8 人間引導禄 「具体と抽象の狭間で」
―見えるものと見えないもの。死神は,見えない派だー
私とトアは、青年の魂の引導を終え、周辺の亡霊たちを一気に引導していた。先ほどまでいた高校の近くに、お墓が集まっている場所があった。理由はそれだろうか。亡霊を引導しながら二人は歩いていた。何やら建物が見えてきた。魂の気配もする。二人はその中に入った。建物はビルのようだ。高校とは違い、そのビルの周りにも似たような建物がある。やはり都会なだけあると感じた。高校があった場所にも建物はあったが、どちらかと言えば住宅街寄りで郊外にあるような雰囲気だったが、この場所はどこを見ても人が目に入る。そんな場所にある建物だった。
魂の気配がしたビルは、周りのビルに比べると老朽化しており、別の意味で目立っている建物だった。マンションだろうか、高さはあるが、綺麗ではない。そういう雰囲気だった。私とトアは中に入った。魂の気配がしたのは……上の方だ。まさかの屋上だろうか……。そんなわけはなく、5階の一室だった。部屋に入ると、子供ではないであろう、成人した女性が布団の上で寝転がっているのが見えた。案の定、死んでいる。部屋は散らかっている。ものが多い、と言うよりは、使ったまま片づけていない、というような感じだ。机の上には紙が散乱している。トアは何も言わない。目の前の惨状に喰らっているのだろうか?
「……トア、どうかしたか?」
「ホホ ツメタイ」
トアの頬に触れてみた。ほんのり冷たい。温かさはない。温かくならない場合もあるようだ。
「この頬は、あれかな、『空虚』とか『衝撃』、『やるせなさ』。空っぽで、あとに何も残らない。きっとトアの頬が驚いて、フリーズしているのさ。目の前の状況を飲み込めなくて。わかったかい?」
「ワカッタ デモ ワカリタクナカッタ」
私は少し驚いた。私が教えた感情の言葉や、トアに灯した瑠璃の灯が少しずつトアに組み込まれていっているのかもしれない。トアが自分の想いを述べたのは、初めてのことだっただろう。私はトアを見つめていた。そして布団の上の物体に近づき、魂に話しかけようとした。まだ亡霊にはなっていない。死んでから時間が経っていないようだ。
「あなたは今、致死性不整脈で亡くなった。しかしこの部屋を眺めるに、もっと決定的な原因があるのだろう……。まだ話せるかい?君。」
魂はふよふよと出てきた。おぼつかない魂だ。
「私、今……何が起きた?急に呼吸が苦しくなって……。気づいたら……」
魂にも何が起きたかわかっていないようだ。自殺ではないパターンだ
「致死性不整脈……。急に血の流れが悪化し突然死に至る病気だ。……君の場合は一気に血の流れが完全停止した。それで死んだことが私にはわかる。おっと失礼。私の名前はミラ。死神だ。君をあの世に引導すべく参った」
やはりこの魂はたった今、死んだばかりのようだ。中身がしっかりあるし、私にも声が聞こえた。トアが魂をただ見つめている。目をそらさず見つめている。何か感じているのだろうか。突然トアが口を開いた。
「……ナゼ……ナゼ……。ナニガ……ダメダッタンダ……ナゼ……ミトメラレナイ……!!!」
魂は少し驚いたような声を発した。私にはすぐにわかった。トアは心を読んだのだ。本当は魂に色々聞きたいがそうも言ってられないのが現実である。迷った挙句、私は魂を引導することにした。引導する前に、魂にひとつだけ聞いた。
「なぁ魂よ。何か未練はあるか?そしてあの世に持っていきたいものや思いはあるだろうか?教えてくれ」
魂は机の上にふらふら飛んでいった。机の上には紙が散乱している。
「私の……未練。認められなかった……この残骸……。さっきそこの白髪のお嬢さんが言った通りさ。私は認められなかった。……何度落とされただろう。どこにも就けなかった。どこにも……さ。私、これだけは……持っていきたい。この掛布団。何度ここで感情を出したか……おかげでボロボロさ。……でも結局居場所はこの布団の上だった。この掛布団だけ……あれば…………」
