第二部 第58話 広がる火種、静かな観測
ロスヴァル陥落の報は、想像よりも早く広がった。
砦に掲げられたレグノルの旗。
夜明けとともに街道を行く商隊が目撃し、
半日で噂は周辺の村へ届く。
――王女は生きている。
――ロスヴァルは落ちた。
それだけで十分だった。
人は、理由よりも象徴で動く。
◆
ロスヴァル砦、南門前。
簡素な机が置かれ、即席の募兵台が設けられていた。
農具を抱えた男。
槍を握る若者。
かつて騎士団に属していた老兵。
家族を失った者。
帰る場所をなくした者。
「王女に従う」
その一言で名が記される。
カイは淡々と数を確認する。
「……三日で、八百」
最初の五百は、すでに千に届きかけていた。
「二日でこれだけ集まったのは奇跡だ」
低く呟く。
「奇跡じゃないさ」
バルドが腕を組む。
「皆、ただ黙ってただけだ」
火種は、もともとあった。
ロスヴァルは、その火に風を送ったにすぎない。
「勢いで戦うな」
カイが釘を刺す。
「兵が増えれば、補給も統制も重くなる」
歓声の裏で、軍は静かに形を変え始めていた。
◆
塔の上。
エリーナが空を見上げる。
「上空魔力、わずかに変化」
微細な揺らぎ。
自然ではない。
「観測されています」
セリナは静かに頷いた。
「ええ。分かっているわ」
七聖は動いていない。
それが、逆に不気味だった。
見られている。
評価されている。
まだ“相手”と認められてはいない。
◆
夜。
砦の一室。
地図の上に、三つの印。
「王都まで、あと三拠点」
補給線、小砦、街道封鎖。
「ロスヴァルの勝利は象徴よ」
一拍。
「でも、象徴だけでは王都は落ちない」
その声に揺らぎはない。
「……覚悟はできている?」
問いではなく、確認。
バルドが無言で頷く。
カイが補給線を書き込む。
エリーナが空域を示す。
アオトはいない。
だが軍は、止まらない。
彼に守られたままでは終わらない。
◆
旗艦《アーク=テンレア》。
観測室。
リンシアは投影盤を見つめていた。
ロスヴァルの座標。
増え続ける青の点。
「……増えていますね」
背後から報告。
「ジュリアが動きました」
「そうでしょうね」
焦りはない。
「彼女は盤面を揺らす」
だが視線は、別の数値へ。
微弱な誤差。
検出限界ぎりぎりの揺らぎ。
「……揺らぎは、彼らだけではない」
ロスヴァルの石壁。
黒い痕跡。
記録されない異常。
リンシアはそれを、見逃していなかった。
「世界が、動いている」
誰にも届かない声。
◆
ロスヴァル城壁。
夜明け前の空が、薄く白む。
兵は増え、
噂は広がり、
七聖はまだ静観。
だが盤は、確実に進んでいる。
火種は広がった。
それが戦火になるのか、
それとも世界そのものの揺らぎなのか――
まだ、誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは。
レグノル奪還戦は、もはや止まらないということだった。




