36 深淵の覚悟
―音のない場所で,音が響いた―
私とトアは少し早めに引導課のオフィスへ戻った。亡霊を一気に引導したせいでノルマを一瞬で超過したし、各々用事もあるためだった。私はいつも以上に疲れた。いつぶりだろうこの体の重さは。そして目が少し見にくい。おそらくまだ私の目は青くなってしまっているだろう。右目だけにしといてよかったと思った。あの時、両目に火を宿そうか迷ったが、後々のことを考えて右目だけにしておいたのだ。我ながら賢明な判断だっただろう。
「ミラ メ チガウ」
「ああ、気にしなくていいよ。疲れるとこうなるんだ」
「オツカレサマデス」
トアが心配してくれる。ポニーテールからアホ毛がちょこちょこ出ていて可愛い。私の顔は少しやつれているが、あの既視感だけはしっかり覚えていた。そう思いながらアリスにトアを預けようとするが、まだオフィスにはアリスの姿がなかった。ツムギの姿はあった。そういえば朝、トアのポニテに喰らっていたな。
「ツムギ~。帰ったよ」
「ツムギ!トアノ オカエリナリ!」
「お~。……ん?オカエリナリ……??」
ちょっと反応に時差があったこの言葉……。アリスだなこりゃ。ツムギはトアの言葉には触れずに、思い出したかのように話を切り出してきた。
「ところでミラ、何だこの引導データは!亡霊の引導数が超過しすぎていて数値が表示できん。何やったんだ?数えられた数値だけでも5万はあったぞ」
さっき送った引導データのことか。私はちょっと顔が曇った。ツムギは何か気づいたようにぴくっと反応した。
「……?ミラ、右目が青い。……ほんとに今日何があったんだよ、絶対なんかやっただろ」
まぁそうだ。私は今日1つの島を炎で包んだ。なんてこと簡単に言えるわけがない。ふぅとため息をついていたところに、救世主の登場かのように、アリスが引導から帰ってきた。
「帰ったよぉ~!トアちゃんっ!おいでっ」
「アリスオネエチャン!」
トアはアリスの肩にぴょんと飛んで行った。抱き合ってじゃれ合っている。私の顔は少し緩んだ。ツムギは何故か嫉妬顔をしているように見えた。なんでかは分からない。アリスは私と目が合ったかと思えば、二度見してきた。
「……ん?!待って、え?!な、なにミラっち!その目!右目だけ青いじゃない!?びっくりした、ミラっちの顔が目の端っこに入ったと思ったらなんかおかしいんだもの。イメチェン?」
アリスは本当に暢気だから助かる。空気が一瞬にして明るくなった。その流れで私はアリスに話しかけた。
「じゃあアリス、トアのこと頼んだよ。あとこの目はイメチェンではない。色々あったんでね」
アリスは察したのか、詮索はしてこなかった。トアをギューっと抱きしめてながら私に笑顔を向けた。
「任せておいて!トアちゃんっ!今日もいろんな言葉教えてあげるからねっ」
「ウン!」
二人はルンルンでオフィスを出て行った。ツムギはどういうことかさっぱりらしい。
「えっ、トアがなんでアリスのとこに……?」
「トアの語彙を増やすために、暫く預けることにしたんだよ。よしツムギ、資料室に行こう。」
ツムギはああと、思い出したように立ち上がった。二人はオフィスから出て階段を下りて地下への入り口まで向かった。少し薄暗い。資料室には全課のものがすべて集まっていて、意外と広い。図書館が一番イメージしやすい。しかし暗く、ホラーが苦手な人はあんまり近寄らないような場所だった。
「ここか。俺は初めて来たな……。上司からこの場所の存在は聞いていたけど、音のない場所だな……」
地下にあるというだけあって、音がない。静かだ。私は躊躇することなく入り口から入ろうと足を進めたときのことだ。
「……勝手に立ち入るおつもりかしら?お二人さん」
女の人の声だ。私はあんまり聞き覚えのない声だった。しかし横で明らかに動揺しているツムギがいた。静かだが少し驚きのこもった声でツムギは後ろを振り向いて言った。
「……スズさん……っ!」