魂は声を失った。タイムリミットだった。魂は亡霊になるまでの間、この時間は死因によって決まる。今回のこの魂の場合、致死性不整脈で若くして亡くなった。よって魂でいられる時間は長くなる。しかし、そんな魂でも、声を失うまでの時間はほぼ決まっており、決して長くない。もちろん個人差があるが、この魂はとてつもなくその時間が短かった。数十分しかもたなかった。私は魂に炎を灯した。そして掛布団にも炎を灯す。魂は上へと昇って行った。布団とともに。
私は机の上の紙の残骸を眺めてみた。何枚もの紙が散乱している。これは……。
「履歴書……?それにこれって、面接かなんかの資料だな。にしてもこんな文字びっしりな面接資料は初めて見るな」
「メンセツ?リレキショ?」
トアが混乱しているようだ。アンドロイドが履歴書や面接のことを知っていたらそりゃすこし怖いと私も思うだろう。教えてやらねば。
「この世界では、働くことが必須なのさ。生きていく上でね。そのためには基本『雇われる』必要があるの。入れてもらうんだ、仲間にね。しかし、仲間と言っても、良い仲間が欲しいと思うのが自然じゃないか?その証明書がこの紙、「履歴書」と「面接の資料」なのさ。前にトアに教えたろ?『ウィンク』と『会釈』。これは何のために使うものだったか、覚えているかい?」
トアは表情を変えずに返事をする。少しだけ元気な声に聞こえた。
「アンゼン!ワタシ アンゼン!カイジ アイズ」
「正解。自分は安全で、礼儀正しいよ!って言う『開示』の合図だったよな。この紙はその『開示の合図』の現物バージョンってわけ。紙の上に記したってことなんだ。わかったかい?」
「ウン カミ アンゼン ツタエル」
我ながらわかりやすい説明だったと思う。そして散乱している机の上から紙を一枚取り,目を通してみた。面接の資料だ。
——私は、世の中の悩める人たちを「合理的受容」を持って肯定し、強く包み込めるような場所を作りたいと考えて日々生きてきました。この願いは今も変わりません。貴社では、不登校の生徒をただ受け入れ、ただ立ち寄れる、そんな「避難所」の形成に力を入れています。私はそんな避難所をもっと強く、もっと確実で、優しい場所にさらに昇華させたいと考えています。日々大学で培った人との会話の仕方、傾聴力を持って、日々取り組みたいと考えています——。
私はこれを読んでいて、さっきの魂のことを思い出した。なんて素敵な感性を持っていたのだろう。もっと話を聞けたらよかった。敷布団しかないベッドを見て強く思った。敷布団にはしわが多くある。少し薄暗い、部屋の中で私は面接資料を眺めていた。そして残りの資料にも目を通した。トアもそれを覗き込んでいた。するとトアは目を瞑って首を振った。
「……わからないか、トア。この紙に書いてあること。」
「ウン」
私は確信した。すべて理解した。彼女が……亡くなった理由。すべて解釈できた気がした。なんて……なんて切ない葛藤をしていたのだろう。トアがうつむく私を見て、トアは私の顔を覗き込んだ。私はゆっくり顔を上げ、机に資料を戻し、軽く机を整頓してから話し始めた。
「……あのね、トア。さっきさ、魂の心の声……聞かせてくれたよね。なんて言ってたか、覚えてる?」
トアは戸惑うことなくあっさり答えた。アンドロイドの記憶力は半端じゃない。
「……ナゼ……ナゼ……。ナニガ……ダメダッタンダ……ナゼ……ミトメラレナイ……!!!」
雰囲気まで再現してくれたトア。しかし今の私は少しばかりしおらしくなっている。
「そう。そう言ってたよね。彼女……きっと……素敵な感性と価値観……『美学』を持っていたんだよ……。」
「カンセイ?カチカン?」
「物の見方。考え方のことさ。私が普段トアに教えているようなもののこと。こう考えてもらえばわかりやすい。」
「ウン!ワカッタ」
