第二部 第59話 特使、ロスヴァルに至る
ロスヴァルの空は、澄み切っていた。
戦の翌日。
城壁にはレグノルの旗が翻っている。
だが、兵の間に浮かれた空気はない。
王都方面より、飛空艇一隻が接近中。
「我々は、七聖ジュリア様の使者である」
紋章を掲げ、拡声魔導器が低く響く。
「……来ました」
城壁上でエリーナが呟く。
魔力反応は抑制されている。
攻撃意思はない。
だが、圧はある。
「降下地点は南門前広場。護衛二十。武装は最低限」
カイが即座に報告する。
「特使だ。手を出すな」
バルドが小さく舌打ちする。
「殴れねぇ戦いは、苦手だがな」
セリナは静かに歩き出した。
「王として、受けます」
迷いはない。
◆
南門前広場。
飛空艇が音もなく降り立つ。
降りてきたのは一人の男。
黒銀の外套。
胸元に七聖の紋章。
冷たい視線。
「テンレア同盟特使、アーヴェン」
深く一礼。
「レグノル王女、セリナ=リュミエール・レグノル殿」
形式は整っている。
だが敬意は薄い。
セリナも一礼で返す。
「お越しいただき、感謝します」
背後にカイ。
やや後方にバルド。
上空ではエリーナが風を読む。
兵は息を潜める。
◆ 会談
「結論から申し上げます」
アーヴェンが一歩前へ出る。
「ロスヴァル奪取は秩序違反行為。
王都方面への進軍は、これ以上認められません」
ざわめきが広場を走る。
「ただし」
一拍。
「現時点では、七聖直属部隊は動いておりません」
意味は明白。
今なら、引ける。
「撤退すれば、不問とします」
静かな圧。
セリナは視線を逸らさない。
「ロスヴァルは、我が国の領土です」
「現在はテンレア管理下」
「奪われたものを取り戻すことが、なぜ違反になるのですか」
空気が凍る。
「秩序とは安定です」
「秩序とは、支配ではありません」
即答。
「私の国を滅ぼし、民を散らした“安定”を、私は秩序とは呼びません」
沈黙。
兵たちの背筋が伸びる。
◆
アーヴェンの視線がわずかに揺れる。
「……眠る鍵は、この場にいないようですね」
一瞬で空気が凍る。
カイの手が剣にかかる。
セリナは小さく首を振る。
「彼は関係ありません」
「本当に?」
薄い笑み。
「七聖は、彼のみを見ています」
事実だった。
だからこそ今、動けている。
「だが」
アーヴェンは一歩退く。
「動かぬ駒も、盤上では意味を持つ」
警告。
「次に進めば、七聖が“直接”応じます」
宣告。
◆
飛空艇へ戻る直前。
アーヴェンは足を止める。
「……黒の魔女は、盤を見ています」
名は出さない。
だが存在は明白。
「次は会談では済まないでしょう」
飛空艇が浮上する。
残されたのは重い静寂。
◆
城壁上。
バルドが吐き捨てる。
「来るって言ってるようなもんだ」
カイは冷静に言う。
「本気はまだだ。だが、次は違う」
エリーナが空を見上げる。
「……魔力が、少し重い」
誰も気づかない。
砦の石壁の隙間。
黒い煤のような痕跡が、わずかに広がっている。
微細な侵食。
風が吹く。
それは一瞬だけ脈打った。
◆
旗艦《アーク=テンレア》。
情報層。
ジュリアは報告を受ける。
「……退きませんでしたか」
「はい」
「当然ね」
扇子が閉じる。
「面白くなってきたわ」
だが視線は別の数値へ。
「……この微弱反応は何?」
「該当記録なし」
ジュリアは目を細める。
「目に見えないものほど、盤を狂わせる」
微笑はない。
盤は、確かに動き始めている。
ロスヴァルは落ちた。
だが――
本当の戦いは、これからだ。
そして誰も知らないところで、
黒い兆しは静かに広がっていた。