スズ……?ツムギの知り合いだろうか。私は一旦空気を読んでツムギとスズと呼ばれた洗練された上品な雰囲気を持つ女性を眺めていた。初めて見る……こともないような。
「こんばんは。最近会っていなかったわねツムギ。」
「え、ええ!……最近スズさんは何をしていたのです?」
大人の女性、と言った感じだ。スズさんを見て思ったことと言えば、茶室にてお茶をたててくれる女性だった。あの凛とした姿、1つ1つの柔らかい立ち振る舞い……そんな雰囲気を持つ女性だった。髪型は黒髪のサイドテールで、少しだけふわふわした髪が見える。黒の長いスカートを履いていて、上の服は書生スタイルと呼ばれるものだろうか。灰青色の羽織が美しい。
「異動が決まってしまったからね、荷物の片づけやら今までまとめていた情報やらの引継ぎを行っていたわね。……あら、失礼。申し遅れました。」
私の方をゆっくりと向いたスズさんは私に向かって一礼をした。
「私はスズと申します。引導課の情報等の責任者をしていた者です。ツムギがお世話になっております。あなた、ミラさんでしたね。代理人にアンドロイドをお持ち帰りになったと伺っております」
やっぱり私は有名人らしい。私も一礼をした。
「恐縮です。最初にご挨拶すべきところを失礼いたしました。私はミラ。人間を担当する死神をしております。ツムギさんとは交霊会議の代理を誰が務めるかという話の中で出会いまして。」
「ええ、ええ。ツムギが私に代わって交霊会議に出ることを申し出たことも課長から伺いました。ですが、なぜ資料室にいらっしゃたのです?しかもこんな時間に。」
まぁ普通はそう思うだろう。しかし説明しているのも野暮だ。心の奥そこで私はちょっとめんどくさいなと実は思っていたりした。どうしたものかと思っていた矢先、最初にその空気を割ったのはツムギだった。
「スズさん、俺は今まで知らなかったことを教えてもらって………気づけたことがあるんです。」
スズはツムギの改まった声に真剣な顔になっている。私は涼しい笑顔をしながら聞いていた。
「俺は今まで……スズさんに情報処理のことから何から何まで教えてもらって……最初何もできずに馴染めなかった俺を育ててくれて……ここまで来れました。でも、俺が今まで見ていた世界は、表面だけだったことを、ミラに気づかされたんです。」
スズは少しだけ驚いたような様子を見せた。私は見落とさなかった。
「ミラに……下の世界に連れてかれて、目の当たりにしたんです。データ上じゃわからない……データの裏側を。俺が見せられた下の世界は、狂気に満ちていました。自分で自分を殺して、解放されている。狂気でした。」
スズはゆっくり瞬きをしている。そんな様子を静かに観察していた。ツムギは勢いよく続ける。
「そしてミラは、そんな状況を改善したいと。だから私も代理人に申し出たんだと教えてくれました。俺は最初、スズさんに……認められたくて……安心してほしくて……ただそれだけのために代理人を申し出ていました」
スズはただ聞いているようだった。どう表現していいかわからない、そんな顔に見えた。
「……俺は……見落としていたんだと思います。……いくらデータがうまくまとめられても……現場を知らなかったら……何かを解決できるわけでも、何でもないんだって。俺は今、そんな大事なことを教えてくれたミラと一緒に、狂気に満ちた世界を救うために、かつてスズさんに教わったことを生かして、俺ができることをしたいんです!だからここに来たんです!!」
ツムギの声が資料室の深淵にくぐもっていった。スズはツムギを真剣な顔で見つめ返している。私はツムギを近くから見つめている。……手出しは……無用かな。
ご覧いただきありがとうございます!36話です!ツムギの恩人さんがついに登場しました!そして地下に響くツムギの想い!これを目の当たりにしたスズはどうこたえるのか。ツムギは認めてもらえるのか…!次回!こうご期待です!




