第二部 第69話 火蓋
夜明けは、静かだった。
霧が薄く砦を包み、リーデルの城壁はまだ眠りの色をしている。
合図はまだ出ていない。
だが、カイはすでに動いていた。
◆
リーデル砦近くの森の中。
バルドの低い声が落ちる。
「本隊、リーデル砦正面に展開」
小さく、しかし確実に。
兵が息を揃え行動する。
四百。
対するリーデル守備隊は推定千。
だが、城壁上から見えるレグノル兵の数は明らかに少ない。
四百ほど。
「……釣られる」
カイは断言する。
◆
朝霧が晴れ始める。
城門前に、セリナが姿を現す。
王旗が翻る。
白銀の髪が朝光を受けて揺れる。
城壁の上がざわめいた。
「王女だ……」
動揺が波紋のように広がる。
リーデル指揮官が歯噛みする。
「捕らえれば終わる……」
背後で若い兵が叫ぶ。
「アルディアス様への大功です!」
空気が傾く。
合理は、欲に押される。
「出るぞ!」
リーデル砦の城門が開く。
◆
同時刻。
森の裏側。
「進入開始」
カイの激令のもと、部隊が動き出す。
守備の薄くなった砦側面へ。
静かに、速く。
◆
リーデル砦正面。
聖導軍が功を逸り進軍してくる。
バルドが前に出る。
「止めるぞ!」
斧が振るわれる。
地が揺れる。
エリーナの風刃が兵列を分断する。
だが、敵の数は多い。
セリナは剣を抜く。
光輪がセリナの周囲に集まり、収束する。
「退くな!」
バルドの一喝に兵が踏みとどまる。
光の光輪が広がり、押し寄せる兵を押し戻す。
それは破壊ではない。
秩序の光。
◆
砦内部。
カイの部隊が中央塔を制圧する。
「門を押さえろ!」
号令。
レグノル兵が門を制圧する。
聖導軍の背面が崩れる。
聖導軍指揮官は事態に気づく。
収拾をかけようとするが、遅い。
挟撃。
隊列が乱れる。
敗走が始まる。
◆
そのとき。
セリナが最後の光輪を放とうとした瞬間。
足元に、黒い線が走った。
音はない。
石畳が、ゆっくりと裂ける。
周囲の兵の足が止まる。
聖導軍も、レグノル兵も。
同時に。
◆
地の底から、冷たい魔素が滲む。
それは敵味方を選ばない。
セリナの光が、揺らぐ。
「……これは」
戦ではない。
遠く、砦の地下。
誰にも見えない封印層で、魔導灯が一瞬だけ暗くなった。
◆
地上では混乱が広がる。
だが、カイは叫ぶ。
「崩れるな! 制圧を優先!」
判断が戻る。
秩序を取り戻した側が、戦を制した。
聖導軍は敗走を開始する。
統率を失い、各個に逃げる。
レグノル兵の勝利の声が上がる。
だが。
セリナは、裂けた石畳を見つめていた。
胸の奥のざわめきが、消えない。
これは――
勝利ではない。




