイドはフロウを抱き直して駆けて行った。

 その背が見えなくなった時、ロキはその場に座り込んだ。





 ロキは疲れ切った。





「ねえ、疲れてるところ申し訳ないけど、スイレンを助けてくれない?」


 容赦なくベロニカの声が飛んできた。

 ロキはやつれた顔をあげた。


「分かってるわよ! やりゃあいいんでしょ!」


 ロキは重い体を引きずって、ベロニカとスイレンの元に歩いた。

 疲れた足が上がりきらず、割れて突き立つ床につまずいた。

 忌々しさに舌打ちしながら、ロキはスイレンの横に座ったのであった。





 ベロニカは眉を寄せ、不安な顔で言った。


「スイレンが生きている感触が、私には感じられないんだけど」

「そうね。ほとんど死んでる」

「それ、どういう」

「はあ。疲れた…。常春の華の力なら、こいつを救えるってこと」


 ベロニカは目を見開いた。ひらめくものがあった。


「常春の華…時への干渉」

「そうよ。常春の華の真骨頂たる力。命削る術だから、邪魔しないで静かにしてて」

「人の命にまで干渉できるの?」

「今そんなことができるは、あたしくらいね。ほんのわずかに時を戻す。スイレンはかなり際どいところにいるけど、間に合う。回復魔法が効くくらいのところまで引っぱり戻してやるわ」


 ロキは一度、深呼吸をした。

 シェイドと交渉したわずかな間に、ロキの頬の肉が落ちたようにベロニカは感じた。

 ロキの額に浮かんだ汗が滑り、シャープな印象を増した顎先から、ポトリと落ちた。


 ロキは斜めに膝を崩して座った腿の上に、スイレンの手を取って乗せた。

 その手を握りながら、ロキは静かに呪文を唱え始めた。

 ロキの全身がうっすらと紫色の光を帯びた。




 神秘的な光景であった。

 ベロニカがこれまで経験してきた中でも、最上級に美しい魔術だった。

 半ば伏せたまぶたの隙間から、宝石のようなアメジストの瞳がのぞいていた。

 骨格の整った硬質なロキは、歌う彫像のようであった。


 柔らかな紫色の光が手から手へとを渡り、スイレンを包んだ。

 ロキの口からこぼれる旋律が、波動となり紫色の光を揺らした。


 波打つ黒髪のひと房が、ロキの耳元から頬に落ちた。

 長い髪のこぼれるままに、紫色の光も流れて燐光を散らした。




 ベロニカは目も心も奪われて、その魔術を見ていた。






 まるで別世界に足を踏み入れたかのようなひと時を破る、無粋な音があった。

 ベロニカの意識の後ろの方から、声が聞こえてきたのだ。それは制御室の外から届いた。

 ベロニカは心身のつながりの悪さに舌打ちをしながら、急いで制御室の入り口を見た。





 グランドが立っていた。

 その全身から闘気が湧き立っていた。





 ベロニカの頭の中で、先ほど聞こえた音が再編集された。

 制止の声とうめき声。おやめください一体何を、ぐああ。そして争い倒れる、ドサリという音。

 ロキの引き連れてきた者たちが、グランドに叩きのめされたのだと、ベロニカは理解した。


 ベロニカはチラリと横目でロキを見た。

 ロキはグランドにまるで反応しなかった。トランス状態にあることが見てとれた。


 ベロニカはすぐに視線を戻した。

 グランドは、フンッと鼻を鳴らすと、ベロニカたちを一瞥しただけで省みることなく、ずかずかと制御室へ踏み込んだ。


「いたたたた! 痛いよう! あいたっ」


 女の悲鳴混じりの泣き言が聞こえ、ベロニカは目を丸くした。

 グランドの巨体と存在感に隠されていた女だった。その女が、グランドに髪を鷲掴みにされ、引きずり込まれたのだ。


「ヒルダ…」

「ベロニカ! た、助けて!」


 ベロニカの声に反応し、ヒルダはパッと顔を上げた。ベロニカとヒルダの目が合った。

 ベロニカは即座に立ち上がり、一歩踏み込んだ。


「グランドさん、ヒルダが痛がってます。手を離してください」


 グランドはヒルダを引きずるようにして、魔封じの間から制御室へとやって来たのである。

 髪を鷲掴みにされた頭も、必死に小走りをした体も、痛くてたまらないヒルダであった。


 ベロニカの言葉もヒルダの憐れな姿も意に介さず、グランドは石板の前に立った。



 石板の映像が変わった。

 無人の通路から、数人の人影がある瓦礫の山へと映像は転換した。像は次第にクリアになった。



 ミカエルとハシマがもつれ合う足元に、ミカゲとイセが倒れていた。



 グランドが笑った。

 その好戦的な笑みに、ベロニカは眉をひそめた。

 グランドが声を発した。



「まことの黒ミカゲ…。天は我に味方した」



 ベロニカは厳しく問いかけた。


「グランドさん、何をする気です」

「知れたことを。まことの黒シェイドの首を刈る。ミカゲが新たなエサだ。この身が朽ちても構わん」

 