トアもなんだかんだ、言葉を色々吸収しているらしい。「わかった」という言葉を教えた覚えはあんまりない。
「で、彼女には彼女なりの物の見方があったのさ。この紙に書いてある文章がそうだったよ。しかしトア、このさっきこの文章読んだとき……理解できたかい?」
トアは先ほどと同じく、目を瞑って首を振った。
「トアが理解できないのも無理はないのさ。この文章、『抽象的』だから。『抽象』って言ってね、形のない、筋の通っていない、ふんわりした言い方のことを指す言葉なんだ。自分の経験だったり記憶だったり価値観だったりは、目に見えないからね。目に見えないものを説明しようとすると、さっき私らが読んだような、簡単には理解できないような文章になるんだ。その代わり、美しい光を放つものなの。その人を決める、光をね。瑠璃の灯とおんなじだよ」
「ホホ ホテホテ イッショ?」
「うん。そうそう。頬がホテホテする理由なんか、トアにもあんまりわからないだろう?それが『抽象』。あの魂は美しい価値観を持っていた。おそらくこれ。『合理的受容』。なんとなくだけど、理由がしっかりある、強い肯定のことなんだろうな。理にかなってて、言われたら自信が出てくるような。そんな受容。ほんとに美しいよね……。でも、それが受け入れられるかどうかは、全く別で、相容れない話なの。さっきトアが読んだ心の声。あれは『叫び』だったのさ。『悔しさ』、『やるせなさ』、『葛藤』とも言える。」
部屋は知らず知らずのうちに、白い光が差し込んで明るくなっていた。お昼時だろうか?
「サケビ?クヤシサ?ヤルセナサ?カットウ?」
「誰にも認められず、誰にも分かってもらえなかった。こんなの、寂しいだろ?」
「ウン ホホ サビシイ ホホ……デモ チョット チガウ」
トアの頬が変化していた。赤らんでいて、トア自身もこの頬が以前に教えた「寂しさ」や「孤独」とはまた違うことをしっかり感知しているようだ。
「ねぇトア、その頬、だいぶ熱くないかい?」
「ウン アツアツ!」
「その頬が、『悔しさ』であり『叫び』の頬だよ。さっき言った言葉すべてを表す頬。」
「ホホ フルエル」
「頬が震えるほどのものを彼女はきっと外に伝えたかったのさ。だけど、誰にも理解されず、却下され続けた末路が今回だったわけだ。」
トアは布団の上の遺体を見ていた。頬が反応しているようだ。
「ホホ アツ ヤルセナサ クヤシサ」
「そうだろうね、その頬は。でも悲しいかな、この人間の世界はね、『抽象』が通じることは、ほとんどないのさ。結局、『具体』が通じるの。」
「グタイ?……チュウショウ メニミエナイ ビガク……グタイ メニミエル?」
「お、すごいね。そうだよ。目に見える、しっかりした、確実なもの。それが評価されるものであり、現実なのさ。彼女はその現実にことごとく打ちのめされてきたんだろうね……。」
「サビシイ クヤシイ……」
「心の声がわかるとほんとに来るものがあるよな。……正直私も悔しいしやるせないよ。どんなに素敵な願いとか価値観とか、美学があっても、通用しないなんてさ。たった一言、『抽象的すぎる』で片づけられることなんてざらなのさ。悲しい。ほんと悲しいよな……。でも現実は変えられない。……せめて彼女が……素敵な感性を持っていたことを……忘れてほしくないなぁ……。もっと……話したかった。」
トアは頬を火照らせていた。そして急に抱き着いてきた。私は驚いた。
「アリスオネエチャン コレ ワタシニ ヤッタ ワタシ ウレシカッタ ミラ ウレシイ?」
そういえばアリスが朝、トアに抱き着いていたな……。それをトアは勝手に覚えていたらしい。嬉しかったのだろうな。
「……うん、嬉しいよトア。ありがとう……。……行こうか、ここでするべきことは、すべて済んだ。」
私はそう言って、出口へ行こうとした。しかしピタっと立ち止まった。そして彼女の部屋のカーテンをすべて開けた。彼女の美学を、照らすために。白い日光が机を,布団を,部屋を,照らしている。