 グランドの隻眼には狂気があった。

 ベロニカには事の詳細は読みきれなかった。しかし、ロキとシェイドによる終戦の誓いを反故にする狂気であることだけは分かった。


「いけません、グランドさん。ロキさんはシェイドと精霊の契約書を交わし、不戦を誓ったのよ!」

「知ったことか。ロキのやり方は気に食わん。ふん。ロキもこの様子では今しばらく動けまい」

「グランドさん! 精霊の災いが」

「死なば諸共」


 グランドの筋肉が張りつめ、青筋を立てた。

 ベロニカは青ざめ、指先に牡丹色の炎を点した。

 グランドはヒルダを引っぱり出した。髪をつかまれたままのヒルダは、痛いと悲鳴を上げた。ヒルダの額がグランドの胸当てガードに当たった。再びヒルダは悲鳴を上げた。

 ベロニカは魔術の炎を消した。


「やめて、やめてください、グランドさん」

「ベロニカ、従え。逆らえば、この女の命はない」

「ベロニカー、あたし死にたくないよー」


 ヒルダは大粒の涙を流して泣いた。ヒルダの額が赤く腫れていた。大柄なグランドと脆弱なヒルダの対比に、ベロニカは恐れを強くした。スイレンの死を意識した記憶がベロニカを黙らせた。



 グランドは顔を石板に向けた。

 そして、視線を石板の横にある四角い紋様に移した。


「リグレン。今、その仇を討つ。我が命を捧げよう」


 石板の横にある壁の紋様は、1枚のタイルを唐草が覆うようなシンメトリーなデザインであった。よく見るとそれは、線で描かれているのではなく、すべて古代文字の連なりによって書き込まれているのである。グランドの拳ほどの大きさの正方形の紋様に、グランドは歩み寄った。


「いだだだだ」


 うめくヒルダを、グランドはおもむろに床に投げ捨てた。


「いってえ!」


 ヒルダは叩きつけられた体を抱きながら、それでも急いでグランドから離れようともがいた。

 立ち上がれずに芋虫のように這い逃げるヒルダに、ベロニカが駆け寄った。



「おおおおおおおお」



 突然、地の底から響くような雄々しい声でグランドが吠えた。

 腰を落とし、丹田に力を込め、腰元に拳を当てて、腹からの声を出していた。


 一体何を、とベロニカはつぶやきながら、ヒルダの肩を抱いた。ヒルダは必死に、ベロニカの首に腕を巻きつけた。



「だあああああああ!」



 恐るべき気合いとともに、グランドの拳が壁の紋様に襲いかかった。

 ガンッという音とともに、拳が紋様の中心に突き立った。

 パリンという音がした。

 存在するはずのない赤いガラスが飛び散った。




「我が名は宵闇の青グランド! 我が命と引き換えに、我が願いをかなえよ!」




 壁にめり込んだグランドの拳の下から、紋様が立体的に煙のように立ち上った。紋様はたちどころに不規則に渦を巻いた。紋様は集結し、固まり、赤黒い邪悪な顔をかたどった。そしてそれは、薄い三日月のような目と口だけがあるのっぺりとした面となった。

 邪悪な面は、ゴムが伸びた後、縮むように、バシンッとグランドの顔に張り付いた。



 グランドの全身が赤黒く燃えた。軍服に似た服は、盛り上がる筋肉によって数か所ビリリと裂けた。肩や胸や肘を守るガードは、マグマのような妙な質感に変化した。



 ベロニカはヒルダを抱きながら、茫然とした。



「禁呪」



 ベロニカにも見たことはない、知りもしない、しかし、決して触れてはならない類の邪悪を感じ取った。


 突然、床に小さな魔法陣が出現した。

 ベロニカはハッとして、グランドの足元に現れた魔法陣を見た。そこから瞬く間に数本の細長くしなるものが飛び出した。それはベロニカたちの方へシュルシュルと伸びた。


 ベロニカはヒルダを自分から引きはがし、渾身の力で後方に投げた。


「んぎゃあ!」


 ヒルダはロキとスイレンがいる壁際に悲鳴を上げながら転がった。


「ベロニカ、てめえ! いてえだろうが!」


 文句を言いながら身を起こしたヒルダは、とんでもない光景を見た。




 ベロニカがグラントの足元の魔法陣から伸びた赤黒い鎖に、全身を絡め取られていたのだ。




「ベロニカ」


 ヒルダはそれ以上の言葉を失った。




 グランドの邪悪な面の奥から、奇妙なしゃがれ声がした。



「その力をいただく」

「あああ!」



 赤黒い鎖はベロニカを締め上げた。ベロニカの白衣にじわじわと牡丹色の光が映し出された。

 ベロニカは強引に魔力を引き出され、抜き取られようとしていた。

 ベロニカから絞り出された牡丹色の光は、赤黒い鎖を伝って魔法陣へと飲み込まれていった。

 ベロニカは立ち膝の姿勢を保てず、床に倒れ込んだ。




 ヒルダは振り向いて涙目でロキに言った。


「ちょっと、あんた、何とかしてよ」


 ロキとスイレンは、その場に居ながら異世界にあるように、まったく応じなかった。




 ベロニカから伸びた鎖は、踊るようにギュルギュルと跳ねた。

 そうして牡丹色の魔力が次々と魔法陣へ吸い上げられていったのだった。












 一方その頃、キメラを退けたアニヤとアネモネ、そしてキングは古代棟の立ち並ぶエリアを駆け回っていた。

 3人は、ベロニカに手を引かれ魔封じの間に行ったはずのヒルダを回収するべく探して回っていたのであった。

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